優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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清算 ─和彦─

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 パーティー会場へと向かう車中で、いても立ってもいられなかった僕はたった今録画した衝撃の事実を父へ送信した。


『今日、動かせていただきます』


 不正データのまとめが終わった事と、この一文を添えて。

 本来はもう少し、例によって物的証拠を得ることが難しいハラスメント内情の証言、供述を増やしたかった。

 松田さんへのコンタクトは七海さんに任せてあるから、僕は別部署で見たパワハラについてを詳しく調べたかったんだ。

 準備が完璧に整ったその後、中期決算を終えてから占部昭一を密やかに失脚させる計画を立てていた。

 それというのも、自業自得の不正によって父親が退陣に追い込まれただなんて事実を占部さんが知ったら、受け止めきれないほどのショックを受けるだろうと思ったからだ。

 僕にとって占部さんは、これからも「長い付き合い」になる貴重な友人という立ち位置だった。

 蓋を開けてみたら……そんな僕の惻隠の情は必要無かったという顛末。

 息子である占部さんには知られる事なく、占部昭一を地方に飛ばすなりで表向きは栄転という策まで考えていたのに。

 佐倉家に生まれた以上は腑抜けていられない、七海さんにもそう諭されて前を向いた矢先にこれだ。

 彼らに対する情けなど必要無くなった。


「……よく考えたら、俺らデータまとめてる時もずっと「変なの」って言ってたよな」
「…………?」


 今の今までほとんど何も語る事の無かった、濃紺のスーツがよく似合う七海さんが前を向いたまま腕を組む。

 タブレット端末とノートパソコンを鞄にしまい、僕は七海さんの毅然とした横顔を見詰めた。


「額がみみっちい。これくらい、こんな事しなくても自分で何とかしろよって」
「あぁ……そうでしたね」
「勘弁しろよって思ってたんだよね。立体的で巨大化した数字に追い掛けられる夢見たんだよ。たった四日、データ処理手伝っただけで」
「……ぷっ……」
「そのくらい、〝チマチマ〟だったじゃん。理由が分かったな」
「えぇ、まったく」


 会社としては大損害……とまではいかないけれど、不正は不正だ。父を蹴落としたいと滲ませているわりに、その数字一つ一つは七海さんの言う通り何ともケチくさかった。

 SAKURA産業本社勤務の、営業一課部長だよ。充分な給料が支払われているはずだ。

 高みを目指す男のやる事ではない。

 逆らえない者の心理を利用して半ば脅しをかけ、部下を不正に加担させている占部昭一に罪の意識が無さそうだったのは、相当に非倫理的だ。

 録音されていた高圧的だった態度と口調も、今となれば納得だった。

 近い将来、彼らの上に立つ人間に成るつもりだったとすると、自分勝手が通るとでも思っていたのかな。


「二十二時、って言ってたっけ?」
「……はい」
「行くの?」
「もちろんです。今日決着を付けます」
「そっか……。でもハラスメントの件は?」
「そちらは引き続き調べを進めましょう。占部昭一さえ居なくなれば、いくつものハラスメント被害を抑えられる可能性が高いです。他の者による小さな実害の実態はあるかもしれませんが、占部昭一が失脚すれば抑止力にも繋がります。ハラスメントについては調査を続行しますと通達も出来ますから、この件が大きな転機になるかもしれません」
「……なるほど……」


 僕は、前を向くしかなかった。

 感心したように頷いてくれた七海さんが居るから、占部親子の不正にも目を背けないでいられる。

 ──ショックは大きいよ。その衝撃と喪失感は、今すぐに言葉にしろと言われても到底無理だ。

 何しろ、僕の中に芽生えたのは絶望感だけじゃなかったんだから。

 無表情がうまい僕自身でさえ繕えているか心配になるほど、腹が立って、腹が立って、腹が立って、腸が煮えくり返っている。

 二十二時を待たずに今すぐ占部さんの元へ行って、プリントアウトした膨大なデータ書類を投げ付けてやりたいくらい。


「……和彦、……大丈夫?」


 精神的ショックが怒りに変わった事で、繋いでいた七海さんの手のひらに無意識に力を込めてしまっていた。

 顔を覗き込んでくる七海さんの眉が、僕の心情を察してハの字になっている。


「……えぇ、大丈夫ですよ」
「顔が般若みたいになってるけど」
「……出ちゃってますか」
「…………うん。出ちゃってる」


 苦笑する七海さんに、僕も苦笑を返した。

 あれだけ上手だった無感情でいる事が、今は少しも出来る気がしない。

 以前の僕ならきっと、打ちひしがれてメソメソするだけして、究極に落ち込んだ暁にはまた人間不信に戻る。そして、誰も信用出来ない、人の上に立つ度量も余裕もない、世襲なんてうんざりだと言って父をガッカリさせていただろう。

 これほどまでの怒りが湧くのかと、そんな感情が僕にあったのかと、自分で自分に驚いている。

 ──般若みたいって言われちゃったけど。


「いい兆候だな。この状況で「七海さん、どうしよう」なんて言われたら俺、迷わずビンタしてたよ」
「……誰をですか」
「和彦を」
「────!」


 驚いて目を丸くした僕を見て、七海さんはニッと茶目っ気たっぷりに微笑んだ。

 良かった……。ここへきて腑抜けを復活させて塞ぎ込んでしまっていたら、男気溢れる七海さんにビンタされるところだった。


「ぶふっ……!」


 怒りを削がれてホッと胸を撫で下ろしていると、我慢出来ずに吹き出した後藤さんがゲラゲラと笑い始めた。

 ルームミラーで僕と七海さんを交互に見て、ハンドルを叩いてまで爆笑している。

 ……こんなに楽しそうな後藤さん、初めて見た。



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