優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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初めてを奪われました ─和彦─

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 七海さんが同乗した車中、後藤さんは何だか気まずそうだった。

 理由を聞いてみると、ネットカフェ難民である事は口止めされていたのに、迷わず僕に話してしまい七海さんとの約束を破ってしまったから、らしい。

 口止めされていたとしても僕は教えてもらえて良かったし、七海さんも気にしてる素振りは無いのに後藤さんは何度も七海さんに謝っていた。

 自宅に到着し、七海さんを僕の部屋の向かい側に案内するとすぐに苦い顔で見上げてくる。


「後藤さんに悪いことした……。和彦からも言ってあげて、俺気にしてないって」
「分かりました。後藤さんは僕と七海さんの事が心配だったんですよ。お節介をしてしまったと思っているのかもしれません」
「お節介……」


 優しい七海さんは、しきりに謝罪していた後藤さんの姿に胸を痛めている。

 大丈夫ですよ、と僕が何度言っても、七海さんはもちろん後藤さんも終始気まずそうで、二人の柔らかな気持ちにほっこりとした気分になった。

 七海さんが合コンの席でちょこちょこ動き回っていた姿を見た時と、同じ気持ちだ。

 ……優しさを感じると、何だか温かい気分になるんだ。知らなかったな。


「ここ、ほんとに俺が使っていいの? 要相談って言ってた家賃、俺一ヶ月分すら払える気がしないよ」


 僕から離れて部屋の中を歩き始めた七海さんが、窓の外を眺めたあと不安そうに振り返ってくる。


「それこそ気にしないでください。僕は要相談って言っただけです。お金を受け取るとは一言も言ってません」
「いやでも……」


 視線を彷徨わせる七海さんの元まで行くと、すぐに僕を見上げてきた。

 ……可愛い人。おまけに慎ましい。

 七海さんはその見た目から、もっとヤンチャそうな子に見えるのにな。

 印象とは真逆でも、その通りでも、僕はどんな七海さんでも心を奪われていたと思うけど。

 ふわっとした明るい髪に触れたい気持ちを堪えて、不安そうな七海さんにふっと笑顔を見せてあげた。


「部屋はいくつも余っています。両親は別宅に居て週末しか帰って来ません。気兼ねなく過ごしてください」
「別宅? こんなお城みたいな家があるのに?」
「本社近くのマンションを保有していて、両親は主にそちらに」
「……本社? てか和彦はここに住んでるんだろ?」
「はい。まぁ……幼い頃からそうでしたから。後藤さんも、使用人の方々も居てくれたので寂しくはなかったですよ。七海さんがそんな顔しなくても……」


 僕が両親と離れて暮らしていると知った七海さんは、大きな瞳はそのままに眉を顰めて唇を尖らせ、寂しげな表情になった。

 どうして七海さんが僕より悲しそうなんだろう。

 物心ついた時には、僕の両親は「社長」と「その妻」だった。

 それが僕にとっては当たり前の事だったから、寂しい、悲しい、なんて思った事ないよ。


「……さっきの話と関係ある?」
「さっきの…? あぁ……いや、ないですよ」
「教えてくれない? 気になるんだけど」
「七海さんが自分の気持ちに気付いてくれるまで、話せません」
「だから何だよ、自分の気持ちって。……訳分かんない」


 その常套句、何度聞いても可愛いな。

 僕の気持ちに寄り添い、自分の事のように切ない顔を見せた七海さんの優しさが温かくて、心がムズムズして、……ある衝動が掻き立てられた。

 こんな事、まだ言っちゃいけない。

 狼狽させてしまうのが分かっているのに言えないよ……と、頭で思っただけで、僕の腕はすでに華奢な腰を捕らえてしまっていた。


「キスしてもいいですか」
「──っ!? な、なん、っ? ダメ!」
「ちゅってするだけ。舌は入れませんから」
「いやダメだって、いきなり何を……っっ」


 七海さんはわずかに僕を拒絶しようとした。

 離れようとしたその腰を強く引き寄せて後頭部を持つと、観念したようにすぐさま力が抜けていく。

 ゆっくりと唇を合わせてみた。

 ──温かい。……なんて美味しいの。

 我慢出来なかった僕は、ちゅってするだけ、なんて言いながら触れ合った唇の美味さにたちまち夢中になった。

 でも嘘は吐けない。

 触れるだけのキスで我慢する。深く交わってしまえば、途端にすべてが欲しくなるのが分かっていたから。

 僕は離れようとした。

 それなのに、……七海さんの舌が僕の唇をツンと押してきた。


 ──っ! 無意識なの、? これが無意識の魔性なの……っ?


 誘わないで。温かい舌と、七海さんの慣れないキスの表情は僕の理性を簡単に地に落としてしまうのに。


「う、嘘吐いたな!! 舌は入れないって……!」
「入れてないですよ。七海さんが舌を出してきたんです。それを僕が舐めただけ」
「────!」


 七海さん……やっぱりあなたは魔性の男だ。

 ライトキスで僕は満足だったのに。

 我慢しようとしたのに。

 そんなにほっぺたをピンクに染めていたら、可愛過ぎて、もっと交わりたいと欲張りたくなるじゃない……。

 七海さんの腰から腕に手を回し、ベッドへ誘導したいというさらなる欲を必死で抑えて、僕は平静を装った。


「僕のせいで寝不足だったんでしょう? 今日からゆっくりぐっすり眠ってくださいね。こんな事でお詫びにも何にもならないと分かっていますが、七海さんの気が済むまで僕の傍に居てイライラしていてください」
「はぁっ? イライラなんてしたくないよ!」
「その先に何かがあります。たっぷり時間を掛けて構いませんが、目を背けないでください。僕はいくらでも待ちます。急かしたりしません」
「…………?? あーもうっ! 九条君も和彦もなんでそんな回りくどい言い方するんだよ! ハッキリ言えよっ」


 キスの余韻に浸って、七海さんを安心させてあげようと微笑んだ僕の笑顔が、唐突な恋敵の名前にぴしりと固まる。

 そうだった。

 七海さんの事を本気で狙おうとしていた男が、もう一人居たんだ。


「……九条さん……ね」
「な、なんだよ……和彦、顔怖いよ」



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