恋というものは

須藤慎弥

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はじめての巣作り

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 潤が母親と交わした約束、以降も続く息子への過干渉をやはり天は知ってしまっているのだ。

 天が言いかけた事は、潤にとって別れを告げられるも同然だった。


「……聞きたくないよ。天くんの口から、……聞きたくない」
「そうは言っても、潤くんが一人で背負うことないんだよ! 何をどんな風に言われてるのか知らないけど、潤くんは俺に言わないでいてくれてる。それは正直ありがたいと思ってる。だけど……っ」
「天くん。……聞きたくないってば」


 それ以上はやめて、と潤は首を振った。

 天は押し黙り、水滴まみれのグラスをフローリングの床に置く。そして潤の言葉を待った。

 しばし青空を眺めて気持ちを落ち着かせた潤は、この時「どうせ……」と呟きいじけた子どものように下方を見据え、赤黒い怒りのオーラともう一つ、とても悲しげな濃い青色のオーラを纏っていた。


「どうせ、僕に相応しいのはα性の人だって言うんでしょ? 時任家にはβ性しか居なくて、僕の血を絶やさないようにするには同じ性の人と結婚しなきゃって、そう言うんでしょ?」
「…………」


 天の視線が痛くて、現実逃避するようにギュッと目を閉じると、母親からの罵倒が嫌でも脳裏によぎる。

 時任家の希望なのだと滾々と力説する、無意味な会話まで蘇ってくる。

 母親の言うそれは、β性のみが占める一族の光となっている潤にはさっぱり分からない〝期待〟が主だが、理解は出来るのだ。

 この世のヒエラルキーを考えると、性別は社会における重要な判断材料になる。性別のみで区別されると言っていい。

 だからこそ天は悩み苦しみ、潤も訝しんでいた。二人ともがいわゆる〝普通〟になりたくて、β性だと偽っていたのである。


「……母さんの気持ちは分かるよ。僕にだって理解は出来る。だからって好きでもない人と結婚して何になるの? これから先の人生、何十年あると思ってるの? α性の子どもを授かったとして、喜ぶのは時任家の人間だけだよ。何より……天くんは、僕の運命の人なんだよ」


 苦々しい表情を食い入るように見つめてくる視線には応えず、潤は窓の外に広がる爽快な青空を眺めた。

 潤は、伝えたかった。

 大事なのは二人の気持ちのみで、それ以外は何一つとして関係無い、と。


「……でもね、潤くん」
「やだ。何も言わないで。天くん、僕が聞きたくないこと言うつもりでしょ」


 とうとう両耳を塞いでしまった潤に、天が困り果てたのは分かっていた。

 けれど譲れない。

 天の事だけは、譲れない。

 気持ちの上でもそうだが、天が潤との繋がりを切ってしまう最悪な事態を想像するだけで、気が狂いそうになる。


「潤くん……」
「やだよ。やだ……。天くん、僕を捨てないで……」
「…………」


 潤は膝を抱え、固く目を閉じ、両耳を塞いで首を振った。

 その姿はまるで、番関係にあるα性の者から別離を言い渡されたΩ性の絶望に似ていた。

 天を諦めきれない潤は、気持ちを通わせる事も不可能なのかと心をしくしく痛ませた。

 家族は大事だ。

 寛大な心で、いつでも潔く身を引く覚悟があるらしい天もきっと、仲違いしたままでいいとは絶対に思っていないし、無論潤もそうだ。

 しかしそれでは、潤と天は恋をすることさえ許されないという事になる。

 だとしたら〝しるし〟の意味が無い。

 引き寄せられた二人の甘やかな想いが蔑ろにされるのは、我慢ならない。


 〝好き〟
 〝愛してる〟
 〝恋をすると毎日が楽しい〟
 〝毎日が──嬉しい〟


 この想いこそ、大事にしていかなくてはいけない。

 望まない別れなど、考えたくもなかった。


 ──そうだよ。……そうだ。僕と天くんは、運命の番なんだよ。僕らはお互いが居ないと生きていけないんだ。年下だからってグズグズしちゃってみっともない。天くんを守れるのは僕しか居ないのに……!


