恋というものは

須藤慎弥

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◆ 誕生日の出来事 ◆

第四十九話

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「あれ……? あれ、あれ……っ!?」


 どこぞの恋愛ドラマのように潤を引き止めた天は、覚悟していたそれを感じなかった事でピタリと動きを止めた。

 
 ビリビリ、いや「パチッ」が無かった。


 容易く潤の手のひらを握れてしまい、「え、え、?」と視線を彷徨わせて狼狽える。

 天はそのまま、潤の断りもなく彼の手のひらを握っては離してを繰り返してみた。

 この寒空の下、空気の乾燥具合はこれまで以上だ。 試しに左手の手袋も外して同じ事をしてみたけれど、一度も「パチッ」を感じない。


「………………」


 静電気がこなかったのは、いい事なはず。

 潤に触れたくて仕方なかったというわけではないが、天は愕然と大きな手のひらを見詰めた。

 そして気付いた。

 心の片隅、……頭のどこかで "もしかして" の望みが捨てきれていなかったのだと、たった今痛感した。

 βとΩでも、性別の垣根を超えた『運命の相手』のしるしがあるのかもしれない……αとΩが『番関係』となるように、潤に触れられる度に何度もそのしるしのようなものを浴びた天は、どこかでそれを信じていたのだ。


  "もしかして潤くんは、俺の……。"


 運命の番相手に出会った時、触れ合った瞬間に天の恐れるものが互いに伝わる。

 彼がβだと聞いても、とても信じられなかった。 否、それは信じたくなかっただけ……だったのかもしれない。


「ほら、やっぱり毎回は起きないんだよ。 僕達ビビリ過ぎだね」
「……こなかった……」
「……天くん?」
「………………」


 頭上でフッと笑う気配がして、そっと手袋を嵌め直した天の視界が狭まる。

 青信号が点滅し、やがて赤色になった。


「天くん、どうしたの? 大丈夫?」
「……ん、あっ、うん、大丈夫。 静電気こなくてビックリしただけ……」


 潤にはそう言ったが、紛れもなくショックを受けていた。

 自らの性を嫌っているくせに、 "運命" を信じていた自分が恥ずかしくてたまらなくなった。

 潤はβだ。 おまけに望みの薄い片思いの相手まで居る。

 近頃は「どうでもいい」と強がりを言い始めたほど、同年代には打ち明けられなかった恋の悩み。

 年上である天に葛藤を聞いてほしいがために、潤はこうして会ってくれているのだという事をすっかり置き去りにしていた。

 潤に背中を支えられて、とぼとぼと横断歩道を渡る。

 触るな、とはもう言えなくなった。

 静電気はこないが、触れられた部分が熱くなる。 卑屈にしかなりようのない自分の性別が、もっと悲しくなってくる。

 駅から徒歩で十分ほど歩いた。

 洒落た外観のレストランに入り、前回とは違うイタリアンのお店だという事を周囲のテーブル上の料理を見て初めて知った。

 席に通されても、ウエイターは水と手拭きしか置いていかなかったからである。


「天くん、どうしちゃったの? 僕がいじけたから怒ったの?」
「……ううん、違うよ。 …………違う」


 こんなにも露骨にしょんぼりしていてはいけないと、天にだって分かっている。 潤が心配するであろう事も、自らの責任ではないかと不安がる事も、だ。

 周囲から集まる、潤への視線。

 その中の一つくらい、対面する天の性別を見破っている者がいるのではないかと、ここ何ヶ月もの間忘れていた感覚を思い出してきた。

 様子がおかしくなった天を心配し、潤は「熱があるんじゃないの」と何度も起立しておでこに触れようとしてくる。

 その声にはエコーがかかり、「大丈夫大丈夫」と繕う自身の声もハッキリ聞こえない。

 いつから、どこから、勘違いしていたのだろう。

 今年のクリスマスイルミネーションを生まれて初めて綺麗だと感じられた理由を、天は知ってしまった。

 潤には好きな人がいる。 あげく、βである彼とは番のサイン─しるし─が意味を成さない。

 何もかも天の思い過ごしであり、知らぬ間に、これから先も一人ではないような錯覚に陥っていた。

 あまりにも潤が優しくて、大事にしようとしてくれるから。

 ……いかにも好かれていると、運命に引き寄せられているのだと、……危険な勘違いをしていた。


「───今日はコースにしたんだ。 天くんの好き嫌いもだいぶ分かってきたけど、苦手なものあったら遠慮なく……」
「皆様、お食事をお楽しみ中のところ申し訳ございません! 直ちに店外へ避難されてください! 詳しくは外で説明いたします!」


 エコーのかかった潤の言葉をぼんやり聞いていた時だ。

 支配人らしき小奇麗な身なりの男性店員が、店内の客達に向かって声を張った。

 響き渡ったその声にビクッとした天が振り返ると、ざわつき始めた客達が早くも店の外へと促されている。

 何事だと、天も思わず立ち上がった。


「えっ、何? 火事?」
「なんだろうね。 とにかく僕達も外に出よう。 天くん、僕が荷物持つからすぐにコート着て」
「う、うん……っ」


 こんな時も至って冷静な潤は、何故か鼻と口を押さえて二人分の荷物を持った。

 ウエイターからコートを受け取り、大慌てで防寒を済ませる。

 足早な潤と共に厨房の方を覗いてみると、騒然としていたのは客達だけでなく店のスタッフらも同様で、皆が制服姿のままバタバタと店外へ駆け出していた。


「ほんとに火事……?」


 それにしては火災警報器が鳴っていない。

 漂ってくるはずの臭いも煙も無い。

 まだ水にさえ口を付けていないので、到着早々寒空の下へ舞い戻る羽目になるとは思いもしなかった。


「潤くん。 荷物ごめん、ありがと……」


 天の荷物を持たせっぱなしにしていたため、そっと潤を見上げる。

 しかし潤は見た事がないほど険しい顔付きで店の方をジッと見詰めていて、天の声にようやく鼻と口を押さえていた腕を下ろした。


「───客の誰かがヒート起こしたんだな」
「えー、Ωのフェロモン感じたんだ?」
「薄かったけどあれは絶対そうだろ。 俺βだしそんなに影響無いけどな」
「個室のどこかで隔離してんのかな。 私は全然感じなかった」


 ───潤と天は、意図せず店内に居たと思しき若いカップルの会話を耳にしてしまう。

 天は目を丸くしたものの、それほど驚いていない潤と視線を合わせ、二人同時に店内を窺った。

 あの店の中で、Ω性の誰かが、ヒートを起こしているというのか。


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