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前進 ─和彦─
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しおりを挟む「……確かに……」
「なるほど……」
現況を語っただけに過ぎない七海さんの説明で、そこまで推測出来るなんて。
僕はただ、これからどうしようと漠然としか考えていなくて、証拠集めをしようとする七海さんにおんぶに抱っこだった。
早急に解決したいと言う七海さんの、いわば使えない助手。
それというのも、どうしてもまだ信じられない気持ちが強くて、お父様の追及を始めたら占部さんとの関係も悪くなってしまうのが怖い。
占部さんは大学で初めて出来た友人……いや、僕にとっては数年ぶりに気負わずに話が出来る「友達」。
お父様の事とは切り離して考えなくてはいけないと分かっているけれど、七海さんも言っていたようにこれまでと関係が変わってしまうのは当然の流れだ。
お互いに気まずくなる。
今まで通りでは居られなくなる。
九条さんみたく、親身に真剣に細部まで考えてあげられなかったのは僕の余計なわだかまりのせいだ。
作戦会議と称してセックスに持ち込んだのも、無意識に逃げてたんだ……僕は。
けれど……解決のためには捨てなきゃならない。会社を継ぐ者として、佐倉和彦として、過去と対峙した僕にはもう、信じられるのは七海さんだけ。
「セクハラと不正を暴くの、同時進行したら?」
テーブルに肘を付いて何気なく七海さんを見た九条さんから、新たな提案が成された。
もしも、もしも、占部さんのお父様が黒だとしたら僕もその方がいいと思った。
長年勤めてきた男が権力を手にした時、間違った方向へ進むか純粋に高みを目指すか、その二択しかない。
そうなると、社を揺るがす大きな進退までも企んでいる気がしてならず、僕の予感が外れている事を切に願うばかりだ。
「でもそれだと松田さんが……」
「その松田さんには七海が出勤中ずっと張り付いとけよ。もしくは監視カメラを増やすか。出来るよな、お坊ちゃま」
「父と相談してみます。今回の件で動こうとしている事も話さなくてはなりませんが、……仕方ないですね」
「そういう事」
堅物な父と話すのは苦手だけれど、そうも言っていられない。
七海さんが居なかったら野放しになっていた事件だ。考えたくないがきっと余罪もある。
決意が固まった今、僕に迷いは無かった。
あっさりと糸口を導き出した九条さんに、情けなくも尻を叩かれた。
こっそりと奮起した僕の前で、小悪魔な七海さんは尊敬の眼差しを九条さんに向けた。
もう一度言う。僕の前で、だ。
「九条君もう弁護士さんみたいだなぁ」
「お、マジで? 院に進んで試験受ける時にもう一回同じ事言ってよ。頑張れる」
「分かった! 試験頑張れ!」
「いや違ぇよ。試験の時に、「もう弁護士さんみたい」って。タイミングも台詞も間違えてんぞ」
「あっ……!」
七海さんって……純粋だ。
嫉妬に駆られた僕が恥ずかしく思えてくるほど、七海さんの的外れな返答に笑いが込み上げてくる。
次から次へと、温かい感情が溢れ出てくる。
今まで避けてきた和やかで学生らしい時間を過ごせている事に、素直に喜びを感じた。
「ふふふ……っ」
「和彦笑い過ぎ!」
「そりゃ笑うだろ。七海いつからそんな天然になったんだ」
「天然じゃないし!」
「もっと落ち着いてたろ、このお坊ちゃまと出会う前は」
「……俺は何も変わってないと思うけど」
「て事は今が素の七海か」
「……素?」
とても興味深い話をしている。
僕と出会ってから、七海さんは変わった……?
いや、本当の自分を出せるようになった……という意味かな。
えー、と膨れている七海さんを、僕は見詰めた。
そうだ。そういえば最近、愛想笑いを見なくなった。
取り繕った、その場しのぎの控えめな笑い方をしなくなったかもしれない。
代わりによく見るのは、伏し目がちな照れ笑い。「何言ってんだよ」と頬をピンクに染めて僕から視線を逸らす、その横顔だけで恋を実感する甘い笑み。
今目の前に居る七海さんも、最近よく浮かべる遠慮のない膨れっ面をしていた。
「嬉しそうだな」
「え……っ?」
「ニヤけてんぞ」
あまり目付きのよろしくない九条さんが、僕をじっとりと見てきて気付く。
七海さんの憂う表情を眺めているだけで、頬が緩んでしまっていた。
僕との恋が変わるきっかけになったとしたら、こんなに嬉しい事はない。
「お前らガキみたいな恋愛してんの?」
「なっ……」
「ガキみたいって……そんな事はありませんよ。きちんと大人な恋愛を……」
「セックスどうこうじゃねぇ。目が合ったら恥ずかしーみたいな。初々しいもん見せ付けられて超複雑なんだけど」
九条さんの台詞に、僕と七海さんは同時に顔を見合わせた。
お互いが初恋のようなものだから、そうなってもしょうがない。その上まだ付き合って間もないんだ。
視線が合ったら緊張するし、ちょっとでも体が触れたらドキドキしてくる。もっと触れたい、触れていたいと思ってしまう。
言うまでもなく僕達は恋をしていて、新芽を育てている最中だ。
見詰めていると、また七海さんが俯いた。
下方へ流れ落ちる髪の隙間から覗き見えた色付いた照れた耳が、僕と同じ気持ちだと証明してくれている。
ここが大学内じゃなくて、周囲に人が居なかったら、間違いなく頬を撫でて唇を奪っていた。
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