優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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 大会社の世襲はよくある事で、継ぐ者に拒否権はない。

 だけど、和彦が何百人……いや子会社含めたら何千人も居る社員の上に立つっていう想像はこれまで出来なかった。

 ただの人見知りで、マイペースで、「変」で、ヘタレな和彦しか知らなかった俺は、軽率に改造計画をリスト化しちゃってた。

 過去に何かあったとしても、そんなの金持ちだからやっかみを受けるのは当然だろって。

 まさか原因が、幼い頃の見た目による言葉の刃だったとは思いもしなかった。

 これは程度の問題じゃない。

 現在の和彦がこうなってしまったように、その時感じたすべてが後々まで尾を引くって事なんだ。

 改造計画の趣旨が変わったな。

 佐倉和彦が世に出た時、ちょっとした荒波に揉まれても負けない男に仕上げなくちゃいけない。

 頭は良い。役職に付けばあっという間に世の話題になるくらいの男前には育ってる。

 あとは現状維持で納得しない野心と、人間不信なんて言ってられない統率力が必要だ。

 俺には何が出来るかって、それは一つしかない。


「なぁ、和彦が経験した事って、弱い立場の人間を救うのに適してると思うんだけど」
「……まさに。僕もそう思っていたところです。七海さんのおかげで、それに気付けました」
「また大袈裟な事言ってるな」
「大袈裟なんかじゃないですよ。僕はずっと、嫌な事から逃げてきたんです。他人が苦手だ、嫌いだ、って……皆が皆そうではないのに。関わるのが鬱陶しいとか面倒くさいなんて言い訳です。僕は、当時のように傷付くのが怖かった……」
「うん。祭り上げられて、とどめを刺されたんだよな」
「はい、……。大学にも同じ私立高から入学してきた者が居ますが、出来るだけ顔を合わさないように逃げていました。働き始めてからも、「社長の息子」と指差されるのが嫌で、名前を変えて逃げていました」
「うんうん。……分かった」


 和彦が吐露する胸の内。

 今まで目を背けてきただろう事を、これだけ自分の口から言えるってすごい勇気だと思う。

 誰にだって弱味は見せたくないよな。

 俺には、特に。


「もう大丈夫。知りたかった事ぜんぶ聞けたから、もういいよ。言わなくていい」
「……七海さん……」
「俺もな、男しか好きになれないって気付いてからはすごーく葛藤したよ。悩みもしたし、俺おかしいんだって泣いた事もあった」
「泣いちゃったの……? 七海さんが……」
「そう。クラスの中で、誰が好み? みたいな話になるじゃん、そんな時ってどうしてか嘘吐いちゃうんだよな。好みの子なんて居ないよって言えば済むのに、それ言っちゃうと「お前ホモなんじゃねぇの?」って揶揄われるんじゃないか……ってな」
「…………」


 俺の隠してた弱味なんてもうほんの一部しか残ってないけど、全部言ってしまおう。

 「初めて」と「恋」を大事にしてた妄想野郎にも、一応は悩んだ過去がある。

 地元の友達にはひた隠しにしてきたから傷付く事は無かったけど、思春期の俺にとっては生に絶望するくらい重大な悩みだった。

 他人が聞くと「その程度?」な事が、本人からすると「大事件」なんだよ。

 それは和彦だけでも、俺だけでもない。

 きっと、多くの人達が経験してる事だ。

 俺は膝の上にノートパソコンを置いて、電源を入れた。

 さらっと肩を抱いてくる和彦の胸元に頭を寄せ、体ごとその腕に重心を預ける。……ごく自然にこんな事まで出来るようになっちゃったよ。


「──和彦、傷付いた気持ちはよく分かる。でもみんな、何かしらで傷付いた経験とか思い悩んだ経験ってしてるもんなんだよ。ごくごく一部にそういうのとは無縁の奴らも居るかもしれないけど、そんなのは特異だ」
「……そう、ですか……」
「そうなの。だからっていきなり、社交的になれ!とは言わないから。和彦のペースで少しずつやってこ。立場的に、和彦は克服しなきゃいけないよ。……ほら見てみろ。SAKURAグループ傘下の子会社こんなにあるじゃん。将来、嫌でも人と関わりまくるよ」


 起動させたパソコンの画面を和彦に見せると、髪をかき上げながら苦笑された。

 知ってるとは思うけど、俺が出来る唯一の事を実行しなきゃいけないから、画面上にずらりと並んだ子会社一覧を目に焼き付けていてほしかった。


「ノートパソコン持参したのはこのためですか……」
「リリくんの部屋んぽの途中で調べものしようと思ってたから、この話とは関係ない」
「ふふっ……、そうなんですね」


 しとやかに低く笑う声が妙に好きで、振り返ってその笑顔を拝むとまた息が苦しくなってくる。

 和彦とは出会ったばっかりなんだけど、始まりから今までが濃過ぎた。

 アルバムまで見せてもらって過去の話を聞いたからか、たくさんの年月を一緒に過ごしてきたような、ましてや出会って三ヶ月にも満たないとはとても思えない、不思議な錯覚に陥った。


「なぁなぁ、……なんで俺には人間不信出さずに話し掛けたんだ?」


 ──俺は、甘えてしまった。

 返ってくる答えが分かっていて、心を潤してほしくて、もっと言えば喜びたくて、……問うてしまった。


「以前も言ったと思いますけど、気付かぬうちに七海さんに恋をしていたからです。七海さんが男遊びをしていると誤解していましたから、とにかく誰にも取られたくないと。……勝手の限りを尽くしてしまいましたけど、……」
「でもその勝手があったから、和彦の印象が俺に焼き付いたんだよな。何だコイツ!って」
「もう……笑わないでください……。反省しています……」
「俺、熱出してんのにステーキ焼いてたよな、和彦。今考えたらめちゃくちゃ笑えるよ」
「ガスコンロも初めて触りましたからね……。風邪のお見舞いにはフルーツやゼリー、飲み物を持って行かなくてはと、後から後藤さんから叱られました……」


 はじめは思い出してクスクス笑う程度だったのに、あの時の事を和彦も反芻しながら苦笑している事に腹を抱えて笑った。

 ほんとに、何だコイツ! 変な奴! だった。

 ──それはもう、俺にとっては過去形だ。






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