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さざ波 ─和彦─
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しおりを挟む昨日はあれからすぐに、七海さんの限界がきた。
規則正しい寝息を立てる、綺麗でいてあどけない寝顔に、今の今まで起きてたでしょ?と話し掛けても当然応答はなかった。
眠気には勝てない七海さんの足が、それの合図となるぴょこぴょこにも気付かないほど、僕は社のセクハラ事件に驚愕していた。
……七海さんを一睨みして口止めした男への怒りも相応に。
「ところで……僕も一味に加えてもらえるんですよね?」
衣装部屋で食事会の支度をしている僕にピタリと張り付く七海さんに問うと、不満気に見詰め返される。
ホテルのホールのような開けた場所ではないから今日の潜入は難しい、と告げてから七海さんはずっと不機嫌だ。
朝一でそのやりとりをしたから、かれこれ八時間以上は可愛らしく唇がツンと尖りっぱなし。
「一味って何だよ」
「七海探偵社の一味ですよ」
「もっと分かんない」
「……七海さん、セクハラ男の名前を教えてくれたら、僕がきちんと対処します。そんなに膨れないでください。可愛いだけですよ」
「…………むぅ……」
七海さんの熱意は尊重したいのだけれど、交流会の会場に潜入したとしてもどのみち関係者以外はシャットアウトされる。
まだ社員に名を連ねていない、ただの社長の息子というだけでその場に行く僕には、堂々と七海さんを同席させてあげられない。
僕がもっと上に行かなければ、紹介すらも出来ないなんて不甲斐ないの一言に尽きる。
けれど、これが現実。
七海さんに忠義を尽くすためには、まず僕が佐倉和彦である事を自覚しなければならない。
僕の事を「ヘタレ」と呼ぶ七海さん。
恋人がいつまでもそんな「ヘタレ」で居たら七海さんに呆れられてしまうから、僕は世襲がどうのなんてもう言わないんだ。
目撃してしまったからには、何としてもセクハラ事件を解決したいと意欲を燃やす、七海さんの不退転の決意に僕も触発された。
腕時計を嵌めて、鏡の前でネクタイを結んでいると七海さんが膨れたまま背後にやって来る。
「……行きたい」
「…………可愛い。おねだり……」
「何とでも言えば。……一緒に行かせて。外から出席者見るだけでもいいから」
でないと、名前教えない。……背中にぴとりとおでこを付けて、可愛くそんなおねだりをされた。
熱意は分かった。おねだりも可愛かった。
という事で、「良い子にお留守番していてください」は撤回しようと思う。
「……分かりました。退屈させてしまいますが、後藤さんの車で待っていてくれますか? なるべく早く切り上げて戻って来ます」
「退屈なんてしない。パーティーの間は本読みながら頭の中で作戦立てるし。あっ、ルーズリーフ持って行こう」
「作戦、ですか?」
「うん。松田さんのためにも、早めに解決してあげないとだろ。バイト始めたばっかの俺には出来る事が限られてるし、それなら和彦の名前と地位をフルに使ってもらおうかなって思ってる」
「……僕にはまだ、そんな力ありませんが……」
「使わざるを得ないんだよ。相手が相手だから」
「え? セクハラ男と僕に何か関係が? そろそろ名前を教えてください……って、あれ、ちょっ……七海さーん」
僕がスーツのジャケットを羽織ったところで、七海さんはパタパタとルームシューズの底を鳴らして衣装部屋を出て行った。
僕に告げるのは躊躇われると言って、今の今まで語られずにいるセクハラ男の名。
──七海さんは、なかなか取引上手だ。
前髪とサイドをまとめて後ろに緩く撫で付けて、洗面台で手を洗っていると準備万端な七海さんが小走りで戻ってきた。
何故かパソコンは使わずアナログな手書きにこだわる七海さんの鞄には、卒論のため前々から読んでいる分厚い本と、筆記用具、ルーズリーフがごっそり入っていて、それを「見て見て」と言わんばかりに得意気に見せてきた表情が、まるでいたずらっ子のようで頬が緩んだ。
「僕の小悪魔ちゃんは本当に探偵になれそうですね」
「それ言うなっての! ……てか和彦、そうしてるとやっぱあれだな、……」
「なんですか?」
「いや、なんでもない」
重たい鞄をさり気なく奪うと、七海さんが僕から視線を逸らした。
……なんでもない、の顔じゃないんだけどな。
腕を掴んで胸元に抱き寄せると、オレンジブラウンの髪が揺れてほのかに甘いシャンプーの香りがした。
見上げてくるその表情は、僕が今一番大好きでいて、かつ瞬く間に思考を鈍らせる僕にとっての弱点になりつつある。
「七海さん、エッチな顔していますよ」
「…………! してない!」
「そうですね、していないですね。それは……無意識の魔性でした」
「魔性なんてないってば。……な、なぁ、早く行こ?」
「待って。そんな顔で外は歩かせられません」
「どんな顔だよ!」
「七海さんは知らなくていいです」
「おいっ、もう出掛けるんだろ? こんな事してる場合じゃ……っ!」
僕の腕から逃れようとした七海さんの頬を取って、ゆっくり顔を近付けていくと途端に抵抗が無くなる。
温かな唇に触れて、柔らかい舌を誘っていて思い出した。
……昨日はセックスはおろかキスもしていなかった。
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