恋というものは

須藤慎弥

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はじめての巣作り

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 まだ片付けきれていないから立ち寄らないでほしい、と潤に語ったそれは嘘ではない。

 ボロアパートに住んでいた頃、天は母である空(そら)をもドン引きさせるほど慎ましく質素な暮らしをしていて、荷物などたかが知れていると思い込んでいたが実際はそんな事もなかった。

 ダンボールにして六箱。未開封のものが四箱。

 天にとってはこれが多いと感じている。

 引っ越しの際、潤から「天くんって物持ちがいいんだね」と微笑まれ、「うん」と照れて返した天はそれに少々皮肉が含まれていた事には気付いていない。

 誰の目にも散らかっているようには見えないのだが、天はこの部屋に潤が入る事を良しとしていなかった。

 件の二箱ずつ積まれたダンボールは、現在とある一角を隠すように配置されている。


「……潤くん……」


 薄手の毛布を引きずってやって来た天の足は、大好きな人の名を呼びながら自然とそこへ向かう。

 いそいそとその場に落ち着いた天は、散らばった衣類をかき集め、コテンと横になった。


「潤くんの匂いだぁ……」


 天が大事そうに抱いて包まったのは、潤が自宅から持ち寄った私服だった。

 合わせて六日分、潤の下着も肌着も、彼の匂いがするものすべてがここにある。


「ふぅ……」


 潤の居ない部屋でポツンとひとりぼっちになると、とんでもなく大きな不安や寂しさに襲われた。

 オートロックの施錠音を聞き、抑制剤の効果を感じ潤へ謝罪の文面を送った後に、本来の天の発情期を裏付ける行動を取り始める。

 うつらうつらとしながら、毛布を道連れにわけもなく室内をウロつき、まずは潤の姿を探した。そして、どこにも居ない事を確認するとべそをかいてベッドへと戻り、膝を抱えてシクシク泣く。

 とはいえ、潤恋しさにメソメソしているうちは、まだ良かったのだ。泣き疲れて眠る事が出来たから。

 しかし二日目、三日目と日を重ねるうちに、だんだんと泣いているだけでは収まらなくなってきた。

 潤が居なくて寂しい。

 潤が行ってしまって悲しい。

 ひとりぼっちはイヤだ。

 〝たった〟四時間なんて待てない──。

 潤の匂いが微かに残る毛布に包まり、心が切なさで覆われて息ができないと嗚咽まで漏らした。

 抑制剤は異常な性欲に関してのみ効果が表れるらしく、感情のコントロールまではしてくれなかった。


「潤くんの匂い……落ち着く……」


 けれど三日目の朝方、ふと本能的に気付いたのだ。

 激しく愛し合った後、潤の腕に抱かれていると凄まじい眠気に襲われ、それと同時に例えようのない温かさと安心感に包まれているような気がして、深くよく眠れた。

 発情を抑えるだけでは飽き足らず、天の心まで優しく包み込んでくれる潤のことが本当に大好きだと、とても幸せな気持ちになれた。

 そうして思い立った天は、あまり意識がハッキリしないなか、はじめは寂しさを埋めるために潤の衣服を拝借した。

 恋人とはいえ他人の鞄を漁るなど、普段の天ならば絶対にしない行為である。

 さながら冬眠前のリスのように、せっせと潤の鞄から中身を洋室へ運んだ天は、散らばった大好きな人の衣類に囲まれ満足感でいっぱいだった。


「……今日は夕方まで潤くん居ないんだよね。……いいや、ここで寝ちゃえ」


 安らぎの匂いに包まれて幸せに浸った天は、呟くなりあっという間に夢の中へ旅立った。

 いつもなら、この散らかった部屋を見られたくないがために、潤が帰って来る前に夢遊病者のようにふらりとベッドへ戻る。

 どこへ行くにも必ず毛布を引きずって、常に潤の存在がそばにある事を確かめながら、愛おしい人の帰りを夢うつつに待つのだ。









「──天くん、天くん」


 大好きな人の、大好きな声が天を呼んでいる。

 その声は、このままずっと聞いていたいと思わせるほどに心地良い。

 男らしく大きな手で優しく揺り起こされ、パステルカラーの中に居た意識がふわりと現実に戻る。


「汗だくだよ、天くん」


 薄目を開けると、視界にぼんやりと写ったのは色素の薄い長めの髪を後ろで一括りに結んだ潤だった。


「……ん、……? あ、潤くんだぁ……」


 起き抜けに潤の声を聞き、顔を見られた嬉しさから天はへにゃりと笑った。

 寝ぼけ眼が細まり、心底安心しきったように笑う天の耳が、潤の心地良い声に癒やされた。


「この部屋にクーラーは要らないって言ったの天くんでしょ? 室内でも熱中症になるんだからね」
「うん……? 夏は暑いよねぇ。熱中症危ないねぇ……うん」
「まだ寝ぼけてるね。ここ、寝心地良かった?」
「んっ……」


