優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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接近者 ─和彦─

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 七海さんと気持ちが通い合うまで、同じベッドには入らない。

 僕の家に来てもらうと決めた時、このルールだけは守らないと絶対に手を出しちゃう自信があるから、とてもじゃないけど隣では眠れない。

 すごく驚かれはするけれど、僕が突然キスをしても嫌がらない七海さんは、いざセックスに持ち込んでも拒否してくれないような気がした。

 あの日のように、何かに取り憑かれたみたいな状態で大切な二度目はしたくない。

 セックスの最中に「分かんない」を繰り返されたら、さすがの僕も「何故分からないの」と言って意地悪に責め立ててしまう。

 その自信も絶対的だった。

 七海さんが自分の気持ちに気付いたその時でないと、僕の後悔はいつまでも心の奥底に留まり続ける。

 それに、ただでさえ僕のせいでたくさん悩ませて七海さんは疲労困憊だったのに、知らない家で生活するストレスを考えたら、バイトがない夜くらいは一人にしてあげたかった。

 確実に七海さんを手に入れるためには、多少の我慢と妥協、そして、僕には不慣れな優しさが必要なんだ。

 でも、あれから一週間経っても「分かんない」の常套句が上手なままの七海さんは、一日一回必ず僕から不意打ちのキスを受けているにも関わらず、可愛い顔をしてただ僕を見上げてくる。

 この調子だと、七海さんが自分の気持ちに気が付くまで本当に何年もかかっちゃいそうで、そこだけは不安視している。

 急かしはしないと言ったもののそんなに待てる余裕もないし、だからといって焦らせたくもない。

 急かせば七海さんは必ず混乱する。

 僕も初めての恋に胸を焦がしてあたふたしているけれど、はじまりが最悪だった七海さんは僕以上に戸惑いが大きくて、むしろ「恋」そのものを忘れようとしているのではないかとさえ感じられる。

 目を背けないで、と言った意味も分かっていなさそうだから、今現在、僕の忍耐力が試されているというわけだ。


「そろそろいいかな? ……七海さーん」


 僕は向かいの部屋をノックした。

 勉強と論文に集中したいと言っていた七海さんは、バイトがない日は夕飯のあと三時間ほど部屋に引きこもる。

 そして、二十三時には眠る。

 生活パターンが読めてきた僕は、眠たくてウトウトした七海さんにおやすみのキスをしに行く。これは、毎晩。

 扉を開けて中へ入ると、ベッドに腰掛けて伸びをしていた七海さんは、ちょっとだけ疲れた顔をしていた。


「七海さん、論文は進んでますか?」
「んー、まずは本読まなきゃだから。ほら先週、俺が脚立から落ちそうになった日に取ろうとしてたやつ」
「あ、あぁ……あの日のですね」
「それがさぁ、不思議なんだよ。次の日図書館行ったら、司書のおばちゃんが食い気味で俺にこれ渡してきてな。俺が借りたかった本、なんで分かったんだろ」


 あれは、あらゆる出来事が目まぐるしく起こった、七海さんがこの家にやって来た日の事だ。

 無謀にも脚立の上でピョン、とジャンプして指先が本に触れたのか、落ちかけていたそれを僕が後から見付けて一か八か職員の人に預けておいた。

 ──良かった、あの本で合ってたんだ。


「あの……それ、僕が届けたんです」
「えっ……?」
「必要なのかなと思いまして……」
「え、あ、……そう、なんだ……ありがと。…めちゃくちゃ助かってる」
「いえ、その……お役に立てて嬉しいです」


 不思議そうに首を傾げた七海さんがみるみる照れ出して、お礼を言ってもらうつもりなど無かった僕には嬉しい誤算だった。

 七海さんの隣に腰掛けようとしていた僕も、つられて照れてしまう。

 色白のほっぺたが色付く様を、最近は何度も見ているせいかすぐに自惚れそうになっていけない。

 ──まだダメ。七海さんの魔性は無意識なんだ。自惚れて事を急いだら、「初めて」の二の舞になってしまう。


「そうだ……っ、あの時和彦が助けてくれなかったら、俺マジで大怪我してたかもなんだよな……!」
「そうですね。見掛けたのは偶然でしたけど、怪我が無くて良かったです」
「うん……マジで偶然だった。あの日はこれ借りたくて急いでたから、探さなかったんだよ」
「…………? 何を探さなかったんですか?」
「え? そりゃ和ひ……」


 言いかけたところで、ベッドの上に放られていた七海さんのスマホがブルブルと震え始めた。

 ──いま七海さん……和彦、って言おうとした?

 探してたって? ……僕を……?


「あっ! で、で、電話だ! ははっ……」


 画面を確認した七海さんは、僕とスマホを交互に見て分かりやすく動揺している。

 誤魔化しが下手だ。七海さん、やっぱり「和彦」って言おうとしてたんだ。

 ……けれど、僕を探していたという意味が分からない。

 文句を言いたかった? いやそれなら〝偶然〟なんて言うはずないか。


「……電話、誰ですか?」


 七海さんの手に在るスマホの振動が止まない。

 こんな時間に電話を掛けてくるなんて相手は一体誰なんだろうと、些細な事で嫉妬の炎を燃やす僕の表情は強張った。そしてさらに、七海さんが放った着信相手の名を聞くとほぼ反射的に頬がヒクつく。


「……九条君」
「こ、こんな時間に?」
「たぶん飲みの誘い、かな」
「……出なくていいですよ」
「い、いやそういうわけには……」
「出ないでください」
「あ! こら、和彦! 返せっ」


 ……やっぱり九条さんか。

 恋敵の名を聞くと一気に僕の心が暗闇に包まれる。

 問答無用で七海さんからスマホを奪い、応答拒否した。


「あーぁ、切っちゃった」
「……七海さん、あの日探してたものって何ですか? ……いや、「誰」ですか?」
「うっ……」
「七海さん」


 今は九条さんの事でイラついている場合じゃないよ。

 七海さんが言いかけた僕の名の意味を、教えてほしかった。

 何より、僕の前で他の男からの電話を受けようとした事も嫌だったから、顔がヒクヒクして強張ってしまうのもしょうがない。

 足を組んで、俯いた七海さんのウロウロする視線を捉えるために体を寄せて前のめりになる。

 すると七海さんは、蚊の鳴くような声で白状した。


「……和彦の事、探してた」



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