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はじめての巣作り
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しおりを挟む◆ 潤 ◆
天の初めての発情期を甘くみていた二人は、あれからすぐに周囲の雑音が入らない場所へ現実逃避した。
相変わらず物が少ない天の新しい住まいで、これからの二人の在り方を話し合う事もなく、ただただ愛し合って過ごした三日間。
母親からはひっきりなしに着信があった。
〝応答しなければ捜索願いを出す〟とのメッセージで脅され、天が眠っている隙にようやく事情を説明した潤だが、後悔は無かった。
逃げた事が正しいと思っているわけではない。しかし、母親から浴びせられた罵倒と説諭に、少しも心が動かなかったのだ。
家出をするなんていったい何を考えてるの。
親より大事な者なんて居ないのよ。
誰のおかげで食べていけると思ってるの。
誰のおかげで大きくなったと思ってるの。
勝手は許さない。
あなたは時任家の希望なの。
──αの血を絶やさないで。
知った事か、と反抗したかった。
育ててくれた恩は確かに感じている。だからといって潤の気持ちを少しも鑑みてくれなくなった母親を、どうして好きになれるだろうか。
独りぼっちは寂しいと言っても、隔離され勉強ばかりは嫌だと駄々をこねても、〝あなたはα性なのよ〟で済まされる。
贅沢な悩みだという事は分かっているけれど、性別を盾にされた潤はいつも我慢していた。
一族皆がβ性にしては裕福な家系だとは思うものの、〝時任家の希望〟とまで持て囃されると悪寒にも似た寒気が潤の心を凍らせる。
あげく恋人までも否定され、憤りは膨らむ一方だった。
その時、ベッドルームから眠そうな天が目を擦りながらよたよたと歩いて来なければ、確実に潤と母親は電話越しに激しい言い争いになっていた。
何をどうすれば潤の気持ちを、天の存在を、理解してもらえるのか──。
天の初めての発情期中に、潤はその答えを見出す事は出来なかった。
◆ ◆ ◆
──三ヶ月後。
二人が交際を始めて二度目の発情期に入った天を心身ともに慰めるため、潤は語気強く母親を言いくるめて恋人の住まいに連泊中だ。
「僕も寂しいよ。一緒に居てあげたいよ。……ほんの四時間だよ、天くん」
心が寂しい、と涙を流す天をいくら抱きしめても、彼にとっては気休めにもならない。
今後の発情期中は抑制剤を飲む、飲まないで悶着した結果、今後もそれには頼らないでいようという結論に至ったものの、今回は期末試験と重なったために頼らざるを得なくなった。
「行かないで……っ、潤くん、っ……行かないで……!」
「……天くん……」
だが何故か、これまで覿面だったはずの抑制剤がほとんど効かないらしい。きちんと潤が薬を管理し、朝昼晩飲ませているにも関わらず、だ。
前回より発情の波が緩やかになってはいるが、目を覚ました時に潤の姿が無いと、天は「寂しい」と言いながらしくしくと泣き始めてしまう。
見ていて胸が苦しくなるほど、本能的な人恋しさもあってか天は潤を想って号泣するのである。
「天くん、……ごめんね。ほんとにごめんね。僕もう行かなきゃ……」
「やだ……っ、なんで……!? なんで……っ」
「僕らが一緒に居るためには必要な時間なんだ。四時間だけ我慢して、天くん。寂しいのは僕も同じだよ」
「うぅぅ……っ」
泣いて潤に縋る天を抱きしめ、何度となく同じ説明を繰り返してやる。
今週がただの授業であれば天と過ごす事を優先させたのだが、母親に啖呵を切った手前、潤は試験日を欠席するわけにはいかない。
ぴったり七日後、初めての発情期を終えた天を残し帰宅した潤は、離れ家で待ち構えていた母親と少々言い合った。
〝そんなに我儘を通したいのなら、学年トップの成績で卒業なさい! 潤はすべてにおいて手を抜いているでしょ? 今さら必死になったところで、周りのα性の子達に遅れをとってる潤では到底無理な話よね〟