 へにゃへにゃと幼子のように笑っていると、潤が突然数秒だけの短いキスを仕掛けてきた。

 さすがに驚いてパチッと目を開いた天の視界に、潤の険しい表情が映る。

 どうしたの、と問い掛けようにも、キスで覚醒した天は彼の言う言葉の意味をようやく理解し、体中が自身の汗でベタついているのが気になってきた。

 言われてみると、体から湯気でも出ていそうなほど暑い。

 すぐには自力で起き上がれず、弱々しく潤へ腕を伸ばすと、すぐさまその手を取ってくれたのだが、彼の表情は険しいままだ。


「こんなに可愛い僕への愛情表情しといて、さっきのメッセージはいったい何なのかな? 僕が何を我慢してるって?」
「うっ、……うぅっ?」
「おいで、天くん」
「わわっ……! ちょっ、潤くん!」


 掴まれた手をグイッと引っ張られ、起き上がった拍子に僅かに世界が揺れた。

 軽いめまいを起こした天が「立てない」とぼやく以前に、潤は軽々とその華奢な身体を横抱きにする。

 すぐには何のことだか分からなかったが、〝我慢〟、〝メッセージ〟という単語でハッとした。

 触れた潤から、どんなフェロモンとも違う濃く暗い色のオーラが出ていたのだ。

 そんな潤の背後に見えたのは、遮光カーテンの隙間からフローリングの床を照り付けるまだまだ強い陽の光。

 潤にメッセージを送った覚えも、その意図もしっかり記憶にはあるけれど、どう見ても射し込む光は夕方のそれではない。

 まさか、あのメッセージのせいで早退させてしまったのではないかと、天は焦った。


「あ、あの……潤くんっ」
「何?」
「いま何時? もう夕方? 俺そんなに寝ちゃってた?」
「ううん、まだお昼だよ」
「えっ!?」
「僕、天くんにウソ吐いちゃった」
「…………っ?」


 ──ウソついた……?


 さらにワケの分からない事を言われてしまい困惑する天を横抱きしたまま、潤は窓際へと移る。

 「ね?」と薄く笑った彼は、まだ昼の明るさである事を天に見せ、バツが悪そうに嘘の言い訳をした。


「天くんが作った可愛い巣、どうしても見たかったから」
「え、あっ? す? 〝す〟って?」
「その話は後だよ。天くん汗だくだからお風呂入ってエッチして、お薬飲んだら話し合い。あのメッセージは、天くんは僕と別れても平気だって捉えられるんだけど」
「うっ? うぅっ?」
「何か不安なことがあるなら、話してほしい。抱え込まないで。そんなに切ない気持ちで作ったって知ったら、僕たちの巣が泣いちゃうよ」
「い、いやそんな……! うぅ……っ?」


 ──〝す〟って何? それを見たかったからウソついたって、意味分かんないよ……!


 厄介な事に、天は自身の行動をまったくもって自覚していなかった。

 なぜクーラーの無いこの部屋で寝ていたのか、分からなかった。

 朧気に毛布を引きずってウロついていた記憶はある。メッセージを送ってすぐだった。

 それからは何も覚えていない。

 とにかく安らぎの中に居て、登校してしまったはずの潤に抱きしめられているような温かな気持ちになって、よく分からないうちに深い眠りについていた。

 潤が嘘を吐いていたとしても、それを理解していない天にとっては良い嘘だ。


「まぁ、……なんでもいいや。潤くんおかえりー」


 天が送ったメッセージで潤を狼狽えさせてしまったかもしれない事は都合よく脇に置き、甘えるように潤に頬擦りした天は暗いオーラを見ないようにしていた。

 何はともあれ大好きな人が帰ってきてくれたのだから、何だってよかった。


「……こんな時まで可愛いなんて卑怯だよ」


 苦々しい潤の呟きでオーラは一層濃くなったが、寂しさから解放された天は抑制剤の効果が切れかけていた。




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