恋というものは

須藤慎弥

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◆ 年下の理解者 ◆

第六十九話

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「天くん、自分で拭いちゃったの?」
「…………うん」


 念入りに手を洗って戻ってきた潤に、布団をぺろんと捲られた。

 天を制した後、今日も何分かトイレにこもっていた隙にぎこちない手付きで天は一人で後始末をした。

 潤が戻って来ると、天の意識が覚醒した中で精液やら愛液やらを拭ってもらう事になる。

 射精後の脱力感に見舞われている状態であれば「もうどうにでもなれ」と体を預けられるが、さすがに数分後にはこの虚脱感からは抜け出せているだろう。

 孔に感じた初めての指の感触にたまらない羞恥を覚えた身としては、これ以上潤に醜態を晒したくなかった。

 ───好き、かもしれないからだ。


「中は? まだ濡れて……」
「うー! あー! 拭いたよ、拭いた! ちゃんと、拭いた、たぶん。 ……拭けたと思う!」


 天の隣に横になった潤が、いつになくしつこかった。

 大丈夫だと言っているにも関わらず、ぴたりと寄り添われて心臓が跳ねる。


「見せて」
「えっ!?」
「もしくは触らせて」
「はっ!?」
「僕たちの仲じゃない。 いいでしょ?」
「よくない! やっぱダメだよ、こんなの! 潤くん今日は帰りなさい!」


 躊躇いの無い掌が、天を脅かした。

 この性への強引さ……本当に年下なのか? 本当に高校生なのか?

 天よりいくらも経験のありそうな潤にそう問うてみたいけれど、軽口を叩ける雰囲気ではなかった。

 このままでは、天の心臓がそう遠くないうちに壊れる。

 さり気なく抱き締めようとしてくる腕からも逃れた天は、布団からはみ出しドテッと畳の上に転がった。


「……天くんの嫌がる事はしたくないんだけど、……帰るのは嫌だ」
「なっ……なんで! そんな事言ってたら引き返せなくなるよ!?」
「どこに引き返すの?」
「え!? それはその……あれだよ、あれ」
「あれって?」
「あれったらあれなんだ! 潤くん、頭がいいんだったら分かるだろ!」
「分かんないよ。 天くんの気持ち、全然分かんない」


 それはこっちの台詞だ!と息巻いてやりたかった。

 理解者で居てくれるのなら、ほんの少しだけ甘えてもいいだろうかと軽率に潤を受け入れてしまったが、目を覚ました潤からの拒絶が今から恐怖でしかない。

 まだ三日だ。

 今ならまだ、潤を正しい道に戻してやれば彼は引き返せる。


「と、とにかく、もう泊めてあげられない。 潤くんをヤバい道に引きずり込んでるような気がするんだよ。 俺がΩだって打ち明けてから、潤くんどんどんおかしくなってる」
「…………僕は天くんの理解者で居たいだけだよ」
「じゃ、じゃあ、トイレで何してるんだよ」



 売り言葉に買い言葉のようにスラスラと疑問をぶつけた天は、伸びてきた腕から布団の中に引き戻される。

 そしてあの、相手を勘違いさせてしまいそうなほど熱のこもった瞳で見詰められた。

 この流れで昼寝でもするつもりなのか、潤は天を腕の中に抱き込むとジッと動かなくなる。


「白状したら、ここに泊めてくれる?」
「だ、だめ! それなら白状しなくてい……」
「抜いてるんだよ。 トイレで抜いてるの。 天くんのフェロモンと、表情と、声と、僕にしがみつく掌に興奮して、抜いてる」
「………………ッッ!」
「白状したからね。 今日も泊まるよ。 晩ごはん何作ろうかなぁー」
「ぬ、ぬ、抜いてる、って……っ!?」
「そんなに驚かないでよ。 薄々勘付いてたでしょ? 「挿れないからダメって言わないで」、「天くんの中に入りたい」って僕言ったよ。 いい加減に気付いて?」
「…………っ?」
「フェロモンのせいでおかしくなってるんじゃないよ、僕。 それは分かっててほしい」



 もしかしてそうなのではないかと、潤の言う通り薄っすらそんな予想を立ててはいた。

  "フェロモンの影響を受けないようにして来た" のは本当であろうが、それは「貫きたい」という激しい欲求のみに恐らく適応されている。

 βである潤も、Ωのフェロモンには決して抗えない。 しかし謎の準備をして来た潤は、天を犯してしまうかもしれない理性を制御出来ていた。

 それもこれも、潤の気持ちの上で裏切る事の出来ない意中の人が居るからだ。


「だって……だって潤くんには、好きな人が……」
「天くんもそうじゃん。 声聞いただけで昼間から発情しちゃうほど、上司の事が好きなんでしょ?」
「い、いや……そんな事ない、よ」
「僕たちは叶わない恋をしてるんだ。 天くんが分かってくれないなら、まどろっこしい "理解者" なんて言い方やめる。 いっその事、慰め合おうよ」


 何かと豊を引き合いに出される。

 フェロモンを放ってしまった理由など自分では分からないけれど、明らかに出会った頃よりおかしくなった潤は当然のように言い放ち、天の背中を撫でた。


「そんな名案みたいに言ってるけど……かなりヤバい事言ってるよ? 潤くん、気付いてる?」
「気付いてないのは天くんの方だと思う」
「~~~~っっ? まどろっこしいぞ!」
「分かった。 じゃあ分かりやすく言ってあげる」


 ぜひそうしてくれと言わんばかりに、潤の腕の中で何度も頷いて見せる。

 すっぽりと覆われるようにして抱きすくめられているというのに、心臓を高鳴らせながらも天は以降その腕を拒否しなかった。

 早く帰さなければという思いとは裏腹に、「帰らない」と言い張ってくれる事に喜びを感じている悪しき恋心。

 勘違いしてしまうのは、潤の瞳だけが原因ではない。

 言葉の端々、背中を撫でる大きな掌も充分に加味されていた。

 抱き合って昼寝をしようとする、これが今まさに慰め合っている状態なのだが、天はさらに潤の言葉を待った。


「───僕たちは二番目でいい」
「二番目……?」
「そう。 僕は天くんの事、二番目に好きになる。 天くんも僕の事、二番目に好きになって」
「…………二番目……」
「難しく考えないで。 叶わない恋をしてるから、僕たちは前に進めないんだ。 寂しい気持ちを慰めてくれる人が近くに居た方がよくない? それが信頼し合える友達だったら、もっといい」
「…………確かに」


 潤の言葉巧みな罠に、天はまんまと引っ掛かった。

 そういう事なら一緒に居てもいいかもしれない、と素直に納得を示した。

 天は豊への恋愛感情など微塵もないので、これは潤にだけ当てはまる、ある種の心の契約。

 叶わない恋に嘆く潤を慰めてやれるのは天しか居ない、と言われたも同然だ。

 ───もちろん好きになる。

 天は二番目でいい。 全然、構わない。

 潤が二番目に天を好きになってくれるのなら、こんなに嬉しい事はない。

 気付いてしまったがゆえに、天にとっての一番目は潤だ。

 これこそ、叶わない恋。




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