優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

文字の大きさ
上 下
47 / 206
本心

しおりを挟む



 見詰める先から和彦が消えて、代わりにこの図書館の女性職員が俺の顔を見下ろしてくる。


「お怪我はないですか!?」
「あ、いえ、大丈夫です。すみません、大きな音立てて。脚立を倒してしまって……」
「構いませんよ。これだけ大きな脚立だと、よくある事ですから。お怪我がなくて何よりです」
「はい……。……じゃ、俺失礼します」
「あれ、お探しの本は見付かりませんでしたか?」
「…………はい、……見付けられませんでした。今日はもう帰らなきゃなんで、また明日来ます」
「そうですか」


 人の良さそうな年輩の職員は、慣れた手付きで正しい位置に脚立を置いて俺に会釈し一階へと降りて行った。

 ……なんであんな嘘吐いたんだろ。

 本、見付けてたじゃん。取れなかっただけで。

 ふとお目当ての本を見上げてみると、俺が指先でちょんと触れたせいでやや飛び出してしまっていた。


「まぁ……明日でもいいや。急いでないしな」


 何かの弾みですぐにポロッと落ちてくるほどは飛び出てないし、ここでまた無理に取ろうと脚立を使ったら同じ事を繰り返してしまいそうな気がした。

 それに、あっちには和彦が居る。

 向こう側にも階下へ下りるための螺旋階段があるけど、利用者の少ない夕方前のこの時間は閉鎖されていた。

 て事は、この付近をもう一度和彦が通るかもしれないって事で、……うん。無理だよ。

 別に話なんてないけど、最近の和彦は前のグイグイきてた和彦とキャラが違い過ぎてて、俺は正直どうしたらいいか分からなくなる。

 ──いや、何考えてんだ、俺。それだとどうにか話がしたいって思ってるみたいじゃん。

 このところ毎日、俺はこんな突っ込みを自分に入れていた。

 その理由というのも、一ヶ月前の九条君との会話を思い出す度に、心がさらに重たくなるからで……。

 溜め息を吐いて図書館を出ると、生ぬるい空気が全身を包んで、全部の毛穴から汗が吹き出してくるのが分かった。

 バイト前の時間をどう過ごそうかと考えながら、額に滲む汗をタオルで拭う。

 広い大学の敷地内を散歩がてら歩きたくても、こんなに暑いとすぐに息が上がってダメだ。

 とにかくどこかのコーヒーショップにでも避難しないと。

 見た目を裏切らない俺は、体力にはまったく自信がない。

 ヘロヘロになりながら目的の場所に向かって歩き出した。

 暑い暑いと思ってるともっと暑くなるから、何か別の事を考えなきゃ…となると、いつも浮かんでくるのは何度も頭の中で再生されているあの日の会話だった──。




 ● ● ●


 俺の部屋を出て行った和彦の背中が、脳裏に焼き付いて離れない。

 膝を抱えてベッドの上で「初めてだった」と言った途端、和彦の顔色が変わったのを間近で見た俺は、なんであんな事言っちゃったんだろって後悔した。

 何も聞かれてないのに、自身の恥ずかしいくらいの乙女思考をすべて曝け出して、……一体何がしたかったんだ。


 俺が「初めて」をどれだけ大事にしてきたか、その前の過程をどれだけ夢見てきたか、それらをあっさりと奪い去った和彦に、俺のこの虚無感を分かってもらいたかった……?


 話してしまったところで「そうだったんですか、それはごめんなさい」って、例の変な奴のノリで軽く返ってくるもんだと思った。

 でも、違った。

 あの様子じゃ多分、俺の言わんとする事以上のものを受け止めて、……帰って行った。
 
 あんなに「七海さん七海さん」って言いながら、俺の話を聞かずに強引の限りを尽してた奴が、その優しげでモデルさんみたいな顔面から一切の表情を失くし、細長い工具を持ち直して何も言わずに肩を落としていた。

 だからって、出て行こうが何しようが、どうでもいい。

 帰ってほしい、もう顔も見たくない、やっと離れられる、そう思ってたんだからむしろせいせいした。


『鬱陶しい奴も居なくなった事だし、七海、行こ』
『……ねぇ九条君』
『ん?』


 ガチストーカーが居ると分かって、九条君は心配気に家に泊まれと言ってくれてるけど、俺は気乗りしなかった。

 キスされそうになって怖じ気付いてるわけじゃない。

 告白してきたのが他ならぬ九条君だったから、俺は躊躇していた。


『男同士でも強姦って成立するの』
『する。状況にもよるが刑法百七十七条にあたる。て事は何、あいつとって……無理やりだったのか?』
『……じゃあ、俺が感じちゃってた場合はどうなるの。それでも成立するのかな』
『…………は?』


 弁護士志望で法律について学んでいる九条君に、俺は自分でも思いがけない事を口にしていた。

 それを知って行動を起こしたかったわけではなく、ただ俺は、許しがたい行為を強いられたはずの和彦の背中が、忘れられなかっただけ。


 噂に振り回されやがって。
 俺の気持ちも体も、セックスを経験する前には戻れない。
 何なら、この悪しき初体験は一生俺の心に残ってしまう。


 ……それだけの事をされたのに、俺はどうして九条君からのキスを拒んだ時みたいに抵抗しなかったんだろって、今考えると俺の行動と言動は、完全に背反していた。




しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」  洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。 子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。  人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。 「僕ね、セティのこと大好きだよ」   【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印) 【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ 【完結】2021/9/13 ※2020/11/01  エブリスタ BLカテゴリー6位 ※2021/09/09  エブリスタ、BLカテゴリー2位

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

続きは第一図書室で

蒼キるり
BL
高校生になったばかりの佐武直斗は図書室で出会った同級生の東原浩也とひょんなことからキスの練習をする仲になる。 友人と恋の狭間で揺れる青春ラブストーリー。

処理中です...