〝分かった。トップの成績で卒業したらいいんだね。……やるよ、僕。それで母さんが僕達の交際を認めてくれるのなら〟
〝認めるなんて言ってないじゃない!〟
〝母さん、自分で言った事を忘れちゃ困るよ。僕は我儘を通したいから、首席で卒業する〟
揚げ足を取られ、さらに煽り口調で言いくるめられた母親は顔を真っ赤にして怒っていたが、言質を取った潤はしたり顔だった。
文句は言わせない。
もはや嫌いだなどと言えなくなった性別が枷になるなら、潤に出来る事はそれを最大限に利用して天との未来の安住を勝ち得るのみ。
抑制剤が効かず、不安でたまらない天を残して登校する潤もかなり泣きそうな心境ではあったが、ここは二人の将来のために毅然としていなければならなかった。
「ほら、口開けて。朝のお薬飲んだらすぐに眠って、起きたらもう僕が帰ってきてるよ。寝てたらあっという間だよ、きっと」
「そんなこと分かんないじゃん! だって潤くん、俺の夢にもいっぱい出てくるんだもん! ふぇ……っ」
「……そうなの? 夢の中でも、天くんは僕にこうして甘えてた?」
「当たり前だろ!」
「そう、……」
小さな口にカプセルと錠剤を一粒ずつ入れ、常温の水が半分ほど入ったプラスチック製のコップを天に手渡す。
理性的でない彼の言葉だとはいえ、あまりに可愛い台詞に潤は思わずニヤついていた。
寝ても覚めても潤の事を想っている、とかなり誇張して受け取ったのがいけない。
約一時間はここで後ろ髪を引かれているが、さらに天と離れたくない欲が出てしまう。
「潤くん、俺ちゃんと薬飲んでるよ……? 飲んでるのになんで効かないの……?」
「僕がそばに居るからだって言ってるでしょ。天くんは僕のこと、大好きだもんね?」
「うん、好き。大好き」
「くぅぅ……っ! なんて可愛いの……っ!」
真顔で小さく頷いた天の告白は、夢の中に潤が登場する事と同じようなニュアンスだった。
当然、好き。当然、大好き。
改めて言う事でもないだろ、とまで言いそうな天の真顔が、潤の口元を緩ませる。
「天くん、あんまり可愛い事言わないで。言わせたのは僕かもしれないけど、今のは天くんがよくないよ。……はい、お布団かけるから横になろうね」
このままここに居ては、天のフェロモンに取り込まれてしまう。
その誘惑にめっぽう弱い潤は抗える気がしないので、全裸の天をささっとベッドに横たえ、薄い布団をかけてやった。
すると、ちょこんと顔だけ出した天が恨めしそうな表情で潤を見る。
「……ほんとに行くの」
「行くよ」
「俺がこんなにお願いしてるのに? 寂しいから行かないでって言ってるのに?」
「……行くよ」
「~~っっ! もういいっ。勝手に行っちまえ!」
言うなり、いじけた天はモフッと頭まで布団を被って籠城した。潤へのあてつけらしい。
普段の天では考えられない言動や態度が、とても愛おしかった。
天は潤に一切ワガママを言わない。むしろ年上らしくあろうとして、潤に甘えさせようとする。
発情期というΩ性の性質に翻弄されている今、日頃天がどれだけ潤への想いをセーブしているかが分かって嬉しかった。
「いい子にしててね」
「……ふんっ」
頭と思しき丸みを、布団の上から撫でる。
可愛くない鼻息が聞こえたが、潤の口元はニヤついたままだ。
フェロモンの濃度が変わった事に胸を撫で下ろしながら、潤は鞄を手にマンションを出る。
本格的に暑い日が続く七月の中旬。顔立ちの良い潤は、それだけで涼しげに見えるらしいが暑いものは暑い。
混み合う電車に乗り、潤が向かう先は学校だ。
「……そろそろ効いてきた頃かな?」
吊り革を持ち、時計を見て独り言を呟く。
彼は今頃、わずかに効く抑制剤によって正気を取り戻し、激しい自己嫌悪に陥っているだろう。
フッと笑んだ矢先、潤のスマホにその証拠が届いた。
〝醜態さらしてゴメン…。試験頑張って。〟
彼の性格上、詫びなければ気が済まない。
予想通りのメッセージ文に、心だけでなく体全体がポカポカと温かくなった。
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