97 / 139
◆ 暴露 ◆ ─潤─
第九十七話
しおりを挟むこの社屋のどこかで、天が働いている。
こっそり見に行ってみようか。 見付かったらどんな反応をされるのか。 通話では一切問わなかった「まだ会えない?」をこの際だから切り出してしまおうか……。
横になり、瞳を閉じてそんな想いを馳せていると、潤はいつの間にか落ちてしまっていた。
「───やっぱり飲んでたんじゃないか」
「……すみません……」
「ちなみに飲み始めてどれくらい経つ?」
「十日、くらいです」
───天くん……と、兄さん?
潤の耳に大好きな人の落ち込んだ声が届き、唐突に覚醒した。
ここにはカーテンで区切られているベッドが四つあったが、二人の声は潤が寝ているベッドから斜め向かい側から聞こえてきた。
「医者から言われて飲んでたのか? 違うだろ?」
「…………はい」
「抑制剤は発情期間外で飲むとホルモンバランスが崩れてくって、俺でも知ってるぞ。 どれだけ体に負担かかってるか、吉武が一番分かってんだろーが」
「…………はい……」
じわりと上体を起こした潤は、二枚のカーテンと少々の距離の向こう側での会話を必死で理解しようとした。
しょんぼりと項垂れていそうな天の声色に、豊を責めたくなってくる。
───僕の天くんを、そんなに怒らないであげて……。
しかし、寝起きで働かない潤の脳が内容を理解し始めると、やがて眉間に濃い皺が寄っていく。
ここは医務室だ。
そして今、天は上司である豊から叱られている。
おおよその予想通り、潤と同じく自己判断での抑制剤服用で体調が優れず、豊に連れられて天はここへやって来たのだと悟った。
───天くん……無理してたんだ……。
「時任さん、すみません……ほんと、いつも迷惑ばっかかけて……」
「俺は心配してるだけなんだ。 怒ってるわけじゃねぇから、そんな顔するな。 てか、アレはまだ先なのになんでそんなに続けて飲んでた?」
「それは……」
ベッドから起き出し、出て行くタイミングを窺っていた潤の動きが止まる。
豊は、天をここへ連れてきた際に潤が眠っている事を確認してから彼との会話を始めたようで、何とも明け透けだった。
カーテンに手を掛け、開く間際。
朝のようにどこか元気のない、眠たそうな声で天が語る。
「俺……あれだけ自分の性別が嫌だって言ってたじゃないですか。 それなのに、自分から誘ったんです。 フェロモン利用したんです、俺……」
「あ、あぁ、……」
「好きな人がαだって知った時、すごく嬉しかったんです。 番相手かもしれないって分かった時も、めちゃくちゃ嬉しくて……色んな気持ちになりました。 一ヶ月も待たせちゃってるんですけど……」
「何でそんなに会わないでいるんだ。 俺は番の事についてはよく知らないんだが、本能的に相手を欲してるんじゃないのか? だから抑制剤飲んでたんだろ?」
出て行くタイミングを失った潤は、手を掛けたカーテンを握り締めて俯いた。
天は本当に、潤を一番に好きで居てくれている。
一ヶ月以上も前に潤が胸を打たれた、彼の言葉そのままを豊に赤裸々に打ち明けていた。
天の中の想いが、まだ潤と会えるほどまで育っていないのなら、その気持ちを尊重してやりたい。
ただ発情期間でもないのに抑制剤を毎日服用するのだけは止めさせなければと、潤はそっとスマホを手に取った。
すぐそこに愛おしい人が居る切なさに唇を噛みながら、天との何気ないメッセージのやり取りを見返す。
文面でさえ可愛い人だと顔が綻んだ、その矢先だった。
「……今までの俺が、それでいいのかって頭の中で言ってくるんです。 俺は支配される側だから、いつか捨てられるかもって怖い気持ちもあるし……俺が番関係を望まないって事も相手は分かってくれてるけど、それじゃ俺と付き合う意味なんてないとも思うし……。 会いたいのに会いたくないって、……変、ですよね……」
「………………」
───……何……?
聞き捨てならなかった。 会わない理由のもう一つ先に、天の本心があった。
それは、潤が最も恐れる言葉だった。
もはや黙っていられず、すぐさま勢い良くカーテンを開き、声のする方へ歩む。
「僕が天くんを捨てるわけないでしょ! 会いたいなら会えばいいじゃん! 我慢はもうし尽くしたよ!」
閉ざされた空間で上体を起こしている天と、傍らに立ち竦む豊が同時に潤を見やって目を見開いた。
「……っ、潤くん!?」
「潤! 起きてたのか!」
「何かあったらすぐに言ってねって、僕言ったよね!? どうして一人で我慢してたの! 十日間も抑制剤飲んで! 天くんの体はもう、僕のものでもあるんだよ! 自分の体を壊すような真似しちゃダメじゃない!」
「…………っ」
「潤、落ち着け。 薬に関してはお互い様だろうが」
「そ、そうだけど!」
潤は怒りに任せて捲し立てた。
ここに居るはずのない潤の姿に驚き、かつ威圧のオーラと怒声にビクついた天は布団を頭から被った。
窘めるような瞳を潤に寄越す豊も、こんもりとなった布団を見て静かに語気を強める。
「大体な、お前がもう少しαらしく吉武を引っ張ってやんなきゃダメだろ」
「そんなの分かってるよ! でも天くんの気持ちが最優先でしょ!? 僕はいくらでも待ってあげるつもりだったよ! 抑制剤飲んでるなんて知ってたら無理にでも会いに行ったに決まってる!」
「あのなぁ、お前らの本能的なものはよく分かんねぇけど、番相手だっていうならこうなる事くらい予測出来ただろ? 発情期間じゃなくてもフェロモン抑えなきゃなんねぇくらい、吉武の体は……」
「ちょ、ちょっと待って!」
ここが医務室である事も忘れ、潤と豊が滅多に無い兄弟喧嘩をしていると、盛り上がった布団がモゾモゾと動いた。
兄弟揃って声を上げた天の方を向くと、彼らはたちまち冷静さを取り戻す。
ぴょこん、と布団から顔だけを出し、可愛く首を傾げた天を見て、白熱しかけた二人ともが癒やされてしまったのだ。
「なんでここに潤くんがいるんだ? ていうか、時任さんと潤くんって知り合いだったの?」
「え、…………」
「あっ…………」
11
お気に入りに追加
200
あなたにおすすめの小説
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
「恋の熱」-義理の弟×兄-
悠里
BL
親の再婚で兄弟になるかもしれない、初顔合わせの日。
兄:楓 弟:響也
お互い目が離せなくなる。
再婚して同居、微妙な距離感で過ごしている中。
両親不在のある夏の日。
響也が楓に、ある提案をする。
弟&年下攻めです(^^。
楓サイドは「#蝉の音書き出し企画」に参加させ頂きました。
セミの鳴き声って、ジリジリした焦燥感がある気がするので。
ジリジリした熱い感じで✨
楽しんでいただけますように。
(表紙のイラストは、ミカスケさまのフリー素材よりお借りしています)
オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜
トマトふぁ之助
BL
某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。
そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。
聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる