優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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高鳴り

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 ● ● ●


 思ってた通り、和彦は狼だ。

 毎日毎日、家の中に居て顔を合わせると素早く唇を奪ってくる。

 遠回しで、まわりくどい言い方で、俺に「まだ気付きませんか」って満面の笑みで一言囁いた後、必ず。

 何の事だよ。ずっと同じ事を繰り返し言われてるけど、分かんないよ。

 サラッとひと思いに教えてくれればいいのに、和彦は「それは七海さんが自分で気付かなければ意味がないんですよ」って、さらなる問題提起をする。

 そして、狼になる。

 「初めて」の時みたいに襲って来ないのが不思議なくらい、それは毎日だ。


「おかえりなさい、七海さん」
「……んん……!? んっ……! ん……っ!」


 三階に上がるなり、メイドさん達が居ないからって廊下で唐突に唇を奪われた。

 大学からここまで後藤さんに送ってもらった俺より先に帰宅していた和彦は、髪を後ろにゆるく撫で付けて、シックなブラックスーツでビシッとキメている。

 先週この装いをしてたのは土曜日だったけど、今日は金曜日。て事は毎週末何かしらのパーティーがあるんだな。……って、今はそんな事どうでもいい!

 油断してたら舌を強く吸われ、何回このキスをしても慣れない俺は苦しくて目を瞑った。

 すると、さらにぎゅっと抱き締められて苦しい最中、濃厚な大人の匂いが鼻を掠めた。

 それは今までに嗅いだ事のない、甘さとスパイシーさが混ざり合った、本物の大人の男みたいな匂いだった。 

 うわわ……和彦、めちゃくちゃいい匂いする……!

 不覚にも全身が痺れてくる。

 立ってられなくなるほど舌を絡ませてくる和彦の猛攻と、耽美な香りにやられて、俺は睨み上げる事しか出来ないのが情けない。

 先週あの発言をされてからずっと、この調子だ。

 強く拒否したいのに、和彦のキスは俺の意思をひどく軟弱なものにさせる。

 こんなのよくない、そもそも俺はお前にムカついてるんだからな、と声には出せずにせめてもの抵抗で睨んでみても、和彦は優しく俺のほっぺたを撫でて、いつもこう言うんだ。


「何年もは待てないですからね」


 ──何を待つんだよ。待てないなら待たなくていいよ。

 ……という台詞は、キス直後の呆けた俺にはとても言えなかった。

 和彦のキスは、呂律が回らなくなるんだよ。

 不本意だけど、俺の体を支えてくれる腕にしがみつく事しか出来なくなる。


「今日、バイトはお休みですよね?」


 腰を抱かれたまま、まだ視界も定まらない俺に和彦から至近距離でそう問われた。

 ……いや、今日バイト入れちゃったんだよな。シフト上は休みだったけど、今日入る奴が風邪引いたらしくて店長からさっき電話受けたとこだ。

 でも和彦はこれから出掛ける用事があって、俺がそれを言うとすぐにでもスーツを脱いで「送迎します」と言って聞かなそうだから、色々悩んだ末に嘘を吐く事に決めた。

 バイトの日は必ず送迎してもらって悪いとは思いつつ、和彦は俺の言う事聞かないから仕方なく……甘えてる。

 やっと頭が回り始めて、体も自由がきくようになってきた。

 さり気なく和彦の腕から逃れて、普段よりゴージャス感が増した男を見上げる。


「……あ、……うん、そうだけど」
「ごめんなさい。今日の食事会はどうしても欠席出来ないんです。帰りは深夜になるかもしれません」
「うん。……どうぞ、行ってらっしゃい」
「読書はほどほどに。いつもの時間には、良い子に寝ていて下さいね」
「い、いい子にって……! 年上! 何回も言ってるけど、俺年上だからな!」


 俺が後退る分より多く、和彦が近付いてくる。ジリジリと、スーツ姿でにじり寄ってくる。

 ……あっ。こ、こういうの、漫画であった。

 めかしこんだ金持ちの男に壁際へと追い詰められて、壁ドンされて、ジーッと意味深に見詰められて、平凡な受けが「ドキッ」てするんだよ。

 え……だからって俺はしないよ? ドキッ、なんてしないよ?


「僕の認識は、年上なのに可愛い人、です。ほら。ちゃんと、七海さんが年上だって分かってるでしょう?」
「…………っっ」


 …………! 優しい壁ドンきた……!

 和彦のは、ドン、じゃなかった。

 壁に手を付いて、ふわっと俺の事を囲った。 ……壁ふわ……?

 これは見た事ない。

 シチュエーションは見た事あるけど、俺の思考と漫画の中の状況は全然違うから、見詰められてキュン……なんてのもしないんだ、俺は。

 キュン……はしない。でもちょっと、……ドキドキはした。

 今日の和彦は髪型が違うし、見慣れないスーツ姿だからだ。きっとそうだ。

 このドキドキは、「そんなめかしこんじゃって」っていうドキドキなんだよ。

 和彦の奴、見てくれだけはほんとに最高で、この格好してるとすべてを手に入れた上質な男にしか見えないから……。

 うん、そう。見た目だけは、完璧なスパダリ。

 ──だ、だめだ。毎日キスされてるせいで、俺の感覚が麻痺してきてる。


「七海さん。何を考えてるんですか。最近よくその顔しますよね」
「どの顔だよ! 俺はいっつも同じだ!」


 鼻先がくっつきそうなくらい、顔を寄せられた。

 ドキドキがうるさい。

 俺を「好きだ」と言う、優しくて甘い微笑みをこんなに近くで見せられると……和彦がイラつく相手だって事も、初めてを奪った許せない奴だって事も、忘れてしまいそうになる。


「可愛い七海さん。そんな顔、他の人に見せちゃダメですよ。最近の魔性は威力が桁違いだ」



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