優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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疑惑 ─和彦─

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 射精の瞬間、頭の中が真っ白になるなんて本当に初めての経験だ。

 ──二度目の絶頂も。 

 どんな感動の言葉も浅く思えてしまうほど、心と脳が満たされた。

 七海さんは意識を飛ばす寸前だったけれど、最後まで可憐な声を聞かせてくれて嬉しかった。


「……七海さん……可愛かったです」
「……っ、……!」
「落ちなかったですね。頑張りましたね」
「……和彦……まだする?」


 おでこを合わせて七海さんの頭を撫でていると、上目遣いで僕の瞳を見詰めてきて心臓に悪い。

 予定外に二回もしちゃって、七海さんがクタクタなのが分かっていたから僕はこれでやめるつもりだったのに。

 まだまだ僕は元気で、内に入ったままのそれで数回擦れば七海さんもきっとその気になってくれる。

 ……なんてね。七海さんはもうヘトヘトだから、三回目となると絶対に最後まで起きていられない。

 七海さんには、意識を保っていてほしい。

 僕を見て、「和彦」って呼んで抱き締めてほしい。

 そのつもりはないけれど、瞳でしっかり「もう無理」と訴えてくる可愛い七海さんの内を、ぐちゅ……と擦って悪戯してみた。


「まだしてもいいんですか? うれし……」
「い、嫌だっ、今日はもうおしまい! どれだけやるつもりなんだよ! 俺は体力の限界だ!」
「ふふっ……。残念」


 僕は笑いながら、繋がったまま身を捩ろうとする七海さんを抱き上げてバスルームに連れて行った。

 中でたくさん出しちゃったから、恥ずかしがる七海さんを押さえ付けて綺麗に洗ってあげた。

 照れたり怒ったり忙しい七海さんは、あの日とはまったく反応が違う。

 初めての時、七海さんはほんの数秒意識を飛ばして、こうして余韻を楽しむ間もなく顔をくしゃくしゃにして「大嫌い」と叫び、ホテルの部屋を出て行った。

 その光景は今でも目に焼き付いている。

 初めてなのに初めてじゃないと誤解され、知らない間に知らない者から貫かれていたらそれは……「大嫌い」と叫ぶに決まってるよね。

 けれど、あの時でさえ僕には分からなかったんだ。

 セックスの重要性が。

 若く堪えきれない性欲を満たす、ただの性処理行為。

 七海さんを知るまで、気持ちいいのは射精の瞬間だけで、前後は感情を失っていた。

 他人に失望し、興味すら持ちたくなかった僕が七海さんに抱いた、果てしない「大好き」の想いと「独り占めしたい」という独占欲。

 様々な出来事一つ一つに心が揺れ動き、色付いた美しい世界を見せてくれた七海さんを、僕はもう……手放す事が出来ない。

 恋した人とのセックスは重要だ。

 想いをたっぷりと伝える事が出来て、僕だけのものだという独占欲も満たされる。

 ただし、知ってしまえばそれだけ、この体と心を僕ではない者から攫われたらどうしようと、不安と恐怖が新たに芽生えてしまった。

 綺麗な体でベッドに横たわり、真っ白なシルクガウンを着せた七海さんをしっかりと腕に抱いて、手首の痣を親指の腹で擦る。

 嫉妬によって猟奇的な思いに支配された、自身の秘めたる破壊衝動はやはり存在するのかもしれない。

 だって……こんなにも充足感がある。

 僕を不安に陥れた七海さんは、確実に僕のものだと実感できるから。

 白い肌に無数に散ったキスマークと同じだ。


「……和彦、……ちょっとだけ痛い」


 これは数日もすれば跡形もなく消えてしまうんだよね……なんて考えながら華奢な手首を握っていると、腕の中の七海さんが僕の手を払い除けた。


「…………?」
「あーあ……めちゃくちゃ痕残ってるじゃん……。痛いはずだ」
「……ごめんなさい……」
「謝るならはじめからするなよ。そんな趣味がないならもうしないで」
「それは……分かりません」
「なんで……! 嫌だったんだからな! あ、あんなの……っ」
「痛みを与えてしまった事は謝りますが、縛った事は謝りたくないです」
「そこを謝ってほしいんだけど!」

 ……そんな事言われても……。

 怒った顔で振り向いてくる七海さんの唇を一度だけ奪って、僕は黙り込んだ。

 この痣を見るとまた興奮してきちゃう僕は、七海さんも知っての通り「おかしい」んだよ。

 「ほどいて」と悲痛な叫びと共に涙していた姿に、僕がどれだけ煽り立てられたと思ってるの。

 この痣は僕の心の声そのものだ。


 僕から離れないで。
 僕だけを見ていると言って。
 誰に好意を向けられても知らん顔して。
 絶対に僕を捨てないで。
 笑顔も泣き顔も僕のものだと自覚して。
 七海さんのすべては僕のものだという事を、毎分毎秒覚えていて。


 何をしたら、何をしなければ、七海さんを繋ぎ止めていられるのかが、僕は分からないんだよ。

 他人の心の声なんて、面倒で煩わしいから考えたくもなかった。

 それなのに七海さんの声は全部聞きたい。

 何を思い、何を感じているのか、すべてを知っていたい。

 そんな僕は……つくづく、人並みじゃないな。


「なんでそこで黙るかな……」


 僕に寄りかかる七海さんから、僕が恐れるものを何も感じない。

 七海さんも、おかしな僕に「恋」をしているからこそ許してくれるんだ。

 ぎゅっと抱き締めて足を絡ませても少しも逃げる素振りを見せないから、僕はどこまでも図に乗る。


「……七海さん……怒ってないから、ごめんなさいはもう言わないです。七海さんの事を好き過ぎる僕が全部悪い、って事にしておいてください」
「投げやりだな? いつ俺が怒ってないって言ったよ。怒ってるよ。手首ヒリヒリして痛いし」
「七海さんは怒ってないです。……怒らないで」
「どっちだよ!」
「ご飯にしましょうか。お腹空きましたよね」


 抱き締めていた腕に力を込めてから、ゆっくりと小さな体を解放して上体を起こす。

 あまりベタベタすると嫌がられるかな、と僕なりに気を使ったのに、七海さんは追い掛けてきた。

 僕のガウンの袖の端を持って見上げてくる、凶悪なる魔性の眼差し。


「あっ、おい! そういえばさっきの四十九人ってなんだ……」
「その話は食事のあとで」

 
 それならばと、僕は七海さんの手を握って甲に口付けた。

 たちまちその頬が赤らむと分かっていた、完璧な確信犯だ。




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