優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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真実

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 暗い中、ストーカーがまだ俺を見張ってんじゃないかとキョロキョロした先で、ほんとに和彦はハイヤーの後部座席に乗って待っていた。

 車内で寝ていたらしい酔っ払い和彦は、バイト終わりの俺を労ってくれつつも冷たいままだ。

 シャワーを浴びて早く寝たいという俺の意思は完全にシカトで、腕を掴まれて連れ込まれたのは和彦の寝室だった。

 俺がここに住むと決まった日以降、こんな事はなかった。

 突然のキスは決まって廊下か俺の部屋で、かつ俺は「何か」を気付けてないらしいから、二度目を奪われそうになった事も一回もない。

 ただし……今日はヤバイかもしれない。

 俺がバイトを優先した事で、和彦は無理やり怒りを抑え込まなきゃいけなくなったから、優しいを繕えていなかった。

 後ろ手に扉を閉めた和彦は、俺の腕を掴んで離さない。

 車内からここまで、ずっとだ。


「痛いって。もう手離せよっ」
「離したら、七海さんはまた僕に嘘を吐いてどこかへ行ってしまうんでしょう?」
「バイト終わったのにこんな時間からどこに行くってんだ! 明日休みだしこれからたっぷり寝るんだよ!」
「今日は僕のベッドで、僕と寝てください」
「──えっ!?」


 僕のベッドで、って……!?

 それはヤバくないか……? 熱出してここに拉致られた時、和彦はわざわざリビングから一人がけソファを持ってきてベッド脇で腰掛けていた。

 あれは俺の看病のためで、手は出さないって決心をちゃんと感じたから……初めてを奪われてすぐだったってのにちょっとだけ感心してたんだよ、あの時。

 で、でも今日の和彦と一緒に寝るなんて、……あの日の再来になりそうで体が慄いた。

 心臓がバクバクし始めた俺の腕を掴んだまま、器用にピカピカな時計を外した和彦に衣装部屋へと連行される。

 意地でもこの手を離すつもりはないみたいだ。


「僕、これでも急いで帰ってきたんです。それなのに七海さんが出掛けたと聞いて、どれだけ焦りを感じたか、憤ったか、分かりますか」
「そんなオーバーな……」
「まさかと思ってバイト先へ行ってみれば、七海さんは何故か九条さんの車に乗っていました。怒らないはずないですよね」


 見上げた先で妖しく微笑む和彦の目は、据わっていた。

 ……ここで笑顔を見せるのは違うと思う。


「いやあの……和彦、その冷たい顔やめてくんないかな……」
「無意識なので無理です。七海さんの魔性と一緒」


 俺が放ってるというその魔性の正体は一体何なんだ。

 冷たい顔するのと俺の魔性が一緒だなんて言われても、そんなの分かるわけない。

 静かにキレている和彦から腰を抱かれてグッと身を寄せられると、香水と紛れて微かに香るアルコールの匂いに気付かされた。

 和彦は俺より二つも年下なのに、上品かつ夜を思わせる混ざり合ったそれは、俺の知らない大人の香りだった。


「……九条さんと二人きりにならないでって言ったのに……七海さん、僕との約束破った……」


 ──わぁ……和彦、めちゃくちゃエッチな顔してる……。


 顔を寄せて切なく囁いてくるこの表情も、こんなにまじまじと見たのは初めてで知らなかった。

 中身はともかく、外見には恵まれ過ぎてる和彦の欲情した顔は、意図せず俺の心臓をゆるゆると揺さぶっていく。


「だから約束なんてしてな……んっ」


 また唇を奪われる……和彦が顔を傾けた瞬間から、予測できたのに。

 のけ反って唇から逃れる事も、合わさった唇に噛み付いて抗う事も出来たはずなのに。

 俺がした事と言えばいつものように、俺のほっぺたに添えられた和彦の腕を力無く持つって事だけ。

 顔はどれだけ怒ってて冷たくても、舌は優しかった。

 俺がこういう事に慣れてないって和彦は知ってるから、ビクビクしている俺の体をソフトに抱いて、ゆっくり舌を交わらせてくる。

 このキスは、俺にとっては抗うべきものじゃないと頭のどこかで毎回教えてくれてるけど……いつも心が肯定しきれない。

 知らない。分かんない。

 この常套句に逃げて、俺は和彦からの「好き」を受け止めない。

 許せないから。俺の初めてを奪った、憎い奴だから……。


「「優しい」は難しいですね。七海さんが気付かない限り、僕はずっと一方通行だ」
「……っな、に……んん……っ」
「ツラいです、七海さん。分かってるのに自覚してもらえないのは、とてももどかしい」
「……ふっ……、……ん……っ」
「早く気付いて。僕がどうして怒っているのか、ちゃんと考えて、……七海さん」


 キスをしながらそんなに流暢に喋るなんて、俺にはとても真似出来ない。

 怒ってる和彦は何度も顔の角度を変えて舌を押し込んでくる。

 「七海さん」、と甘く囁いてくる声に胸が苦しくなって、力も入らない。

 しつこく何分も口腔内を蹂躙されて、どちらのものとも分からない唾液が俺の唇の端から溢れ落ちた。

 それを舐め取った和彦は、俺のおでこにちゅっと音を立ててキスをして、仕上げにキツく抱き締めてくる。


「今日は僕の隣で眠るんです。いいですね?」


 こんなヘロヘロになってる時に、その声は腰が疼いてたまんなくなるから耳元で囁くの……マジでやめて。

 あまりにも刺激が強過ぎる。

 抱き締められた腕から逃れようとするも、力が入らないせいで身動ぎしただけに過ぎなかった。

 慣れてきてしまった和彦からのキスはきっと、俺の中の性への好奇心を存分に駆り立てられてるんだと思う。

 優しくしたいです、って言う前から、気付いてないのかもしれないけど和彦は優しい。

 ちょっと変なだけで、俺を翻弄する舌使いはムカつくくらい手慣れていて、それでいてどこまでも優しい。

 気付いてないのは和彦の方だ。


「……嫌って言っても無駄なんだろ」
「もちろん。今日は七海さんを羽交い締めにして寝ないと、僕の怒りは治まりません」
「うぅ……なんでそんなに怒るんだよ……」
「気付かない七海さんは可愛い。でも「許せない」事があります」


 それは俺が言うべき台詞だろ。

 悪い事したからって俺に冷たい顔して、痛いって言ってんのにギリギリと力を込めて腕握って。

 ──痛かったんだからな。



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