優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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 普通に生きてたらそうそう味わえないような、霜降りの上等なステーキがミディアムレアの状態で熱々のステーキ皿の上に乗っている。

 食欲をそそる匂いと、ジュウジュウと香ばしい音を立てているそれは見るからに美味しそう。めちゃくちゃ美味しそう。

 ナイフとフォークを使って切り取り、フォークに柔らかいお肉を刺して、熱いからフーフーして口に運ぶ。

 うん、柔らかい。口に入れて一噛みしたら肉汁が溢れ出て、たちまち蕩けてなくなる。

 でも……緊張のせいか味を感じない。

 和彦の家ではいつも俺が食べた事のないような豪勢な食事が出てくるけど、今日は特別みたいだ。

 この肉なんて、テレビでしか見た事ないよ。

 きっと美味しいんだろうな……全然味がしないから勿体無く思えてくる。

 さっき飲んだじゃがいもの冷製スープもまったく味がしなくて、まるでコーンポタージュスープみたいに甘味のある美味しさだって和彦のお父さんは満面でそう言って笑っていた。

 俺はその斜め前で、小さくなって「ハハハ……」と愛想笑いする事しか出来なかった。  ちゃんと笑えてたかも怪しい。


「七海君は少食なのか?」
「えっ……?」


 お肉を小さく切っておちょぼ口で食べてたから、ここに居る誰よりも食べるペースが遅い俺に、和彦のお父さんが話し掛けてきた。

 滅多に行かないリビングに通されて、会うなりハグしてきた和彦の両親が「底抜けに明るい」とは聞いてたけど、俺の想像を軽々と越えていた。

 俺が和彦と付き合ってる事を知ってるらしいのに、こんなに明るく接される柔軟さとポジティブさを、和彦が受け継がなかった事が逆に凄い。


「七海さんは特に少食というわけではありません。僕の両親を目の前にしていたら、そりゃ喉を通りませんよ」
「そういうものか? まったく気にしなくていいんだぞ! 私は理解あるお父さんだ! そしてこちらは理解あるお母さんだ!」
「結子って呼んでね! 女優さんと同じ漢字だからぜひ名前で呼んでほしいの!」
「あの女優さんより結子の方が素敵だがな!」
「まぁっ、お父さんったら!」
「お父さんじゃないだろ? 友彦と呼べよ」
「あらやだ、そうだった。友彦さん!」
「ふふっ、なんだ、結子!」


 ……この両親は度々俺らを蚊帳の外にやる。

 食事が始まって約四十分の間に、三度はこの夫婦のイチャイチャを見せ付けられた。

 和彦の両親は大会社の社長と秘書(とは言っても表立っては働いてないらしい)で、しかも付き合ってる同性の恋人の親だ。

 緊張しないはずがない。

 ただこのやり取りが始まると、はぁ、と溜め息を吐いてテーブルの下で俺の太ももに触れてくる和彦の胸中が、目の前の光景を見ているとよく分かる。

 根本的なところが合わないと言ってたけど、そんなにか? と半信半疑だった俺は和彦に心の中で謝った。

 明るいだけじゃなく、「底抜け」に楽観的でもあった。

 和彦は圧倒的な陰で、両親は圧倒的な陽って感じ。

 そう、互いに圧倒的なんだ。だから合わないんだと思う。

 陽の両親はそんな事ないんだろうけど、和彦にとっては、あまりにも眩しくて目をやられて失明しちゃうくらいの陰陽の差だ。

 それほど悲観的でもネガティブでもない俺でさえ、唖然とする。

 まさに今、緊張と呆然の間。……って、似たような映画のタイトルあったな。


「お二人とも、その辺にして下さい。僕の恋人の前ですよ」
「こ、こいびっ……」
「いいんです、七海さん。二人はスイスのような方々です。こと恋愛においては」
「スイスか! うまいな!」
「和彦ったら賢くなっちゃって!」
「スイス……永世中立国って事?」


 争い事には加担しない、中立な立場を貫くというスイスという国に置き換えた和彦に、両親はニコニコと笑みを崩さない。

 こんなにもずっと笑顔でいる人間が居たなんて、知らなかった。

 普通、デカイ会社のお偉いさんなんて頭でっかちで分からずやばっかりだと思ってたけど……それは偏見だったのか。

 それとも和彦の両親がちょっと「おかしい」のか。


「お父さん達は国ではないがな! なぁ、結子! はっはっはっ!」
「そうね、友彦さん! ほっほっほっ!」


 顔を見合わせて微笑み合う二人を前に、また和彦が俺の太ももに触れてきた。

 手のひらの温度から、「この二人どうにかして」なんてメッセージが伝わってくる。

 ……俺も同感だ。太ももから和彦の手のひらに「俺もそう思う」って伝わるといい。

 息子の恋人が同性だって知っても理解を示してくれているから、それは物凄くありがたくて嬉しくてもっと親しくなれたらいいとさえ思うのに、なかなか緊張と呆然から解放させてくれないご両親には呆気にとられっぱなしだ。

 味のしないステーキが進まないよ。

 和彦も度々食べる手を止めるから、俺と同じくらいしかお肉が減ってない。


「……あの、そろそろ本題に移っても?」


 一つ咳払いした和彦が、ナイフとフォークを置いて対面する二人を見据えた。

 お、……和彦……なんかカッコイイ。

 変だ、おかしい、っていう和彦の代名詞がすっかり両親に取られてるから、俺の目には和彦がとてもまともに、しかも凛として見えた。

 チラ見した横顔もいつも以上に整ってる気がして、少し長めの髪が頬に落ちてる様までも素敵で、妙にドキドキしてきた。

 


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