119 / 206
さざ波 ─和彦─
4
しおりを挟む七海さんのキラキラだった金髪が、以前よりかなり落ち着いた髪色になった。
オレンジブラウンって言ってたっけ。
少しだけ毛量を減らして毛先を切りました、と美容師さんに伝えられた僕は、仕上がった七海さんがあまりに素敵で、鏡と本人を何度も往復して見てしまった。
わざわざ施術直後に僕に伝えに来てくれた美容師さんは、施術前からしきりに七海さんを構う僕を見て何かを勘付いちゃったみたいだけど……それならそれでいい。
今日は話し掛けないでオーラを出さなかった事で、美容師さんは退店直前まで色々とヘアケアについてを語ってくれたけれど、僕には何が何だか分からなかった。
七海さんが隣に居てくれたおかげで、人と接するのが嫌じゃなくなっていた事にせっかく気付けたというのに、現在、僕と七海さんは離れ離れの階で仕事をしている。
営業一課に配属された僕は、自社製品を卸している企業相手に新たな製品を勧めるために営業社員が持つ、資料作りを任されていた。
手広く様々な品を扱っているから、いきなりの長期休暇(病欠含めだ)を取られてしまうと、やらなければならない事がどんどん先送りになって、スムーズに仕事が進まない。
そんな不測の事態に備えて、父の会社では、通常業務終わりの短時間の派遣バイトやインターンシップ制度を積極的に活用していて、ブラック企業に名を連ねないように相当に気を配っている。
厳格な父が考えそうな事だ。
僕は一年半、何食わぬ顔で派遣バイトとしてここに勤めているけれど、まだ目立った問題は見付けきれていない。
女性社員同士の小さな揉め事や、上司から部下に対するパワハラめいたものは正直見た事がある。
しかしそれはどこの職場でもあり得る程度のもので、他人の目があるところで行われるそれは皆が周知の事実として受け入れている。
目に余る事があれば僕も黙っているわけにはいかなかったんだろうけど、その境界線が非常に曖昧だ。
皆が愛想笑いをするせいで、社交辞令がはびこるせいで、僕には判別がとても難しい。
そして、社会に出たての僕みたいな若輩者がものを言うのはあまりに軽率で、発言に説得力を持たせるためには、もっと人生経験を積まなければいけない。
佐倉の姓に生まれ、時代遅れな世襲でこの会社を継がねばならないレールの上に居るのなら、甘い考えだった僕に直球過ぎる正論をぶつけてきた七海さんの言う通りにするのが一番だ。
会社のために生きていく。
そんな事を偉そうに思っていた僕の決意なんか、今考えると軽薄過ぎて笑えてくるよ。
僕は何をしていたのか。
これまで生きてきた二十年間、何を学んできたのか。
子ども騙しのような噂に乗って裏も取らずに、不確実な剥き出しの興味だけで七海さんを貶めようとした僕に、どれほどの説得力があるっていうの。
恋を知らずに意味も無く体を繋げてきた過去も、要らぬ言葉の刃に傷付いた過去も、デリートキーを使ってすべて消してしまいたいよ。
七海さんだけがいい。
僕の記憶丸ごと、七海さんさえ居てくれればいい。
完璧な人間なんか居ない。
間違いを犯して、反省して、色んなこと経験して、それを糧に前に進むんだよ。
突然の、芯を食う七海さん講義には本当に痺れた。
──惚れ直してしまった。
こんなに大切で、当たり前で、誰しも気付くべき肝心な事が、僕には欠けている。
けれどきっと、他の誰が言ったところで心に響かなかっただろう。
七海さんが僕だけに向けて言ってくれた事に、大きな大きな意味がある。
僕の腕の中で、過ちを犯して忘れてはならない後悔を抱える僕の未来を、何気なく、照らしてくれた。
変わらなきゃ。……そう思えた。
出会ってすぐだとか、関係ないんだ。
僕は七海さんの事が好き。
誰に対しても向けようとしなかった「優しさ」を、七海さんにはたくさんあげたい。
恋する事を夢見ていた七海さんに、はじまりが最悪だった僕の変わっていく姿を見ていてほしい。
だから七海さん、いつまでも怒っていて。
後悔と愛の狭間で、僕は七海さんと生きていきたいから。
僕の後悔は、決して軽くしてはいけないから。
「七海さん! どうしたんですか、それ……っ」
バイトを始めて五日目の帰り際、僕は地下駐車場で毎日そうしているように七海さんがやって来るのを待っていた。
七海さんがそうして、って言うから、三階のフロアには寄らないで地下まで真っ直ぐエレベーターで降りてきた。
「あ、いや……水飲もうとコップ傾けたら見事に全部溢れて。小さい子みたいだよな」
「そんな事あるんですか? ……風邪引きます、とりあえず車へ」
現れた七海さんの上半身がびっしょり濡れていて、ギョッとしながら確認した背面はサラッとしている。
疲れた様子の七海さんを急いで後藤さんの車に乗せて、僕はシャツを脱いだ。
「七海さん、それ脱ぎましょう。家まで僕のを着ていてください」
「えっ? いや……いいよ、そんな……」
「言う事を聞いてください。そんな絞れそうなくらいびしょ濡れだと、風邪を引いてしまいます」
「……分かったよ」
渋々と七海さんがTシャツを脱いだ。
──あ、あれ、七海さん肌着着てないの……っ?
突然目に入ってきた麗しい体躯を直視出来なくて、咄嗟に顔を背けて濡れたTシャツを受け取る。
僕の紺色のYシャツを着た七海さんは、体格が違い過ぎてまるで着せられている感じになってしまっているけれど、それがあんまり可愛くて思わず二度見した。
袖なんか、指先しか見えない。
「ありがと。和彦はTシャツで平気?」
「大丈夫ですよ。それにしても可愛らしいですね、びしょ濡れの原因を追及するのも忘れてしまうほど」
「いや、だからそれは俺が水を……!」
「帰ったらお話してくださいね」
「なっ……」
……うまく笑えている自信は無かった。
僕が下手な笑顔を向けると、七海さんはハッとした表情をしたから……何かあったのは確かだ。
袖口ごと七海さんの手を握ってみると、微かな動揺が伝わってくる。
0
お気に入りに追加
661
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる