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前進
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しおりを挟む人には誰しも、秘密にしていたい過去の一つや二つある。
もうバレてしまったけど、俺にだって、特殊な小説や漫画が好きだっていう秘密があった。
むしろ、それについて和彦が深く詮索してこないのが不思議だ。
逆に俺は、何度もそのチャンスを窺ってしまった。
いくらそれとなく聞き出そうとしても、「もう少し経ったら教えます」ってはぐらかす和彦の過去は、確かに本人から聞くのが筋だ。
でも後藤さんは独り言……独白だって言ってる。
たまたまここに俺が居て、入ってくる独白にただ耳をそばだてているだけ──。
そう、そうだよ。俺は車内で和彦の帰りを待ってるだけなんだからな。
「……言葉の刃というものは、幼少時代の感受性が豊かな時であればあるほど、深く心に突き刺さるものです。悪意があろうと無かろうと、突き刺さった刃が心を抉った瞬間に、それは痛みを伴った傷となります」
「…………」
「その傷口を放っておくと、どんどん深く大きくなる。すべてがそういう意味を含んでいるのではないかと、臆病にならざるを得ないのです。さらに傷口が広がらないよう、自衛が働くのでしょうか」
「…………」
言葉の、刃……。
和彦の心に、その刃が……突き刺さってるの?
過去に心ない言葉の刃を向けられて、和彦は深く傷付いた、……そういう事……?
ルームミラーでチラと一瞬だけ俺を見てきた後藤さんは、シートベルトを外し、一度車から降りて自販機でコーヒーを買って戻ってきた。
一度もそういう話をした事がないのに、手渡してくれたそれは微糖ではなくブラックコーヒーだった。
「七海様は甘いものが苦手です」
「えっ……あ、ありがとうございます。あの……何で分かったんですか? 俺、顔的にいつも甘党だと誤解されるんですけど……」
「人は見掛けによりませんからね。第一印象や、その人を知らぬ間の根も葉もない噂、そういうもので人を判断してはいけませんよね」
「……そ、そうですね……」
冷たいコーヒーを手にルームミラー越しに会話をしていた俺は、後藤さんの独白があれだけに留まった訳を考える。
何だかずっと、宙を彷徨っているかのようなふわっとした言い回しが続いていて、後藤さんは以前のように核心に迫る事は言わないつもりなんだと悟った。
高級料亭の駐車場は周囲の景色とは遮断されていて、ポツポツとしか外灯が無くて薄暗い。
いくつも停車した黒塗りの高級車の車内には、もれなく運転手さんが待機していて異様な光景だ。
そのうちの一つに、俺と後藤さんも居る。
異様なのは俺と和彦の関係もそうで、独白と称してまたも後藤さんは、知り合って間もない俺達にはありがたいお節介を焼いた。
「──和彦様が、七海様を想って後悔に沈んでいらっしゃる最中、この後藤は久方ぶりに和彦様を叱咤いたしました」
「え……?」
「事情を聞き、和彦様がひどく項垂れていらして気の毒だと思う反面、何故そのような後悔をする羽目になったのかよくお考えくださいと申しました」
「……後藤さん……凹んでる和彦にそれ言ったんだ……」
「はい。過去に御自身もツラい経験をされておきながら、その和彦様がお相手様を傷付けるような真似をしでかすなど、何も学んでいないではありませんか。何のために傷口を塞がないでおいたのか、まったくもって分かっていらっしゃらない」
うん、分かる。身勝手だったよ、和彦は。
和彦の人となりや素性を知った今になってみれば、理解出来る。
あのおかしな言動の数々は、和彦なりに一世一代くらいの気持ちで俺に関わったんだ。
他人が苦手だ、嫌いだと挨拶もロクにしないで周りとの接触を断ちたがるのに、俺にはグイグイきてたもんな。
関わるどころか俺の「初めて」奪いやがったし。
後藤さんは尚も続けた。
「……先程の会話、失礼を承知で聞かせて頂いておりました。七海様は和彦様の事を本当に思ってくださっているのが、とてもよく伝わりました」
「あ……まぁ、……恥ずかしくてあんまり和彦には言えてないんですけど、……俺、今は……かなり和彦の事好きなんです。最悪だって思ってたあの日、過去の傷を疼かせてしまったかもしれないのに、和彦はそんなのも忘れて俺をおかしな魔性で閉じ込めた。……多分、和彦は俺じゃないと駄目なんです。すごく偉そうな事言ってるって分かってます。でもそう思うんです。ほんとは優しいくせに、優しくできないって嘆くから放っておけないんです」
唇が勝手に惚気を紡ぐ合間、脳裏に和彦の困り顔が浮かんだ。
「七海さん」と優しいイケボで呼び掛けてくる、自信なさ気な微笑みと一緒に。
和彦は、暴走しない限り肩に小鳥とリリくんを乗せたメルヘン王国の王子様だから、いくらドヤ顔の方が好きだって言ってもあんまり期待はしないでおく。
あれが和彦なんだから。
第一印象に惑わされたのは、俺も一緒だった。
本質を知らないで暴言吐いて、自分の気持ちに気付けないまま和彦との出会いを最悪なものだと結論付けて、勝手に怒りを覚えていた。
思えば俺も、「言葉の刃」をたくさん言い放ってしまってる。
嫌なら頑として無視してれば良かったのに、和彦にたくさん刃を向けた。
初めてを奪ってくれたのが和彦で良かった。 ──そう思ってる事、俺はまだ言えてない。
まともに「好き」とも、言えてない。
和彦の心に、俺の言葉の刃が刺さったまんまだったらどうしよう。
俺にしか治癒出来ない傷口を、無意識のうちに広げてしまっていたらどうしよう。
優しいなんてもんじゃない、和彦の優しさは甘いんだよ。
俺はその甘さに胡座をかいてないか……?
ただでさえ脆い和彦の心を、照れるからって理由で安心させてやれてない。
だからあんなに和彦は……不安でいっぱいなのかな……。
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