優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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前進 ─和彦─

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 何の話? と聞かれたけれど、九条さんに会社の内部事情を話すなんてスパイみたいな真似は出来ないから、うまく話を変えて誤魔化そう。

 そう目論んでいた僕がアイスコーヒーを買って(店員さんの目を見て注文する事が出来た)戻ると、素人探偵がテーブルに突っ伏していた。

 九条さんがパソコンの画面……例の掲示板を見詰めている事から、すべて話してしまった後だと悟る。


「……七海さん、言っちゃったんですか」
「あ、おかえり。だ、だって、九条君が誘導尋問するんだよ! 言葉に詰まったらニヤッて笑うし! 俺は話すつもりなんてなかったんだ! 会社の事をベラベラ喋っちゃマズイかと思って!」


 うぅっ……とまたテーブルに突っ伏した七海さんの髪を撫でて、「いいんですよ」と声を掛けた。

 追及されたら分かりやすく動揺を見せる七海さんが、九条さんの尋問に敵うわけない。

 僕も目の前でそれを見ていたから、追及を逃れられなかった気持ちはよく分かる。

 居酒屋の何の変哲もない個室がいつの間にか法廷内と化し、登場人物が検事と被告人、傍聴人二名みたいになっちゃったんだから……。

 あれを思い返すと、誘導尋問という単語は決して大袈裟じゃない。


「七海、お前ウソは吐かない方がいいぞー。俺じゃなくても絶対バレる。ジタバタして目泳ぎ過ぎ」
「俺悪い事しないからいいんだ!」
「悪い事、じゃなくて、ウソは吐くなって言ったんだよ。このお坊ちゃまにもな」
「和彦は九条君みたいに精神的にじわじわ追い詰めたりしないよ!」
「いや、お坊ちゃまは分かってて優しく対応してんだと思うぞ。七海の動揺見たらどんな鈍感な奴でも「何かあるな」って勘付く」


 ──分かりやすいもんね、七海さんは。

 焦ると突拍子もない事をしたり、視線がウロウロしたり、手足が落ち着かなくなったり。

 高い脚立の上でジャンプするなんて無茶も平気でしちゃうし、照れたからって車にロックを掛けて僕を閉め出したりして、……心配だよ。

 七海さんは、なんだか放っておけないオーラがあるけれど、そういうのも加味されてるのかな。

 そのオーラと魔性を兼ね備えた七海さんは、無敵以外の何ものでもない。


「え!? そうなのかっ? 和彦、俺の事ぜんぶお見通しなくせに気付いてないフリしてんのっ? ひどい……っ」
「えぇっ? 僕は七海さんに意地悪したりしませんよ。たまに可愛くて泳がせる時はありますけど、……って、なんで僕に矢が飛んでくるのかな……」


 ガバッと上体を起こし、瞳をまんまるにして僕を見る七海さんのほっぺたは赤かった。

 七海さんは自分では気付いていないかもしれないけれど、たまに天然を発揮するから面白い。

 恋敵だったはずの九条さんと七海さんのやり取りは今や安心して見ていられるし、小さな子どもみたいにとっても分かりやすい反応を見せる七海さんが可愛くてしょうがない。

 対して九条さんはというと、ノートパソコンのタッチパッド部分に触れてスクロールしながら、七海さんが苦手とするニヤリ顔をしていた。


「ほら見ろ。だからな、セクハラの件も不正の件も絶対に七海単独で動くなよ。お坊ちゃまは七海以外で感情動く事無さそうだから冷静でいられるだろうし、頭の回転も早えから動くなら絶っっ対お坊ちゃまとにしろ」
「不正の事も言っちゃったんですか?」
「うぅぅ……! ごめん…!」
「それは七海が勝手に喋ったんだよな。俺何も聞いてねぇのに」
「だって! だって! 九条君がジーッと俺の目を見るからいけないんだ! まだ何か隠してんだろ、って言われた!」
「言ってねぇよ。目線がそう言ってるように感じただけだろ。七海が思い込んだだけだ」
「くぅぅ……っ!」


 言い負かされてしまった七海さんの足が、テーブルの下でトントントン……と素早く足踏みしていて、悔しさを表している。

 おまけにまたもやテーブルに突っ伏してしまい、可愛い動揺の表情を拝めなくなった。

 ただの目線だけで、言わないつもりでいた事もポロポロとすべて吐かされたとなると、七海さんもそうするしか術がない。

 何をどう言ったって九条さんには勝てないんだよ、七海さん。


「九条さん、その辺でやめてあげてください。可愛いけど可哀想です。勝ちが決まった試合は面白くないでしょう?」
「……なぁ和彦、……それ庇ってないよ? 庇うならもっと強めに庇って?」


 あれ、……すごく的確に庇ったつもりなのに、じっとりとした視線を送られてる。……どうして……?

 しばらくいじけた七海さんと見詰め合い、靴の先をツンと押してみると、体をビクッと揺らしてまた頬を染めた。

 僕達は、九条さんそっちのけでテーブルの下で靴のつま先を突き合わせて遊んだ。

 頬の赤みが引いて、照れたように笑う七海さんは世界一美しい。


「で、セクハラから対処するのか? てかさぁ、もしかして不正もその部長が絡んでたりしてな」
「えっ」
「え……?」


 画面を凝視した九条さんの思わぬ一言に、僕と七海さんは同時に声を上げた。

 まさか、……そんなはずはない。とは言い切れない。

 占部さんのお父様に裏の顔があると知った今、そう言われても即座に否定出来ない僕が居た。

 また人間不信に拍車が掛かりそうなほど驚いたセクハラの一件。

 早々に父と連絡を取り合って真実を確かめたいところだけれど、僕の可愛い素人探偵が「証拠集めが先だ!」と豪語するから、父への連絡はまだしていない。

 薄くなったであろうコーヒーを最後まで啜り、七海さんの方へノートパソコンの向きを変えると、何故か僕の目を見て九条さんは続けた。


「七海が知るまでバレなかった、もしくは口止めが成立してたんなら、何人かの組織ぐるみでやってる可能性が高い。しかもそれを黙認出来る幹部クラスの奴が絡んでると見た」



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