恋というものは

須藤慎弥

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◆ 葛藤と純情 ◆ ─潤─

第三十五話

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「お待たせー」


 緊張する潤の元へ、ウエイターの案内で天が戻って来た。

 着席しつつ「潤くんは雰囲気のいい店よく知ってるな」と笑い掛けられたが、潤もこの店は初来店だ。

 それを打ち明けるのは何となく気恥ずかしく、微笑んでそれを交わす。


「……おかえり。 トイレ我慢しちゃダメだよ。 病気になっちゃうよ?」
「だよな。 こんなに我慢したの久しぶりでヤバかった。 超すっきり」
「いっぱい出た? 気持ちよかった?」
「うん、すごく気持ち良かっ……って、何言わせんの」
「あはは……っ、天くんやらしい」
「えぇっ?」


 声を潜めた潤の思惑も知らず、無邪気に頷いた天は即座にツッコミを入れてきた。

 歳上の天を揶揄うのは楽しい。

 簡単に潤の口車に乗せられてあたふたする様を見ていると、とても幸せな気持ちになる。

 テーブル上のメニュー表を開きながら、頬を色付かせた天が潤を見据えた。


「ごめん、俺発信なんだけど食事の席でする会話じゃないよな」
「ふふっ……だね。 メニュー決めよっか」
「うん。 ていうか、なんか上品な店だな。 潤くん高校生なのにこんなとこで彼女とデートしてんの? そりゃモテるよなぁ」
「彼女居ないってば」
「今は、だろ。 過去のだよ過去の」


 イタリア語と日本語の両方で書かれた、文字だけのメニュー表に視線を落とし感心したようにそう言われてしまった。

 「あ、俺決めた」と意外にも決断力の早かった天に驚きつつ、潤もほんの三ページしか無いメニュー表を捲った。

 コースもあるらしいが予約が要ると記してあり、しまったと内心で焦る。

 もっとこういう事に慣れていれば、天に紳士的でスマートな男だと見直してもらえたかもしれないのに。

 若干高校生の潤では、いくら背伸びしようと経験値が足りない。

 天の憧れの上司には程遠いと痛感すると、無性に歯痒さを覚えた。

 潤はウエイターにオーダーし、磨き上げられたグラスに口を付ける。 ミネラルウォーターかと思えば、それは爽やかなレモン水だった。


「さっきの話だけど。 過去も何も、彼女が居た事ないんだよ、僕」
「え、えぇぇ──っ!?」
「そんな驚く?」
「驚くよ! 潤くんずっとフリーって事? あ、分かった。 あんまりにもモテ過ぎるから、彼女は作らない主義なんだな?」
「……僕を節操無しみたいに……」
「だって信じられないよ。 潤くんだぞ? 俺の目の前に座ってる潤くんだぞ?」
「僕が何?」
「いや……何って言われても困るんだけど。 とにかくビックリ」


 店内の雰囲気を壊さぬよう、手のひらで口を塞いでまで驚愕した天に「節操無し」と思われていた事に少しばかりショックを受けた。

 そんなに軽そうな男に見えていたのだろうか。

 確かに見た目はいつも褒められる。

 もちろん、隠しきれないらしいαのオーラで持て囃される事もしばしばあるけれど、性別のおかげでそう簡単に告白されたりもしない。

 現在潤に猛アプローチ中のアミのように分かりやすく好意を示してくる者は居ても、想いを伝えるところまでは踏み切れないようなのだ。

 それも見た目のせいなのか、はたまた無自覚にαのオーラを漂わせているせいなのか。

 そもそも潤がこれまで彼女を作らなかったのは、中学二年の多感な頃から兄の彼女しか見えておらずその気にならなかったから、という理由が大半を占める。

 節操無しとは程遠く、ましてや自身の性別を快く思わない潤はその手の経験すら無かった。

 近頃は特に、目前でレモン水をちびちびと飲んでいる歳上の友人にばかり気を取られてしまうので、まだしばらく彼女というものとは縁遠そうである。


「───ねぇねぇ」
「ん?」
「……天くん、会いたかった」


 天がコースターの上にグラスを置くのを見計らい、潤はつい口を滑らせた。

 半透明の氷がグラス内でカランと軽い音を立て、それを打ち消すが如く真剣な眼差しを天に向ける。

 しかし天は、潤の熱に気付く事なく拍子抜けするほどあっさりと頷いた。


「俺も」
「えっ!?」
「俺もな、潤くんの話聞いてあげたくてウズウズしてた」
「あ、あぁ……そういう意味か……」


 なんだ、と思考が止まる。

 そして潤は、ポロッと溢してしまった迂闊さに内心で嘆いた。

 次々と予約客でテーブル席が埋まり始め、ウエイターの人数も二人から四人に増えている。

 評判通り、店内が賑やかしくなってきた。


「今日は元気そうで安心した」


 レモン水が気に入ったのか、潤に笑顔を向ける天は数分おきにちびちびとグラスを口に運んだ。

 潤がこれほど、まるで初デートのようだと珍しく緊張しているというのに、まったく邪気の無い笑顔を見せられるとなかなかに心が落ち着かない。

 思わぬところで歳上らしさを感じた。


「……そう?」
「潤くん、平日は毎日バイトしてんの?」
「まぁ、そうだね。 大体は」
「お金貯めてるとか?」
「……ん? 意識して貯めてはいないよ。 天くんとこうして出掛ける意外でお金使わないもん」
「じゃあなんでそんなに頑張ってるんだよ。 潤くんは疲れてないって言ってたけど、学校と両立するの大変だろ? 俺も高校生ん時はバイト三昧だったからよく分かるんだ」
「んー……」


 天が言うほどそれほど頑張っているつもりはないが、例によってバイト代を漢方薬には使っている。

 けれど潤は、天にもβだと偽っている手前そんな事は言えない。

 何気ない会話を交わす中、うまく受け答え出来ているだろうかと不安になってきた。

 こうしていると傍からは同級生二人が食事しているようにしか見えないと思うが、天からは間違いなく歳上の余裕を感じる。

 これも社会人生活の賜なのか。

 料理を待つ間、趣味であるはずの人間観察もそこそこに潤の緊張がただ増してゆく。

 天のレモン水のおかわりをウエイターに頼んで気を紛らわそうとも、生ハムのサラダを一品追加してシェアしてみようとも、潤は気が付けば咀嚼する天をジッと見詰めてしまっていた。




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