恋というものは

須藤慎弥

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はじめての巣作り

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 潤に追及され、天の脳裏にふと浮かんだのはあの店員だった。

 嗅がせたというより、それを知らせてくれた恩人という方が正しいのだが、見上げた潤の表情は先ほどからずっと険しいままだ。

 人目も憚らず肩を抱かれ大通りまで連れられた天は、やがて停車したタクシーに乗り込むも何やらソワソワと落ち着かない。

 当然のように同乗し天の自宅へ帰宅した潤が、この晴れやかな日に相応しくないオーラを終始漂わせているせいで、道中は気まずい沈黙が続いた。


「ねぇ、天くん。どういうことなの? この匂い……誰に嗅がせたの?」
「い、いや、嗅がせたんじゃなくて……っ」


 リビングへと入るなり、不機嫌そのものなオーラをじわじわと放ち始めた潤が、低い声で「ねぇ」と天に詰め寄る。

 ビクッと肩を竦ませた天は、その赤黒いオーラに慄き花束を抱えて後退った。


「教えてくれたんだよ、カフェの店員さんが!」
「カフェ? 天くん、カフェに居たの?」
「そ、そうだよ! 最初は校門の前に居たんだ! でも卒業生にジロジロ見られちゃって……俺ヘンな格好してるみたいだし、その、……逃げたくて」
「ヘンな格好なんてしてないよ」
「それはっ……!」


 無表情の潤から間髪入れずに否定され、実際に好奇の目で見られいたたまれなかった天は、オーラに負けじと言い返す。


「潤くんは、俺が着ぐるみ着てても可愛いって言うだろ! 恋人だからそう見えないのかもしれないけど、俺は元々ダサいんだ!」
「ダサくないってば」
「いいや、ダサいね! サイズ合えば何でもいいって適当に服選んでるし、髪も半年に一回床屋行けばいい方だし、てかほとんど自分で切ってるし……っ」
「天くん、ストップ。論点ズレてる」
「…………っ!」


 自分の身なりを卑下していると、どんどん悲しくなってきた。潤に止められて口を噤んだものの、分厚い恋人フィルターのかかった彼の言葉はあてにならない。

 ムッと唇を尖らせた天は、ジリジリと近付いてくる潤のオーラが薄れている事に気付き、恐怖心がわずかに減った。

 しかし論点を戻した潤の追及は止まらない。


「僕に断りも無くカフェに行って、僕が淹れたものじゃないコーヒーを飲んで、僕が居ないところで天くんはうっとりしてたのかな? そういうこと?」
「違うってば!」
「じゃあ何を飲んだの?」
「えぇっ? それ関係あるっ?」
「ある。すごく重要だよ」


 見上げた潤の瞳は真剣だった。

 それほど重要だとは思えない質問をされ、意表を突かれた天の勢いは落ちる。


「……カフェオレ。あったかいの」
「へぇ、ふーん」
「あ、でもモカ風味がどうのって言ってた」
「カフェオレなのに? ……チョコソース……いやココアパウダー入れたのかな」
「うん! そう言ってた!」
「美味しかった?」
「うん、甘くて飲みやすくて! ……あっ……」
「へぇ、そう。美味しかったの」


