156 / 206
清算 ─和彦─
1
しおりを挟む昨夜は最高だった。
とても麗らかな心地で料理を美味しく頂けた、とは言えなかった突然の両親との食事会。
いくつになっても「合わない」ものは「合わない」んだなと痛切に感じていた、そのすぐ後だ。
もっとずっと先だろうと思っていた、夢のような時間がやって来た。
『……和彦、……好き』
今も鮮明に思い出す事が出来る。
──とにかく可愛かった。このまま死んでもいいと思えるくらい、嬉しかった。
七海さんを好きになって三ヶ月。
人生で感じた事のないほどの愛おしさが、心も体も包み込んで……歓喜に震えた。
穏やかな月明かりに見守られた一夜は僕の中に深く深く刻まれて、二度としないと誓った後悔を七海さんが快然たるものへ上書きしてくれた。
一度も意識を飛ばさなかった七海さんを朝まで可愛がって大満足した僕は、幸せな倦怠感に見舞われていてニヤけてしまう口元が抑えられない。
おかげで壁を作るのも忘れ、講義の合間に色々な人達から声をかけられたけれど、何だか容易かった。
僕には七海さんが居る。
僕の事を「好き」だって言ってくれた、七海さんが居る。
それだけで心が安定し、たどたどしくはあったけれど知らない者等と挨拶以上の会話が出来た。
自然になんていうのは到底無理でも、一番苦手とする同世代の同級生と壁を取っ払って会話する事が出来るなんて、少し前の僕なら想像だに出来なかった。
言葉は、時に刃となって胸を突き刺す。 グサリと嵌まり込んでしまうと、こんなに尾を引く。
けれど、言葉の効力はそれだけじゃなかったんだ。
たった一言、欲しかった言葉を貰えるだけでそれは全身を満たす幸福薬になる。
両親を突き放した幼かったあの頃、僕はその何よりも欲しかった一言が無かったから、心を閉ざしてしまったのだと気付いた。
七海さんは名探偵なだけじゃない。
僕を指南してくれる人生の先生であり、そして……大切で大好きで愛おしい恋人だ。
あんなに熱烈に告白してくれたからには、もうキャンセルは受け付けられない。
もはや七海さんが居なければ、居なくなってしまったら、僕は壊れてしまう。
生きていたくないと思ってしまう。
失うのが怖くてたまらないくらい、何もかも、七海さんのすべてが大好き。
本当は一秒も離れていたくないけれど、お互い学生という身分と年の差、そして出会うのが遅過ぎた不運を呪うしかない。
──早く会いたい。
朝まで愛してしまった結果、くたりと横になって「動けない」と掠れた声で僕を見ていた七海さんは、午後から大学に来ると言っていた。
四年生だから講義が詰まってはいないのに、今日は必修があるみたいで。
メッセージを送っても既読が付かないから、僕は急ぎ足でカフェへと向かった。
いつものカフェに居なかったら、一回だけ電話してみよう。
もしかすると、起き上がれなくてまだ家に居て寝てるかもしれない。 起こしちゃうのは可哀想だ。
それに、まだ例のアプリは生きているし慌てなくても居所はいつでも掴める。
「──あっ、七海さん……!」
七海さんはいつものカフェのいつもの定位置、つまりレジから一番遠い窓際の席でテーブルに突っ伏していた。
何故か傍らには九条さんが居て、突っ伏した七海さんを前にのんびりコーヒーを飲んでいる。
そばに九条さんがいた事よりも、両足を小刻みにジタバタさせている状況の方が僕には心配で、慌てて駆け寄った。
「ちょっ……七海さんに何をしたんですか!」
「……何も?」
「何もって、そんな風には見えません! 七海さん、七海さん、大丈夫ですかっ? 九条さんにまた意地悪言われたの?」
「あ、……和彦……おかえり……」
「七海さん……。ただいま」
昼時で込み合う店内は、僕達三人が居ると視線を集めてしょうがないけれど、そんなもの気にしていられない。
走り寄って柔らかな髪を撫でると、じわりと顔を上げて僕を見た瞳が薄っすら潤んでいた。
……可哀想に。七海さんのこの状態は記憶に新しく、きっとまた九条さんから何かしらの無言の追及を受けたんだ。
あまり僕の七海さんを狼狽えさせないでほしいな。
このテーブル席には、いつもなら二脚しか椅子がないはずなのに今日は三脚あって、僕は丸テーブルを囲んで七海さんと九条さんの間に腰掛ける。
縋るように、何かを訴えかけるように僕を見てくる七海さんは、終始物言いたげで可愛くて、つい何分も見詰め合ってしまった。
体は大丈夫ですか? 体調はいかがですか? 眠くありませんか? ……聞きたい事を一つも聞けぬまま、その濡れた瞳に見惚れた。
「ほーら、俺の前でイチャイチャ」
「……く、九条君!」
「……どういう意味ですか?」
「七海がまたゲロった。しかも全部」
「え!? 七海さん、やっぱり体調悪いんじゃないですか! 帰りましょう、直ちに!」
「ち、違っ……!」
「そういう意味じゃねぇって」
「ではどういう……!」
「ぅぅっ……! ごめん和彦、また引っ掛かった! 俺、九条君の誘導尋問にまんまと引っ掛かった!」
僅かな呻きのあと、七海さんが突っ伏して足をジタバタさせた。
体調が悪いのかと心配しちゃったけど、大方予想通りみたいでホッとした。
──九条さん、言葉が悪いよ。
0
お気に入りに追加
661
あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる