優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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高鳴り

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 和彦の家に住まわせてもらって早二週間。

 お城の中の構造は未だ完璧には知らないけど、俺と和彦が向かい同士で住むこの三階の事はだいぶ分かってきた。

 中央の螺旋階段で降りた方が絶対早いのに、和彦はいつもエレベーターを使う。

 「行ってきます」と俺に微笑んだ和彦は、ピカピカしたゴツくて高そうな時計を左手首に装着し、下向き矢印を押す姿は確かに様にはなっていた。

 あんなに喚いといて何だけど、後ろ姿なんか俺より完全に年上に見えたし。

 まぁほんとに、見た目だけはスパダリなんだよな……。

 中身は超変で甘やかし魔神で、おまけに人間不信(詳しくは知らない)で、大学に居る間はずっと、身分を知られたくないからと言ってマスクと眼鏡で変装している。

 その身分とやらも、俺はまだ知らないんだけど。

 和彦みたいに特殊な人は、どの漫画でも居なかったから対応の仕方が分からないよ。


「ねちっこいキスしやがって……」


 バイトに行く準備のために、部屋で着替えをしながら俺は唇を尖らせた。

 壁ふわされて、本日二度目のキスをされて、締めにほっぺたを撫でられてもジッとしてた俺って……何なんだろう。

 イライラするんじゃなかったのか。

 ずっとずっと大事にしていた何もかもを奪いやがった和彦に、ムカついてムカついてしょうがなかったんじゃないのか。

 俺の気持ちを少しも顧みないで「変な奴」の限りを尽くしていて、当然俺は、和彦の顔なんか見たくないってそう思ってたはずなんだよ。

 それなのに、イラつく元凶と毎日一緒に居て、普通に会話して、豪華過ぎる晩ご飯を振る舞われて、俺の言う事聞かないスタンスを貫かれてバイトも送迎されて。

 果ては毎日恒例となったキスまで受け入れている。

 仕掛けられるいやらしいキスをロクに抵抗もしないで、舌使いに翻弄されて和彦の体にもたれ掛かるなんて、冷静になればなるほど俺の矛盾が浮き彫りになった。


 ──俺……何やってんの。おかしいじゃん。


 和彦からスマホを奪われて着信を切られて以来、めっきり連絡を寄越さなくなった九条君の台詞が蘇る。

 九条君はあの時すでに俺に「矛盾してるぞ」と言っていた。

 こうなる前から、九条君には俺のこの矛盾点が見えてたのか?

 俺自身も分からない事を、九条君も、そして和彦も分かってるっての……?


「なんで自分で気付かないと意味が無いんだ。マジで訳が分かんない」


 繰り返し言われるこの台詞にはもう飽き飽きだ。

 俺に課された難問はいくら考えても解けないんだから、実は答えなんてないんじゃないのって、そんな極論にまで達している。

 そう思わなきゃやってられないって。

 イライラで重たかったはずの心が、和彦と居るとそんなに重たく感じなくなってる事には気付いてる。

 ──だからって、それが何だっていうんだ。





「七海様、どちらへ行かれるのですか」

 
 螺旋階段で一階へ下りた俺に声を掛けてきたのは、能面のように表情が変わらない年輩のメイドさん(使用人って言い方はしたくない)だ。

 熱出して和彦にここへ拉致られた時、脱走しようとした俺を震え上がらせたのが目の前のこの人である。


「あ、あー……コンビニに行こうかと……」
「何か必要なものがあるのならお申し付け下さい。七海様の事は、和彦様から目を離しませんようにと仰せつかっておりますもので」
「目を離しませんようにって……」
「何がご入用ですか。私がご用意致します」
「えっ? い、いや、……」


 そんな……! どうしたらいいんだよっ。

 玄関前でこんな怖い顔で通せんぼされたら、バイトに行けないじゃん!

 適当に、おやつ買いに……なんて言ったら、ものの数分でキッチンから見た事もないようなデザートがどっさり運ばれてくるのは目に見えてる。

 文房具とか本を見繕いに……という言い訳も考えたけど、言ったところでそれもすぐに用意されてしまいそうだ。

 和彦の奴……俺がこの家から出られないようにしてたのかよ。


「七海様」
「…………っ! あ、え、っと、俺ちょっと行かなきゃいけないとこがあるんだ、ごめんなさい!」
「七海様!」


 考えててもしょうがない。

 俺は制止を振り切って、大理石の床を蹴った。

 勢い良く外へ飛び出すと、玄関から門までがまた遠いから軽いジョギングをする羽目になって、バイトに行く前から早くも疲れた。

 ……あぁ、でも、ほんとにごめんなさい、能面メイドさん。

 あなたが怒られないように、和彦には俺からちゃんと説明しとくから許して。


「てか俺が逃げるとでも思ってたの? 目を離さないようになんて……まるで見張りじゃん」


 ぶつくさ言いながらのジョギングの甲斐あって、バスの時間には間に合った。

 和彦のお城からバイト先までは、バスと電車を乗り継いで行かなきゃいけないから時間との勝負なのに……危なかった。


「お疲れー、芝浦。悪かったな、急に。助かるよ」


 時間ギリギリになってしまったけど、俺が到着するや店長がそう言ってペットボトルのミルクティーを差し出してきた。


「全然。お互い様だし。入るの今日だけでいいんですか?」
「ひとまずな」


 俺は明日もシフト入ってなかったし、いつでも代わりますよと告げると、店長は心なしか嬉しそうだった。

 俺には少し大きめの制服を着て、タイムカードを引いて表へ出ると、慣れた手付きで商品を陳列していく。

 この時間はそんなに客が来ないから、無心で品出しをしているとあっという間に0時を回った。

 そろそろ和彦は謎の食事会から帰宅してる頃かな。

 毎晩、律儀に「おやすみなさい」を言いに来る和彦に、俺の嘘がバレないようベッドをこんもりさせて細工して出て来た。

 俺が寝てると分かったら起こそうとなんてしないはずだし、絶対バレない。……と、思う。

 大丈夫だよな?と、よく分からない焦りを感じて腰を伸ばしたその時、大きな手のひらが俺の肩に触れた。



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