 フッと目を据わらせた潤の声色は、鈍感な天に「しまった」と片目を細めさせるほどの威力があった。


 ──また、怒らせた。


 言ってはいけない事を言ってしまったのだと気付いても、時すでに遅しである。

 薄れていたオーラの色味が濃くなると、体の芯が揺らぐほど怯えてしまうのは天がΩ性だからだ。


「あ、あの……潤くん? 俺、怒らせたくてあそこで待ってたわけじゃないんだ。えっと……」


 今日ばかりは言い争いたくない。

 普段からそれほど喧嘩らしい喧嘩をしない二人だが、嫉妬が絡むと潤は鬼と化す。

 だが今の会話のどの辺りにそれがあったのか、天にはさっぱり分からなかった。

 握り直した花束は、しばらくそうしていたせいで萎れてきている気がする。俯くと、その花々に語りかけられているようで心が苦しくなった。


「ごめん、天くん……。そうだよね……」


 はぁ、と深い溜め息を吐いた潤に、天はおずおずと花束を差し出す。


「……潤くん、卒業おめでとうございます」


 渡すタイミングを逃していたけれど、潤に自身のダサさ加減を熱弁するより前に、言わなければならない事があった。

 天の温もりで元気をなくしてしまったように見える花束を、潤はほのかに嬉しげに受け取った。


「……ありがとうございます」


 互いに敬語を使い、ペコっと時間差で礼をする。気恥ずかしかった。

 潤を怒らせるつもりなど毛頭なく、どちらかと言えば卒業という一つの節目を喜び勇んで分かち合いたかった。

 花束を抱えた潤が、天の目に神々しく映る。

 中性的で整った容姿の潤には、花々しいそれがよく似合っていた。

 天はもう一度、潤のオーラが薄れるのを待って「おめでとう」と言った。するとおもむろに花束をキッチンに置いた潤が、ふわりと天を抱き寄せる。


「……ごめんね、天くん。僕は心が狭いんだ。一丁前に独占欲とプライドがあって、天くんの口に入るものは僕が作ったものじゃなきゃ嫌だって思ったの。特にコーヒーは」
「……カフェ店員だから?」
「そうかもね。美味しかったって聞いて、すごくイラッとしちゃった」 
「…………」
「しかもその店員が作ったコーヒーを飲んで、少なくとも天くんは癒やされたんでしょ? じゃなきゃあんなに甘い匂いにならないよ。……ムカつく」
「潤くんっ」


 そんなに綺麗な顔で、悪態は吐いてほしくない。たまにはいいけれど、天が絡むと潤はどうも口が悪くなる。

 礼儀作法を叩き込まれた育ちのいい美青年に、舌打ちは似合わない。

 そうさせてしまう原因を知ったからには、天も正直に言うべきだと思った。


「違うんだ。コーヒー飲んでからじゃないよ。……見ちゃったんだ、カフェから」
「何を?」
「……潤くんとお母さんが歩いてるの」
「え?」


 あまり言いたくはなかったが、仕方がない。

 校門前で短くそんな会話はしたけれど、まさかバッチリ目撃されていたとは思わなかったらしい潤が、目を見開いた。


「そうだったの……。それでひとりぼっちで帰ろうとしてたの?」
「……うん。邪魔しちゃ悪いと思って」
「天くんが邪魔なわけないでしょ」
「でも……っ」


 現に、こうして潤は天を選んでここに居る。

 それを知った母親は、絶対に良い気はしない。逆上すると、潤に対してまたもや嫌味を連呼し、無理難題を課してくる恐れだってある。

 今までも潤は、どれだけの小言を耐えてきたか。

 天にそのすべてを語らない優しい潤が、これ以上傷付くのは見ていたくない。少しくらい離れていても、潤の心が脅かされないのなら天はいくらでも我慢する。

 潤の腕に抱かれて無条件に安らいでいるのでは、それほど説得力は無いが。


「……僕は、天くんに一番に報告したかったよ。無事に首席卒業できましたって」


 今日で見納めになる彼の制服姿を目に焼き付けておくべく、そっと体を離したその時。

 潤の口から告げられた朗報に、気落ちしかけた天の心が一気に晴れた。


「あっ……! やっぱり!? 良かったぁ! ホントに良かったね、潤くん! よく頑張ったね!」
「やっぱりって……知ってたの?」
「そんなのどうでもいいじゃん! 俺嬉しいよ……っ、だって潤くん、あんなに頑張っ……頑張ってたから……! 俺と会うのも我慢して、お母さんからプレッシャーかけられても耐えて……!」


 気付かぬうちに、天はその場で足踏みしていた。ウキウキとした声音で喜びを爆発させ、ブレザーの袖を引っ張ってはしゃぐ。


 ──潤くんすごい! すごいや……!


 隣に居たあの母親の表情から、そうではないかと思っていたが潤はやはり〝首席で卒業〟出来たのだ。

 希少性となったが、無論α性は潤だけではない。

 遺伝子レベルですべてにおいて出来の良いα性、そして頭脳明晰なβ性の者達を押さえ、たかだか半年前から本気を出した潤がトップに立った──。

 それがどれだけ素晴らしい事か、容易かったと言わんばかりの涼しい顔をした当人にはきっと分かっていない。

 天のはしゃぎっぷりを見て、怒りのオーラを消し去ってくれた潤はやや呆気に取られていた。


「あ、ありがとう、天くん。天くんがそんなに喜んでくれるなんて思わなかったよ」
「喜ぶに決まってるだろ!! 頑張ったら、頑張った分がちゃんと結果で返ってくるんだって証明してくれた! 有言実行するなんて潤くん……かっこよすぎるよ!」
「えぇっ? ちょっと褒めすぎじゃない?」
「褒めすぎなんかじゃない! かっこいい! 潤くんかっこいいよ! 俺すっごく……むぐっ」
「わ、分かったよ、天くん。もう大丈夫。それ以上言われちゃうと顔から火が出る」
「照れるなよぉっ」


 片手で自身の顔を覆った潤は、当事者よりも歓喜に湧く天を前にして本当に照れているようだった。

 その殊勝さまでも、かっこよく見えた。

 もっと鼻高々で居てもいいくらいなのだが、潤にその気質は無いのだろう。

 天の恋人は、寂しがり屋なうえに照れ屋だという事が、たった今判明した。




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