優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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さざ波 ─和彦─

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 許せない。

 口止めしなければならないほどの事をしておいて、その上、僕の七海さんを悩ませるなんて許しちゃおかない。

 一体どこのどいつなの。

 七海さんはバイトを始めてまだ五日なんだよ。

 それなのに男気溢れる七海さんは、何とかしてあげたいんだと興奮気味に力説してきた。


「七海さん、落ち着いて。一から説明してください。松田さんって確か、経理課の女性社員ですよね」
「うん、そう。俺あんなのドラマだけの話かと思ってたんだよ……! そうそうある事じゃないよなって! でも違ったっ」
「……ねぇ七海さん、まったく説明になっていないですよ」
「説明ってどう言ったら……あっ!」


 顔はすぐには思い出せないものの、経理課の松田さんという名は聞き覚えがある。

 経理課に配属されて一週間、僕もその松田という女性に仕事を見てもらっていた。薄情にも、まったく微塵もどんな人か浮かばないのだけれど……。

 現場の光景を思い出してしまった七海さんは、普段の冷静さを欠いている。

 話が見えない僕の前で、何かを閃いてパチンと手を打った七海さんはとっても可愛かった。


「どうしました?」
「セクハラ! あれはセクハラだ!」
「……セクハラ?」
「うん、絶対そうだ。松田さん、偉い人にセクハラされてる。やめてくださいって何回も言ってたのに、やめなかったんだよ、そいつ!」
「…………」


 ──実際の企業内では幾人もが、ハラスメント行為によって内々に処罰されていると聞いた事はあったけれど、それが父の会社内で現実に起こっていて、しかも七海さんが直に目撃してしまったなんて耳を疑う事象だ。

 たった五日、されど五日。

 松田さんに真実を問うわけにもいかず、「偉い人」から口止めされて僕にも話す事が出来なかった七海さんは、さぞ心苦しかったに違いない。

 無理矢理にでも、気になる台詞をボソッと呟いたあの日に聞き出してあげていれば良かった。

 それこそ、無理強いしてでも。


「七海さん……その偉い人から口止めされたっていうのは、どうやって……?」


 僕は七海さんの体を抱えてテディベア状態にした。

 優しく後ろから抱き締めると、僕の腕を握って胸に頭を寄せてくる七海さんは、無防備そのもの。

 そんな可愛い事をされたら、どうしたって下半身が疼くけれど今はそれどころじゃない。


「目で「誰にも言うなよ」って」
「……睨まれたんですか?」
「っぽい。バイト初日に、松田さんを追い掛けて俺……給湯室に行ったんだ。中で松田さんと別の人の声がしたから、最初は仲良い人と喋ってんのかなーと思ってノックしないでいたんだよ。そしたら中から、「やめてください」って聞こえて……」
「そして、偉い人が出て来たところに、七海さんと目が合った、……という事ですか」
「そう。……誰にも言わないでよ、絶対。和彦だから話したんだからな」


 睨みで口止めされたって……。

 松田さんにセクハラしている男は、自身にも悪い事をしている自覚があるという事か。

 ……分からないな。それが社内に広まるとマズイのなら、なぜ自覚のある悪事をわざわざその社内で働いてしまうんだろう。

 事が事だから、松田さんが誰にも告げ口出来ないのをいい事に好き放題しているのではと、嫌でもそんな結論に行き着く。


「分かっています。セクハラは由々しき問題です。見て、聞いてしまったからには、解決しましょう。……七海さんを睨んだという罪も上乗せになりましたしね、その方は」
「罪ってほどじゃ……」
「罪です。大罪です。本音を言うと、七海さんを僕以外の人の目に触れさせたくありません」


 僕の七海さんと視線を合わせただけでも罪なのに、さらに睨みで七海さんの意思を支配しようとしたなんて大罪に決まっている。

 相変わらず和彦は怖いなぁと薄く笑う七海さんをぎゅっと抱き寄せて、髪にキスを落としながら、話してくれた事に感謝をした。

 言葉なんて意味を成さないと思っていたけれど、七海さんの言葉が僕の胸を打って奮い立たせてくれたように、僕も真摯に伝えてみたら思いは通じた。

 ──七海さんが、僕を信じてくれた。


「偉い人って、みんな ああやって弱い者を抑えつけて自分の思い通りにしようとしてんのかな」
「……みんなではありませんよ。ちなみに七海さん、相手の顔は覚えていますか?」
「覚えてる。社員証も見たから、検索して調べてみた」
「えっ!? 調べてみたって……」
「それが誰かっていうの、和彦に話すべきかめちゃくちゃ躊躇ってる。偉い人には違いないし、多分この事が明るみに出たら、出世どころか会社にも居られなくなるよな?」
「ちょっと、七海さん、七海さん。何だか一人で解決する気満々じゃないですか。僕も一味に入れてくださいよ。誰なんですか、そのセクハラ男」


 初日にそんなものを目撃してしまったというのに、七海さんは狼狽える事なく相手の特定をすでに済ませているなんて、物凄い行動力だ。

 何とかしてあげたいと言った言葉通り、七海さんには使命感が生まれている。

 口止めされても、それを真に受けていない。

 むしろそれを逆手に取って、分かりましたと従順なフリをしてこっそり裏を取ろうと、僕の知らないところで目下奮闘中だったみたいだ。

 どうりで初日以降は「気が晴れた」「疲れた」と口にしなかったはずだよ。

 そういえば僕の七海さんは、強くて、どこまでも優しくて、おまけに推理推測が得意な(好きな?)ちょっとした名探偵だった。



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