恋というものは

須藤慎弥

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◆ 年上の上司と年下の恩人 ◆

第十三話

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 沈んだ声色通りの台詞が返ってきて、天はギョッとした。

 たとえ傷付いているという言葉が本当であっても、天には潤が拗ねているだけのように思えてならない。 

 有休まで使わせようとしている豊といい、電話口で拗ねている高校生といい、近頃は駄々っ子のような男が流行っているのかと苦笑する。

 歳上の豊はまだ、理に適った説明をしてくれるのでマシだ。 しかしまったくもって扱いの分からない歳下の潤は、『そんなに嫌なの』と呟いたっきり黙りこくってしまった。

 受けた恩は倍で返しなさい、という母の言葉がよみがえる。 誰に対しても優しく、相手を思いやりなさい、……ついでにこんな台詞まで聞こえてきた。

 まるで遺言のように数々の言葉を蘇らせたが、天の母はきちんと存命であり、仕送りを拒否するほど現在もバリバリ仕事をしている。


「な、なんか……なんか分かんないけどごめんな? 土曜日のプランは潤くんに任せるよ」
『ほんとにっ? 僕が考えていいんだねっ?』


 素直に詫びると、潤はあからさまに元気になった。 今のは完全に ″子ども扱い″ をした気がするのだが。


「うん。 ただしお酒を出す店には行かない。 ご両親が心配するから二十時には解散ね」
『えーっ! お酒はともかく、二十時って早過ぎだよ』
「早過ぎないよ。 まだ高校生なんだからね、潤くん」
『………………』


 帰宅時間はやはり譲れなかった。

 アルバイトでもないのに遅くまで高校生と連れ立って歩くなど、天にはどうしても出来ない。

 母子家庭だった母と天は今でも仲の良い親子であるが故、潤の向こう側に垣間見える彼の両親が浮かんでしまう。

 この決定的な ″子ども扱い″ をされた潤は、恐らくスマホを片手に膨れっ面をしているに違いない。

 一見近寄りがたいほどの綺麗な顔がムッと年相応に歪んでいる様を想像すると、可愛らしいのはむしろ彼の方だと思った。


「……電車あと何分?」
『……八分後みたい。 天くん、話し相手になってくれる? 眠たいかな?』
「大丈夫。 メッセージの返事してなかったから、今言おうか」
『うん! それいいね!』


 それだけで既読スルーの詫びになるならば、罪悪感が薄れて助かる。

 天はコップを水洗いして元の位置に戻し、六畳一間に敷かれた薄い布団の上に腰掛けた。


『何時に待ち合わせしようかなぁ。 朝得意?』
「得意ってほどでもないけど、苦手ではないよ。 ……あ、待って。 前日に上司と飲むから、あんまり早いと起きられないかも」
『上司と? そんなに遅くまで飲むの?』
「ううん、二十一時で帰るんだけど……」


 既婚である豊の事情と、今はそれ以上に体調の異変が心配だった天は説明に困った。

 抑制剤は、ヒートを抑えられる代わりに強い眠気がくるのである。 天の場合、それは主に夜寝付いてからの熟睡状態が通常時に比べて深いという程度なのだが、そのおかげで翌日の午前中はなかなかに体がツラい。

 薬を飲むところも、うつらうつらとしているところも見られたくないがために、一日中一緒に居るのは億劫だと思ったのだ。


「ま、まぁ早過ぎなければ何時でもいいよ」
『……ふーん? じゃあ十時に駅で待ち合わせね。 僕のバイト先のカフェでモーニング食べよ』
「ん、了解」
『好き嫌いはある?』
「ほとんどないかなぁ……。 強いて言えば漬物くらい」
『僕も漬物苦手だよー。 て事はランチもディナーも洋食がいいね』
「うん? そうだな」
『よし! プラン決まったよ』
「早っ」
『ディナーのあとは天くんのお家に行こうかな』
「……ん!? なんて言った!?」


 あっさり決まったと聞かされて呑気に笑った矢先、聞き捨てならないプランが発表された。

 ご機嫌に満面の笑みでも浮かべていそうな潤が、さも当たり前のように言い放つ。


『天くんのお家』
「いやいやいやいや、ダメだよ、ダメ。 絶対ダメ」
『そっか、まだ初対面も同然だもんね』
「そうじゃなくて、……っ、あ、いやそれもあるんだけど、……っ」
『もっと仲良くなったらいい?』
「家に誰も入れた事ないし、見せられるようなもんじゃないんだよ」
『じゃあ僕が天くんのお家に入った第一号になるね!』
「ダメだって」


 ここで人懐っこさは発揮しなくていい。

 尋ねるつもりはないが、恐らく彼はαだ。 あんなにもオーラのある潤を、このようなオンボロアパートに招くなど天は想像もしていなかった。


『ま、お家は次でいいや。 土曜日、上司と飲み過ぎてドタキャンなんて嫌だからね』
「分かってるって。 ドタキャンはしないって言っただろ? 一応、潤くんへのお礼のつもりなんだし」
『待ってよ、その言い草……。 僕とはもうそれっきりって事? 土曜日だけなの?』
「……そうは言ってない、けど……」
『あ、電車きちゃった。 明日は既読スルーしないでね、おやすみ』
「きどく、っ? お、おやすみ、……っ」


 時間ピッタリで到着した電車に乗り込む潤の台詞が、矢継ぎ早であった。

 明日は、と言われたがあれはどういう意味なのだろうか。

 言葉通りの意味ならば、昼時を見計らってメッセージが届きそうな予感に、抑制剤を飲んだはずの天は何故か目が冴えてしまった。

 

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