39 / 206
真実 ─和彦─
4
しおりを挟む● ● ●
いつものように伊達眼鏡を掛けて、マスクをする。
目は悪くない。風邪も引いていない。
次第に身分がバレていってしまうまで、僕はひっそりと大学生活を送ろうとしていた。
まだ一年と四ヶ月ほどしか経っていないから、今年いっぱいは穏やかに過ごせるはずだ。
あれから三日が経ち、七海さんはどうしているかと気にしながら週末を迎えている。
アプリを開けば七海さんの居所はすぐに掴めるけれど、九条さんの自宅を行き来するのは見たくなくてそれは開いていない。
それに、僕がこれ以上追い掛けたら七海さんの心の傷が深くなる。
噂なんてとんでもない。
あんなに純粋な子がこの世に居るのかと驚いた。
恋をしてみたかっただなんて、……あれも一種の魔性だ。
あんな事を言われたら、男なら誰でもキュンとする。
そんな初々しい心と体を奪ってしまった僕の後悔は、どこまでも深い。七海さんが受けた傷口より浅い事が悔やまれる。
毎晩、僕のベッドで寝ていた七海さんの寝顔を思い出しては拳を握った。
なんで裏取りしなかったんだろう。
興味本位だったとは言え、簡単に信じていい噂ではなかったのに。
どうして僕は七海さんを汚してしまったの。
恋をした、と気付くのが遅過ぎた。
僕の心に密かに潜んでいた、猛烈な独占欲に支配されて七海さんを傷付けてしまった事を後悔しても、もう遅い。
忘れなければいけない。
これ以上七海さんを追い掛けたら、本当にあのストーカー男と一緒くたになってしまう。
「恋」を知った僕は、相手の気持ちを考えずに行動する事の罪深さも同時に知った。
大人達がしている愛想笑いの本当の意味も、知った。
身勝手な思い込みに振り回されていては、過ちを繰り返すだけ。
学部の違う七海さんとはそうそう講義も被らない。
だから僕は、七海さんへの贖罪の気持ちを一生持ち続けて、七海さんが隣に居ない毎日を生きていく。
──穏やかに、自責の念を持ち続けて、一生。
「本日は本社勤務ではなく、荒川ホテルにて十八時より桂木産業様との立食パーティーがございます。スーツ持参にてお迎えに上がります」
「あぁ……そっか、金曜日か。分かったよ」
「それでは和彦様、行ってらっしゃいませ」
「うん。行ってきます」
今日も、いつもと変わらない一日が始まる。
午前午後にバラけさせた講義を受けて、夕方から夜遅くまで拘束される苦手なパーティーを、得意の上辺だけでこなす。
あの場こそ愛想笑いがひしめき合っていて、それが必要悪だと分かった上でも、僕はどうしても好きになれない。
父親の付き合いでこれまで幾度となく参加してきたけれど、この先何年経っても慣れる事なんて出来なさそうだ。
「おっす。和彦は真面目だな、毎日朝から講義取って」
一限目を終えた僕は、次の講義までの時間を構内のカフェでコーヒーを飲みながら潰していると、占部さんが重たそうなリュックを抱えてやって来た。
「あ、おはよう、占部さん。何も考えずに学んでいられるのも今のうちだからね。それに、基礎入れておかないと父から何と言われるか」
「そうだな。卒業したらすぐ本社勤務って事だろ?」
「えぇ、まぁ。この四年ですべての課を経験して、すぐに……」
「入社と同時に役職か」
「そうなんだけど、僕は世襲なんて時代遅れだと思ってる」
「いやいや、それが大企業の常だ。俺が和彦だったら、周りに言いふらして跪かせるけどな」
僕の向かいの椅子にリュックを置いた占部さんは、軽い調子で笑ってコーヒーの注文に行った。
戻ってくると、朝食も兼ねてなのかトーストとサラダもトレイにのせている。
入学してすぐに声を掛けてきた占部さんは、自身も重役候補の父親を持つ身だからか僕を特別扱いする事がないので、とても話しやすい。
正直に「年下だけど和彦は敬語じゃなくていい、俺もそうするから」と言ってくれた事も嬉しかった。
「占部さんもその大企業の部長さんの息子じゃない。成績優秀だし、コネ無くても本社勤務確定でしょ。跪かせるだけの後ろ盾も、実力も、持ってるよ」
「身分隠してる和彦に言われると、俺が軽率人間に思えてならねぇな」
「確かに。跪かせる、は軽率発言だね」
「ははっ……。そういや、あれから芝浦七海とはどうなったんだ?」
「…………っ」
占部さんとの会話に気が緩み、ふふ、と笑っていた僕の体が固まる。
名前を聞いただけでドキドキしてきた。
心を落ち着かせるためにコーヒーを手に取り視線を彷徨わせていると、占部さんが「お、」とトーストにやりかけていた手を止めた。
「噂をすれば……」
え……?
自販機の方へ視線をやった占部さんを見た僕は、恐る恐る振り返ってみる。
そこには、「ない!」と小さく声を荒げている七海さんが自販機の前で何かと格闘していた。
小さな体を揺らし、幼い子どもみたいに地団駄を踏む姿が周囲の視線を誘っている。
「あーもう、十円足りないっ。昨日溝に転がってったアイツが居たら足りたのにーっ」
山本さんや、友人が周りに居ないらしい。
誰にも声を掛けずに、下唇を出していじけた七海さんが自販機から離れていく。
10
お気に入りに追加
661
あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる