優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

文字の大きさ
上 下
143 / 206
前進 ─和彦─

しおりを挟む



 舌で小さな突起をちろちろと舐めて楽しんでいると、僕のスラックスのポケットが振動した。

 無視しようとしても、ずっとずっと震えている。出るまで切らないぞ、という意思がその振動から嫌というほど伝わってきた。


「……はぁ、……」


 すごくいい雰囲気の時に限って、邪魔が入るのはよくある事。

 諦めた僕は、溜め息を吐いて七海さんの頬にキスを落とす。

 ポケットからスマホを取り出して画面を確認すると、思っていた通りの名前が表示されて未だ震えていた。

 講義の前に着信を残しておいたから、かけ直してくるのは当然なんだろうけど……もう少し七海さんとの疑似体験を楽しみたかったな。


「……電話……?」
「はい。出ても構いませんか?」
「いいよ! ほら、早く出ろっ」


 追及から逃れられると知った七海さんは、乱れたシャツや髪をササッと直してキラキラと僕を見た。

 ……ホッとしてるのバレバレだよ、七海さん。……可愛いんだから。


「お久しぶりです、お父さん」


 スマホを耳にあてがい、ざっと直された七海さんのふわふわした髪を触る。

 僕の電話の相手に驚いた様子で、触れた髪が緊張し、咄嗟に息を殺したのが分かった。


『あぁ、最近そちらに帰っていなかったからな。元気にしているか? 電話がきていたようだが?』


 ……気のせいかな。繕った父の声が何だか……弾んでいる。


「元気ですよ。お父さんに折り入ってお話がありまして」
『なんだ、改まって。もしや本宅に住まわせているという恋人の話か?』
「違いますよ。……まったくもう……後藤さんが話したの?」


 だから声が明るかったのか。

 僕が七海さんと知り合ってから、後藤さんは完全にお節介な第二の父親となっていて驚く事が多い。

 なんと言ってもこの両親が多大に甘やかした結果、節制なんて言葉を知らなかった幼い僕は「ぷっくり和彦」なんて呼ばれていたんだ。

 大人はまだいい。オブラートに包んでくれていたから。

 けれど子どもはもっとひどい言葉を使って罵ってきた。僕の家柄を理解していたのか、身体的に痛め付けられる事はなかったものの、やわな心にグサグサと刺さった言葉の刃の傷は、この歳になるまで尾を引いた。

 思い出したくなくて今まで元凶には触れなかったが、七海さんには伝えておかなきゃと思ったから勇気を出してアルバムまで見せて包み隠さず話した。

 話す事で本当の意味で視界が拓けた気がするし、肩の荷が下りたような気持ちだから、昨日の告白は僕にとってはとてもとても良い事だったのだけど。

 電話口で陽気に笑う父の事を、会う度憎らしく思うのは僕の心が成長していないから……?


『はっはっはっ、お父さんには筒抜けだよ! いつ話してくれるだろうかと待っていた!』
「残念ながらその件ではありません。紹介するのは問題が片付いてからにしたいんです」
『おぅ、分かった。込み入った話ならば今夜本宅に戻るが』
「……七海さんの事、見たいだけでしょ」
『バレたか! いいじゃないか、紹介してくれよ。何もかも知っているんだから! 何たってお父さんだし?』


 いいじゃ~んって……大企業の社長ともあろう人が。

 僕はこの父と、似たような性格の母とは根本的なところが合わない。

 刃を突き付けられた元凶を作り、「もう幼稚園には行きたくない、嫌だ」とわんわん泣いた僕に向かって、「そんな事で泣いてたらこの先何にも乗り越えられないよ~!」と笑い飛ばした底抜けに明るい両親。

 この人達は僕を理解してくれない。

 泣きながら放った悲痛な叫びをいとも簡単に一蹴された未熟だった僕は、幼くして両親をも遠ざけた。

 会いたくない。理解してくれないならば僕の事は放っておいて。幼稚園に行くのは我慢する。いっぱい傷付いても我慢する。僕のお世話をしてくれる人の手は煩わせないと約束する。だから……僕から離れていて。これ以上傷付きたくない──。

 このお願いは、わりとあっさり聞いてくれた。

 会社ビルとは距離のある本宅よりも、そこから程近い場所に建つマンションの方が働き盛りだった両親の利便も良かったから、当時のお互いの利害が一致したという事だ。

 何だか掴みどころのない明るい父、そしてそれを支える母の前向き過ぎる性格は大人になった今も僕には馴染まない。

 せめて僕の前ではそのテンションは控えめに(傷付いた事を思い出すからだ)、あとを継げと言うなら父としてよりも社長としての姿を見せてほしいと懇願し、父は「分かった!」と頑張って繕っていたのに。

 どこまで七海さんとの事を知っているのか知らないけど、電話の向こうには底抜けに明るい父が我慢出来ずに戻ってきている。


「あの……お父さん、以前から言ってるでしょう。厳格な父で居てください。ここ数年うまく出来ていたじゃないですか」
『和彦に恋人が出来たんだぞ!? あのぷっくり和彦に!お父さんは嬉しくてしょうがな……』
「では今夜」


 嫌で嫌でしょうがないあだ名を、まだ覚えていたらしい。

 その単語が聞こえた瞬間、僕の指先は通話終了の赤い丸をポチッと押していた。

 「大企業の社長憮然とした厳格な父」を、七海さんには紹介したかったんだけどな……この様子ではきっと同じく大興奮の母と共にやって来る。

 社の闇を解決するには父の耳に入れておかなければならない一件なのに、「早急」な解決が遠退きそうで僕はもう一度重たい溜め息を吐いた。




しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」  洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。 子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。  人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。 「僕ね、セティのこと大好きだよ」   【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印) 【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ 【完結】2021/9/13 ※2020/11/01  エブリスタ BLカテゴリー6位 ※2021/09/09  エブリスタ、BLカテゴリー2位

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

処理中です...