優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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さざ波

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 講義の間、三回は必ずメッセージが届く。

 講義が終わったら、講義室まで秒で迎えに来る。

 次の講義の前は、周囲を気にしつつ瞳で「寂しいです」と訴えてきながら隠れて手を握られる。

 そして、講義室まで送ってくれる。

 『九十分後にまた』。

 そう言って微笑む和彦の後ろ姿を、俺もちょっとだけ寂しい気持ちを抱えて見送る。

 席に座って教授を待つ間、何気なく手首を触るともっと寂しくなった。

 和彦に「おかしいんじゃないの」って騒いだ俺も、相当おかしくなってるよ。

 仮にも恋人だと思ってる相手からこんな痣付けられて、許す奴なんて居ないだろ。

 俺の過去が発端で不安にさせてしまったからって、やっていい事と悪い事がある。

 ブチ切れて色んなとこに噛み付いて、腕を解放してもらったらその瞬間に渾身の右ストレートでもかましてやらなきゃ、……って思うのが普通だよな。

 そう、……それが普通……。


「……あのさぁ、いくらお前らの関係知ってるからって、俺の目の前でそういう事するかねぇ」


 苦笑を浮かべる九条君の視線が、俺の肩に回された和彦の左手に注がれた。

 何の因果か、個室番号「六」のまさにあの時と同じ個室に通されて、和彦と俺、向かいに九条君という並びで木製の椅子に腰掛けている。

 椅子と同素材のテーブルの上には三人三様のアルコールと、和彦があれもこれもと頼んだつまみの品々が並んでいた。

 美味しそうな匂いが食欲をそそってお腹がグーグー鳴ってるのに、どの料理にもまだ手を付けられていないのは、ついさっきまで九条君による店長さんへの取調べが行われていたからだ。


「だ、だよなっ? 和彦、これやめよっか」
「嫌です。絶対に嫌です。店員さんが来たらやめます」
「駄々をこねるな!」
「そんな事より……先程の追及も見事でしたね」


 あっ! 和彦の奴、話をそらしやがった。

 俺の話を聞かないモードの和彦は、とことん俺の意見を無視する。

 本気では嫌がってないってバレてるから、こんなに好き放題されてしまうんだけどな。

 完璧に甘やかされてる俺の肩に乗った和彦の手のひらが、時々ほっぺたや耳に触れてちょっかいかけてくるのは、ちょっと照れるからやめてほしい。


「あ? あれな。聞きたい事をリストアップして返答シミュレーションもしてたし、向こうもサラッと認めたからまぁ……成功だな」


 心なしか得意気な九条君がグラスを傾けて飲んでるのは、前々から好んでる芋焼酎の水割り。

 俺は安定のウーロンハイで、和彦は、さっきまでこの個室に居た店長オススメの新メニュー「カシスモヒート」。

 なんだそれ? と俺はメニューをガン見した。

 それの正体は、カシスリキュールとライムとミント、そこに砂糖を加えてソーダで割ったその名の通りカシスのモヒートで、色と香りがとても爽やかだ。

 以前はカシスソーダを飲んでたから、どうやら和彦はカシスの風味がお好みらしい。

 やっとご飯にありつけて、ボーッとしかけた頭がクリアになってくる。


「はい、お見事の一言でした」
「だろ。で? ウォッカ割りになってたって知った感想は? 後で謝罪のデザート運んでくるらしいけど。足りねぇなら訴えるか?」
「訴え……!? い、いいって。気にはなってたけど、真実知ろうなんて思ってなかったし。和彦のせいじゃないって事も分かったから、それだけでいい」


 九条君の取調べは実に綿密で、あれでは相手はぐうの音も出ないだろう。

 一方的に九条君が追及し、最後の方なんて店長さんはただ平謝りに徹していた。

 あの日はほんとに店は大混雑で、キッチンからホールまでも大混乱って感じだった。

 新人スタッフと店長だけの週末を迎えたこの居酒屋と、俺のウーロンハイを担当した人がテンパってしまった、単に悪運が重なっただけ。

 それを今さら知ったところでもう何とも思わない。

 気になってた事が分かって良かったなぁ、くらいだ。

 ありがたいけど、息巻いてる弁護士志望の九条君の熱量に俺はついていけないよ。

 久々に飲むと美味しいウーロンハイを半分くらいまで飲んで、キャベツを咀嚼しながら感嘆の声を上げた。


「すごい……リストアップなんてしてたのかぁ……」
「七海さんと一緒ですね。七海さんもリストアップ好きですもんね」
「え、……好きなわけじゃないよ?」
「手書きにこだわって作成してたじゃないですか」
「手書きってまた渋いな。七海、何をリストアップしたんだ?」
「……和彦の短所」
「は!? あははは……っ! 恋人の短所リストアップするってなぁ、別れる間際のカップルがやる事だぞ!」


 ゲラゲラと笑う九条君の、こんなに楽しそうな姿は見た事ない。

 和彦はキョトンとして笑い転げる九条君を見てるし、それもまた可笑しかった。


「僕の直さなければならないところはいっぱいあるので、七海さんがお手伝いしてくれているんです。……ね?」
「そう。和彦って変だろ。しかもヘタレで若干の人間不信あるらしいから、身近にいる「普通」な俺が少しでも一般人に近付けるようにしてやるんだ」


 そのための「和彦改造計画」だったのに、何も活かされてない。

 あのリストアップした中には「俺の意見を無視する」ってやつもあったはずだ。

 それなのに何なのかな~俺の肩に乗ったままのこの左手は。


「……すげぇ事言われてんぞ」
「そうなんですよ……僕、愛されていますよね。こんなに僕の事を思ってくれているなんて、感激です」
「なんか色々ねじ曲がってんな……。和彦坊ちゃんと話してると頭が沸騰しそうになる」
「分かる分かる。俺も最初はほんとに頭から湯気出てたと思うよ」
「ねじ曲がった思考に取り込まれてるぞ、七海」
「取り込まれてないよっ」
「俺には二人ともが異色に見える」
「えぇー!? 和彦と一緒にするなよ! 俺は一般人だ!」


 なんで九条君は俺を「変な人」呼ばわりするんだ。

 和彦と一緒に居るからって、俺は今までと何も変わってないつもりなのに。

 て事は、はじめから俺は「変」だったのか?

 ………いや、絶対にそんな事はない。

 心の中で不満を溜め込んでいると、息ぴったりな返答が右隣と真正面から飛んできた。


「七海さんも普通じゃありませんよ」
「七海も普通じゃねぇよ」
「声を揃えるな!」



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