恋というものは

須藤慎弥

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◆ 偽りのはじまり ◆

第二十三話

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 何故そこで、瞬時に豊が思い浮かんだのかは分からなかった。

 今特に親しくしている人と言えば豊しか居なく、また信頼しているのも彼しか居ない。

 天にまったく他意は無かった。


「え、どんな人って……年上」
「データ少ないよ。 もっと教えて」
「上司。 あとは秘密」
「えー秘密かぁ。 そっか、上司だから尊敬してるんだね」
「うん。 仕事でも頼りになるし、大ピンチ救ってくれた人だから余計に情が入ってるのかも」


 豊の人物像を語ったところで、潤は知らないのだから濁しておくに限る。

 学生の仲間入りをしたかのような、恋話染みた会話に天は無性に気恥ずかしさを覚えた。

 つい三年前まで深緑のブレザーを着ていた天も、社会人としての日々が慌ただしく濃厚の極みで忘れかけていた。

 性が確定する前は、天もこうした淡い色の話に参加して、若気の至りで性についても悩む事なく達観した発言を繰り返した。

 それが出来なくなったのは、最初にヒートを起こしたその日からだ。

 運良く日曜日だったおかげで母も在宅で、クラスメイト達にもバレる事は無かったが、それ以来天はΩの中傷を自らが一手に引き受けているような気がしている。

 孤独を貫きたいと哀しい未来を描き、恋や愛などとは縁のない人生を歩もうとしている天は、「好きな人」が居る潤の事が単純に羨ましい。

 潤の禁断の恋は叶う事がない。 だが、切ない想いに心を縛られたとしても、新たな恋の望みは無限だ。

 好きに恋が出来るのは羨ましい。

 本当に、心の底から、羨ましい。


「へぇ~……。 天くんってどんな仕事してるの?」
「営業だよ。 SAKURA産業の通信部門の子会社だから、パソコンとかその周辺機器を扱ってる」
「えっ? ……SAKURA産業、……」


 潤は上体を起こし、社名を二、三回呟いてテーブルの端をジッと見た。

 気のせいか、ついさっきまであった爽やかな微笑みが消えている。


「───どうした?」
「あ、ううん、なんでもない。 天くん凄いじゃん、大企業で働いてるんだ」
「子会社だけどな」
「それでも凄いよ。 天くん今年で二十二になるって言ってたよね? 高卒で入社したの? それとも短大出?」
「高卒だよ。 うち母子家庭だから、就職一択だった」
「あ、……そうなんだ。 お母さんのこと助けたくて就職したんだね」
「うん、そう」
「即答だ。 いいね、天くん。 お母さん思いなところ、好きだよ」
「すっ……! ……あ、うん、ありがとう」


 これまで誰にも話した事のない家庭環境までサラッと曝け出したあげく、ナチュラルに好意を伝えられると、そこに深い意味など無いと分かっていても心が勝手にドキッと跳ねる。

 潤は会話上手だ。

 営業職に就いている天が率直に嫉妬を覚えるほど、話題が途切れる事なく続く。

 彼と居るのは退屈しないどころか、帰宅コースを考えていたはずの天が早々と薬を飲んで次のプランに備えようとしている。

 帰る気などさらさらない。

 展望台から夜景を望みつつ、潤の恋話でも聞いて励ましの言葉一つでもかけなければ、今日は終われないと思った。


「コーヒーのおかわりは?」


 微笑を取り戻した潤が、天に向かって「どうする?」と首を傾げた。

 天は要らないと頭を振り、窓の外に目をやる。

 空が薄暗い。

 驚く事に、すでに七時間以上も潤と過ごしている。

 二回のミッションも無事遂行し、会話も途切れる事なく続いていたからかそんなに長い時間に感じなかった。

 やはりここでの支払いも潤が出すと言って聞かず、天は外へ出てから「ごちそうさま」と潤に頭を下げた。

 次こそはと思いつつ、朝より出っ張り感のあるお腹を擦る。


「うーっ、苦しいっ」


 映画館で食べたポップコーンと、厚焼きパンケーキで今にもはち切れそうだ。

 歩きながら叫んだ天に、潤はケラケラとさも楽しげに笑った。


「あはは……っ。 お腹まんまるになっちゃった? 触ってもいい?」
「え!? だ、だめ!」
「えーなんでー? いいじゃん、洋服の上からなら大丈夫だよ」
「何が大丈夫……っ」
「朝僕が天くんのおでこに触った時……静電気きたよね、ビリビリって。 天くんも感じたでしょ?」
「そ、そうだな」
「あれ何だったのかなぁ、ってずっと考えてたんだけど、やっと分かったんだよ。 静電気しか考えられないよね」
「俺もそう思ってた。 潤くんの静電気、強烈だった」


 手のひらをひらひらと見せてくる潤もしきりに気にしていたが、悩んだ末に天と同じく静電気説に落ち着いたらしい。

 それはそうだ。

 二人は「β同士」なのだから、深く考えようもない。

 天は、あれが "何か" だと勝手に勘違いし、改めて問い詰めなくて良かったと心底ホッとした。


「洋服の上から触ると、ビリビリってならないの。 眠そうな天くんの体支えてた時は、静電気起きなかったもん」
「あ、そうなんだ? じゃあいいよ」
「えっ、いいの?」
「うん。 別に減るもんじゃないし。 潤くんが触りたいって言ったんだろ」
「じゃあ……」


 膨れた腹を擦る天が、通りの真ん中で立ち止まる。

 気安く「どうぞ触って」とも言いだけに腹を突き出すと、潤はほんの少しだけ躊躇いを見せたが、すぐにひらひらさせていた手のひらで天に触れた。


「……ほんとだ、まんまる。 可愛い」
「俺今日一日でめちゃくちゃ太ったよな、絶対。 潤くんと居たら空腹感じる暇がないよ」
「幸せな事でしょ? お腹空いてると悪循環しか生まないからね」
「確かに」


 お腹が満たされていると、自然と上向きな思考回路になる。

 潤の尤もな意見に大きく頷いた天は、どう見てもαのオーラを漂わせているβの潤と共に電車を乗り継ぎ展望台へと向かった。

 小柄な天はすぐに人波にのまれる。

 その度に、潤がさりげなく背中を支えてくれた。







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