「──天くん」


 腹を決めた潤は、ようやく天と視線を合わせた。

 細い首に滲んだ汗を拭ってやりながら、決意に満ちた淡い笑みを浮かべる。


「天くん、僕は天くんと居たいよ。既成事実作ればいいやって思ったけど、そうじゃない。……考えたんだ、僕」
「……何を?」
「僕ね、子どもは要らない。天くんが居ればいい。そりゃ僕たちの子どもはきっと物凄く可愛いんだろうし、たまらなく愛おしいんだろうけど、……要らない。天くんがそばに居ないなら、一生独り身でいい。……天くんが居てくれたら、それでいい……」
「潤くん……」


 血を理由に二人の幸せを少しも考えてくれない家族など、要らない。そんなにも血が大事ならば、はなから揉め事の種を産まなければいい話だ。

 大好きな運命の人と添い遂げる事だけを人生の指標にする。

 逃げも隠れもしない。

 現段階では経済力の無い潤が、α性として、天の番相手として社会に出るその日まで、まずは粛々と支度をしよう。

 天を生涯守るための準備だと思えば造作も無い。

 この考えだけは、当初からブレずに一貫している。


「僕はやっぱり、母さんとの約束は果たすよ。あれこれ難癖付けて〝約束〟がどんどん増えてっちゃうっていうのは想定内なんだ。それでも僕は、天くんと居たいから何もかもクリアする。誰にも文句を言わせないように」
「…………」


 ひとしきり悩んで吹っ切れた潤の瞳は、天が思わず逸らしてしまうほど爛々と輝いていた。

 潤に逃げ道を与えたいらしい天は素直に同調してくれなかったが、俯いた彼の気持ちは分かっている。

 発情期にかこつけて、天としっかり話し合わなかった自身の落ち度を痛感した。

 こんなにも優しい天が、潤のためを思わないはずがなかった。


「天くんは僕と付き合ってたい? それとももう別れたい?」
「い、いや……そんな当たり前な事を……っ」
「ちゃんと言って。それだけで僕は頑張れる。恋人冥利に尽きる」
「…………っ」


 ふと顔を上げた天の頬が、暑さで上気していて幼さを増長させている。

 一瞬、照れて言わないのではないかと思ったが、潤はどうしても天の口からその言葉が聞きたかった。

 心を通わせるというのは、そういう事だからだ。

 潤が熱心に見つめ続けると、天の頬のみならず全身が桃色に染まった。泣きそうに顔を歪めたと思うと、膝立ちになり潤の方を向く。


「俺は……っ、俺は、潤くんと居たいよ。居たいに決まってるだろっ。ほんとは、α性の人と結婚なんかしてほしくないって思ってるよっ。潤くんは要らないって言うけど、俺は潤くんとの子どもが欲しいって思ってるよっ……うむっ!」


 潤は唐突に、天の両肩を抱き寄せて唇を奪った。その瞬間、瞳を見開いた天からふわりと甘い香りが放たれる。

 嬉しかった。

 そう言ってくれるだろうと、信じていた。

 α性となんか結婚してほしくない。本当は潤との子どもが欲しいと思っている……。

 天を悩ませ、自身も展望が見えず沈んでしまったけれど、二人の心さえ通い合っていればきっと乗り越えられる。

 華やかに色付いた毎日を奪われないように、天との恋を〝普通〟に続けていけばいい。

 触れ合うキスで留めた潤は、喜び勇んで天の体をひっしと抱き締めた。


「〝当たり前な事〟がそっちで良かった」
「…………っ」
「ねぇ天くん。僕はね、きっと、天くんと番うためにα性として生まれたんだ」
「お、俺と番う、ため……っ?」
「そう。天くんは、僕と番うためにΩ性で生まれたの」
「えぇっ?」


 そんなことがあるの? と目を丸くした天に、潤は「ふふっ」と笑いかけた。


「そう考えた方が、より運命的でしょ」
「…………っ!」
「僕、頑張るよ。……本気で、死ぬ気で、頑張る」
「……無理はするなよ」
「そこは「頑張って」って言ってよ」
「ヤダよ。潤くんだけに頑張らせる気無いもん。俺だって頑張りたい。……年上なんだし」
「それ譲らないよね、天くん」
「だってホントの事だもーん。潤くんは俺より四つも……あっ」


 またその話? と不服そうに片眉を上げた潤は、ふわりと天の体を持ち上げ膝に乗せた。


「天くん、お尻出しなさい。ペンペンする」
「なんでだよっ」
「ふふっ……冗談だよ」


 ギョッとした天のまん丸な瞳が可笑しく、呆気なく降参した潤は産まれ落ちた瞬間からα性らしくない。

 本能が剥き出しになれば、支配欲も征服欲も確かに湧く。天を自分のものにしたくてたまらない、凶暴な欲求の自覚もある。

 だが目の前で、ぷ、と頬を膨らませた天を傷付けたいなどとは少しも思わない。

 表情や体躯、声や仕草まで天の何もかもが可愛くて可愛くてしょうがない。

 この気持ちは、〝運命の番〟という言葉では片付けられないと思った。


 恋をした人がたまたまΩ性で、たまたま自分はα性だった──。


 天と結ばれるために産まれた性なら、突然変異の身上も愛おしく受け止められる。

 そのうえ運命まで、二人の味方をしてくれているのだ。


 ──僕と一緒に〝頑張る〟って言ってくれた天くんの心は、何があっても守り抜いてみせる。


 この日潤は、改めてそう誓った。





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