恋というものは

須藤慎弥

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◆ 天の性別 ◆ ─潤─

第五十九話

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 枕元の振動で目を覚ました潤は、眠る前とあまり変わらない態勢の天のおでこに夢心地でキスを落とす。

 もう起きる時間かとスマホを触るも、アラームだと勘違いした振動がなかなか止まない。 薄目を開け、相手を確認しないままとりあえず応答してみた。


「……はい」
『おはよ! 潤、昨日はありがとう!』
「……あ、……あぁ、うん。 ちょっと待って」


 甲高い声の主を聞いてすぐ、潤はそっと天の頭を自らの腕から枕に下ろし、静かにベッドを抜け出した。

 単にまだ、すやすやと寝息を立てている天を起こしたくなかっただけである。

 潤がコートを羽織って玄関を出ると外はまだ夜と紛うほど暗く、今にも雪がチラつきそうなほど冷えていた。


「……ごめん、お待たせ。 で、どうだった? 兄さんと話した?」
『うん、少しだけね。 いつもと同じ事言ってた、……けど』
「……そう。 信じてあげられそう?」
『まだ分かんない。 スマホも見せてもらったよ。 でも電話してたの、ほんとに男の部下なのかなぁ?って感じだった』
「どういう事?」
『その部下の名前が女の子っぽいんだよ。 ……ほんとにやましい事があったら登録してる名前も変えるよね』
「そうだね。 僕だって女の子に付けてもおかしくない名前だし、そこは引っかからなくていいと思う。 まだ疑ってるなら、番号調べて掛けちゃえばハッキリするよ」
『えっ、それは……!』


 話す度に白い吐息が宙を舞う。

 こんなにも朝早くから、恐らくまだ就寝中の豊に隠れて潤に電話をしているこれも、美咲の言う「コソコソ」になるのではないかとふと思った。


「このままだと離婚しかないんだからね。 やっと一歩前進したのに、ここで二の足踏んでたらずっとギクシャクしたままだよ。 それでもいいの?」
『……決心がついたら、電話して確認してみる。 それで私の誤解だったら、……豊に謝るわ』
「頑張ってね。 あ、そうそう。 僕今日は朝ごはん要らないって母さんに伝えておいてくれる? 休みに入っちゃうから定期検診行っときたいんだ」
『了解~。 α様も大変ね』


 いやいや……と苦笑した潤はそのまま通話を終わらせて扉を開けた。

 暖房では部屋が温もりきらない。 この冷気を纏ったままでは、寝ている天を起こそうにも触れられない。

 潤は物音を立てないようにベッド脇に腰掛け、どう見ても年下にしか見えない天の寝顔をしばらく見詰めた。


「………………」


 家族となる前から、美咲には潤の性別を知られている。 それは早々と豊が話してしまったせいもあるが、自身のオーラやフェロモンについてを理解していなかった頃に、人知れず威圧のオーラを放っていたところを見られ、察知されたのだ。

 自らの性別判定を信じられなかった潤は、どこにその動揺をぶつけて良いのか分からなかった。

 浮かれた両親は潤の葛藤など見て見ぬフリをしていて、少しも耳を傾けてくれない。 あげくに潤の輝ける未来を熱望し、当たり前の如く遠ざけて、悦に浸っている。

 この離れ家のせいで、潤は一人で考え込む時間が増えてしまった。

 性別の違いが原因で、世の中そのものや周囲の対応が大きく変わるのを目の当たりにすると、心底嫌気が差した。

 けれど、嫌で嫌でたまらなかったこの場所に今、天が居る。 たったそれだけで、季節関係なしに寒々しかった此処がぽかぽかとした幸せな空間になる。

 不思議だ。

 想いに気付く前から少しずつ湧き上がっていたものは、何というか、昔から顔見知りであったようなどこか懐かしい感覚である。


「六時、か……。 あと二時間、保ってくれたらいいけど……」


 呟いた潤は、時間を忘れて寝顔に見入っていた事にハッとした。

 天の寝顔は想像していたよりもはるかに幼く、これを彼に言うと怒るのだろうがどう控えめに言っても五つも上には見えない。

 男である事も、Ω性である事も脇に置いておける。 とにかくずっと、何もかも忘れて抱き締めていたいという欲求が湧いてくる。

 よくぞ一晩我慢していられたと自分で自分を褒めてやりたいが、これはきっと過剰摂取気味で飲んだ漢方薬の効き目があったという事ではなかろうか。

 至福の腕枕で天を寝かし付けるはずが、潤の方が寝付きが良かった朧気な記憶は、何となく恥ずかしいので忘れておく。


「……天くん、天くん。 おはよう」
「…………おはよ……」


 タイムリミットが迫っている中、忍びないと思いつつ天に声を掛ける。 しかし小さな反応だけ見せた天は目を覚ます気配がない。

 毎朝のモーニングコールの向こう側を垣間見た気がして、笑顔が漏れた。


「寝起きの悪さを直で見られるとは思わなかったなぁ」
「………………」
「……あ、寝ちゃってる」


 呟いたそばから、年上の可愛い人は潤の目の前で早速二度寝を楽しみ始めた。

 むにゃむにゃと小さな唇が動く。 規則正しい寝息と、何とも庇護欲をそそる寝顔は何時間でも見ていられる。

 けれどそうゆっくりもしていられない。

 天を揺り起こし、寝ぼけ眼の彼の支度を手伝いながら潤はかかりつけの病院に連絡を入れた。

 大晦日である今日は昼までの診療であるとの事で、潤が掻い摘んで事情を説明すると念の為裏口から、すぐにでも連れて来てくれと指示を受けた。

 Ω性である天の体には、緊急抑制剤が半量しか入っていない。 その効果がきっちり十二時間保つかは分からないと言われ、潤も焦っていた。

 かかりつけ医は、潤を三度もα性だと診断した付き合いの長い医師である。

 ヒートを起こしたΩと、Ωのフェロモンに耐えきれないαの本能的な性質を懸念されたのだ。

 まだ薄暗い中を、潤が呼び付けたタクシーで移動する。

 お揃いの柄のマフラーと手袋を嵌めた天は、異常なほどにおとなしかった。


「ん、……」
「………………?」


 タクシーを降り、病院の裏口へと回ろうとしていた時だ。

 小さな呻きと共に、天が胸元を押さえて潤に寄りかかる。

 声を掛けようとした次の瞬間、体内の血流が一気に騒ぎ立てているかのように潤の身体が熱くなった。

 二人して胸元を押さえてよろめいた矢先、むせ返るような濃厚な香りが辺りを漂い、潤は慌てて気休めの防御をする。


「う、嘘っ……そんな……っ」


 ヒートだ。

 抑制剤の効果が切れてしまった天が、ヒートを引き起こしてしまった。

 呼吸は荒く乱れ、苦しげにもたれ掛かってくる天を支えてやりたい潤だったが、まるで麗しい何かに包まれているかのような天の体には触れる事が出来なかった。


「───こちらへ! 早く!」


 フェロモンを感知した看護師と医師が、わらわらと裏口を飛び出してきた。

 天は潤ほど背の高い医師に抱えられ連れて行かれてしまい、薄目でその様子を見ていた潤は猛烈な嫉妬に駆られた。


 僕の天くんに触るな。
 僕の天くんだよ、僕の……っ。


「天くん! 天くん……!!」
「時任くんはこっちに!」
「うっ……は、はい……」


 天を連れて行った医師に向かって腕を伸ばしていたところを、顔馴染みの女性看護師にぴしゃりと叱咤される。

 無機質な病室に案内された潤は、脳内も、足取りも、呼吸も、しばらくままならなかった。




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