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接近者
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しおりを挟む夜の間、ずっと和彦の気配がした。
頭やほっぺたを撫でてきたり、指先で顔を触れられたり、お腹辺りを布団の上から規則正しくトントンされたり、たまに熱を測られたり。
隣に狼が居るってのに、ふかふかで広々としたベッドにやられた俺は、狼の仮面を脱いだ和彦の看病もあってかグッスリ眠ってしまった。
そのおかげで(……と思いたくないけど)、翌朝和彦に起こされた時、熱っぽさは感じなかった。
体のだるさはまだ取れない。
でも昨日よりかなり体が軽い気はした。
「──七海さん」
「……ん……」
優しい声に薄目を開けてみると、風呂上がりなのか濡れた髪を拭うイケメンが俺を見下ろしている。
……いけない、寝起きだからって和彦の顔を「イケメン」だなんて。
「座薬の出番が無くて残念でしたが、今のところ熱は下がっていますよ」
「……あ、……そう……」
「でも大学は今日と明日、お休みしてくださいね。丸一日熱があったんです。体はツラいはずですよ」
「いや、でも……」
ベッドに腰掛けて俺に笑顔をくれた和彦は、タオルでワシャワシャと髪の水気を拭っていた。
そんなに休まなくちゃなんないの……?
卒業に絡みそうな、単位ヤバイやつあったんだけど……。
「朝食は食べられそうですか?」
「あ、今六時なんだ」
「いえ、八時前です」
「えっ? だって和彦、朝食は六時って……」
「七海さん、よく寝てたので起こしたら可哀想だと思いまして。時間を変更してもらいました」
…………優しいじゃん。
何、今日はそっちのパターンで攻めてくんの?
昨日までの「横暴で変な奴」は、今日は出さないでいてくれるの?
上体を起こそうとした俺の背中を支えてくれる和彦からは、風呂上がりの何とも言えない良い匂いがした。
これはシャンプーの香りなのか、和彦の全身から香水みたいなセクシーな匂いがする。
「食欲がなくても少しでも食べて、お薬飲んで、寝ていてください。僕今日必修があって、どうしても午前は大学行かなきゃなんです。七海さんを置いて行くなんてとても心苦しいんですが、……良い子に待っていてくださいね?」
「だからさ……俺チビだけど年上……」
この、やたらと子ども扱いしてくるのは何なんだ。
外見だけで言えばそりゃ、金持ち和彦は大人びてるけどさ。
俺だって……未だに事あるごとに身分証確認されるよ、ふん。
不貞腐れた俺のほっぺたを撫でる動作が、和彦は手慣れてきている。
警戒心を瞬時に解かれてしまうほど、その大きな手のひらは、いつそれをされてもムカつくくらい優しい。
「……七海さん、おはようございます」
「え? あ、……おはよう」
「ふふ、良い子」
ほっぺたから頭へ移動した手のひらが、子ども扱いを継続中だ。
ムカつく。許せない奴。
襲ってくるは、人の話を聞かないは、拉致するは、いいとこないじゃん。
ほんとはシカトしてすぐにでもこの家を飛び出したいところだけど、和彦の顔を見ると俺は強く拒否できなかった。
だって和彦、たぶん……ほとんど寝てない。
「朝食、あーんしてあげましょうか?」
「い、いらない!」
「フーフーくらいはさせてください」
「いらないってば!」
優しげな笑顔は昨日と変わらない。
でもちょっとだけ疲れた顔してる。
和彦は自分で「悪」だと自覚してたから、贖罪の意味で寝ずに看病してくれたのかもしれない。
もちろんそんな事で和彦の印象が一転するわけじゃないけど、素性の知れない赤の他人である和彦に迷惑を掛けたのは確かだ。
「和彦、……あの……」
「七海さん鼻声可愛いですね。あ、そうだ。風邪がよくなったら僕のペットを紹介します」
「ペット?」
一応、看病の事についてだけはお礼をと思ったのに、遮られてしまった。
部屋着から私服に着替えて戻ってきた和彦は、何故かマスクと眼鏡を装着している。
「そう。七海さんに似てるんです」
「え、ペットが? 失礼な事言ってない?」
「なんで失礼なんですか。とっても可愛いんですよ、小さくてチョロチョロ動き回って、まんまるな瞳で僕を見上げるんです。今の七海さんみたいに」
「なっ……」
背中を丸めて屈んだ、和彦の眼鏡の奥がスッと細まって、俺のほっぺたをさらりと撫でた。
お決まりになりつつあるこの動作に「やめろ」と言おうとしたんだけど、呆気なく離れていって肩透かしを食らう。
この梅雨時期の蒸し暑い最中に、眼鏡かけてマスクまでして完全防備な和彦は、ノックの音に反応して向こうへ歩いて行った。
「朝食が来ましたよ」
「……ありがと。でもあんま食べられそうにないんだけど……」
ベッドサイドまで運んでくれたお膳にのった朝食とは、シンプルな卵がゆだった。
昨日和彦がニコニコで振る舞おうとしてきたステーキよりはるかにマシだけど、…まだ胃が本調子じゃない。
「食べないと元気になりませんよ。少しだけでも、ね」
湯気の立ち上るそれをレンゲに少々乗せて、必要ないって言ったのにマスクをずらしてフーフーしている和彦の高い鼻筋を、俺は毒気を抜かれたような間抜けな顔で見ていた。
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