優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

文字の大きさ
上 下
123 / 206
さざ波 ─和彦─

しおりを挟む



 昨日はあれからすぐに、七海さんの限界がきた。

 規則正しい寝息を立てる、綺麗でいてあどけない寝顔に、今の今まで起きてたでしょ?と話し掛けても当然応答はなかった。

 眠気には勝てない七海さんの足が、それの合図となるぴょこぴょこにも気付かないほど、僕は社のセクハラ事件に驚愕していた。

 ……七海さんを一睨みして口止めした男への怒りも相応に。


「ところで……僕も一味に加えてもらえるんですよね?」


 衣装部屋で食事会の支度をしている僕にピタリと張り付く七海さんに問うと、不満気に見詰め返される。

 ホテルのホールのような開けた場所ではないから今日の潜入は難しい、と告げてから七海さんはずっと不機嫌だ。

 朝一でそのやりとりをしたから、かれこれ八時間以上は可愛らしく唇がツンと尖りっぱなし。


「一味って何だよ」
「七海探偵社の一味ですよ」
「もっと分かんない」
「……七海さん、セクハラ男の名前を教えてくれたら、僕がきちんと対処します。そんなに膨れないでください。可愛いだけですよ」
「…………むぅ……」


 七海さんの熱意は尊重したいのだけれど、交流会の会場に潜入したとしてもどのみち関係者以外はシャットアウトされる。

 まだ社員に名を連ねていない、ただの社長の息子というだけでその場に行く僕には、堂々と七海さんを同席させてあげられない。

 僕がもっと上に行かなければ、紹介すらも出来ないなんて不甲斐ないの一言に尽きる。

 けれど、これが現実。

 七海さんに忠義を尽くすためには、まず僕が佐倉和彦である事を自覚しなければならない。

 僕の事を「ヘタレ」と呼ぶ七海さん。

 恋人がいつまでもそんな「ヘタレ」で居たら七海さんに呆れられてしまうから、僕は世襲がどうのなんてもう言わないんだ。

 目撃してしまったからには、何としてもセクハラ事件を解決したいと意欲を燃やす、七海さんの不退転の決意に僕も触発された。

 腕時計を嵌めて、鏡の前でネクタイを結んでいると七海さんが膨れたまま背後にやって来る。


「……行きたい」
「…………可愛い。おねだり……」
「何とでも言えば。……一緒に行かせて。外から出席者見るだけでもいいから」


 でないと、名前教えない。……背中にぴとりとおでこを付けて、可愛くそんなおねだりをされた。

 熱意は分かった。おねだりも可愛かった。

 という事で、「良い子にお留守番していてください」は撤回しようと思う。


「……分かりました。退屈させてしまいますが、後藤さんの車で待っていてくれますか? なるべく早く切り上げて戻って来ます」
「退屈なんてしない。パーティーの間は本読みながら頭の中で作戦立てるし。あっ、ルーズリーフ持って行こう」
「作戦、ですか?」
「うん。松田さんのためにも、早めに解決してあげないとだろ。バイト始めたばっかの俺には出来る事が限られてるし、それなら和彦の名前と地位をフルに使ってもらおうかなって思ってる」
「……僕にはまだ、そんな力ありませんが……」
「使わざるを得ないんだよ。相手が相手だから」
「え? セクハラ男と僕に何か関係が? そろそろ名前を教えてください……って、あれ、ちょっ……七海さーん」


 僕がスーツのジャケットを羽織ったところで、七海さんはパタパタとルームシューズの底を鳴らして衣装部屋を出て行った。

 僕に告げるのは躊躇われると言って、今の今まで語られずにいるセクハラ男の名。

 ──七海さんは、なかなか取引上手だ。

 前髪とサイドをまとめて後ろに緩く撫で付けて、洗面台で手を洗っていると準備万端な七海さんが小走りで戻ってきた。

 何故かパソコンは使わずアナログな手書きにこだわる七海さんの鞄には、卒論のため前々から読んでいる分厚い本と、筆記用具、ルーズリーフがごっそり入っていて、それを「見て見て」と言わんばかりに得意気に見せてきた表情が、まるでいたずらっ子のようで頬が緩んだ。


「僕の小悪魔ちゃんは本当に探偵になれそうですね」
「それ言うなっての! ……てか和彦、そうしてるとやっぱあれだな、……」
「なんですか?」
「いや、なんでもない」


 重たい鞄をさり気なく奪うと、七海さんが僕から視線を逸らした。

 ……なんでもない、の顔じゃないんだけどな。

 腕を掴んで胸元に抱き寄せると、オレンジブラウンの髪が揺れてほのかに甘いシャンプーの香りがした。

 見上げてくるその表情は、僕が今一番大好きでいて、かつ瞬く間に思考を鈍らせる僕にとっての弱点になりつつある。


「七海さん、エッチな顔していますよ」
「…………! してない!」
「そうですね、していないですね。それは……無意識の魔性でした」
「魔性なんてないってば。……な、なぁ、早く行こ?」
「待って。そんな顔で外は歩かせられません」
「どんな顔だよ!」
「七海さんは知らなくていいです」
「おいっ、もう出掛けるんだろ? こんな事してる場合じゃ……っ!」


 僕の腕から逃れようとした七海さんの頬を取って、ゆっくり顔を近付けていくと途端に抵抗が無くなる。

 温かな唇に触れて、柔らかい舌を誘っていて思い出した。

 ……昨日はセックスはおろかキスもしていなかった。



しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」  洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。 子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。  人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。 「僕ね、セティのこと大好きだよ」   【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印) 【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ 【完結】2021/9/13 ※2020/11/01  エブリスタ BLカテゴリー6位 ※2021/09/09  エブリスタ、BLカテゴリー2位

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

続きは第一図書室で

蒼キるり
BL
高校生になったばかりの佐武直斗は図書室で出会った同級生の東原浩也とひょんなことからキスの練習をする仲になる。 友人と恋の狭間で揺れる青春ラブストーリー。

処理中です...