恋というものは

須藤慎弥

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◆ 年上の上司と年下の恩人 ◆

第十二話

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 豊に「そろそろだろ」と指摘されて何かの勘が働き、帰宅した天は予定より一日早いが抑制剤を飲み始めた。

 この抑制剤を朝昼晩の三回、約一週間飲み続ければ発情期をやり過ごす事が出来る。

 時期さえ間違えなければ、早めに飲むのは効果的だと医師からも看護師からもお墨付きを頂いているので、一回目の薬を飲むと気持ち的に少々安心する。

 しかし、普段は何ら他の性と変わらない日々を過ごせているだけに、抑制剤を飲み始めるとΩだという事を突き付けられて毎回嫌だ。

 実際にΩのフェロモンを嗅いだはずの豊が、天が知るような差別的な目を向けてこないので卑下する事も忘れていられたのがいけない。

 今日のように、油断は禁物だと他でもない豊から言外に諭されてしまうと、項垂れそうになる。

 性の知識だけは入念に学生時代にて学ばせられた、α性との番関係についても頭から消し去っている天だ。

 天は自らの体に触れたくなくて、どうしても溜まる欲求ごとに疼く秘部にうんざりし、気持ち程度の性器を扱いての自慰さえほとんどしない。

 誰かと繋がるのが嫌だとか、そんな事を思う前にΩという性質を受け入れられないのだ。

 きっと自分には、色恋沙汰は一生無理。

 世の中の大半が当たり前に紡ぐものを、天は早くも諦めている。

 家族など持てなくても、とにかく生きていれば楽しい事の一つや二つはあるだろう。

 性がバレてしまうのを恐れ、これまで親しい友人を作らなかった天は孤独でありながら、誰よりも安定を糧に生きている。

 何も望まないし、望んだところでどうにもならない。

 天は、性に惑わされる人生などまっぴらなのだ。







 安上がりな手作りの晩御飯を食べ、電気代の無駄だからとシャワーを浴びて早々に布団の中の住人になった天は、背中を丸めて眠りについた。

 夢の中へと堕ちて幾ばくか経ち、遠くで鳴る知った音色と微かな振動で意識を揺り起こされる。


「───ん……もしもし……」


 枕元に置いていたスマホが着信音を響かせていて、寝呆けていた天は相手も確認せず無意識に応答した。

 電話の向こうは静かとは言い難く、思わず天は「うるさ……」と呟いた。


『天くん! ……あれ、もう寝てた?』
「…………だれ?」
『誰ってひどいな。 僕だよ、潤』
「あぁ……潤ね。 …………だれ?」


 薄目を開けてスマホに表示された名前を見ても、叩き起こされた手前すぐには頭が働かなかった。

 電話の向こうでしょんぼりとした声を上げる人物は、「天くん」と何度も名前を呼んでくる。


『返信くれなかったから、土曜の約束ドタキャンされちゃうんじゃないかって心配になったの』
「…………土曜……あぁ! 潤くんか!」


 何の事だろう、とまばたきを繰り返してようやく思い出した。

 そういえばあれから返事を返すのを忘れていて、そのまま放置していた。


『起こしてごめんね。 でも忘れられてたのは悲しいな』
「あ、いや、忘れてはないよ」
『……僕の名前も忘れてたじゃん』
「それは寝てたからで……! 咄嗟に思い出せなかっただけだ!」
『ふふふ……っ。 冗談だよ、天くん。 ドタキャンしないなら、許してあげる』


 優雅に笑う潤は、恐らくバイト終わりで夜道を歩いているのだろう。 雑踏から離れ、あの駅へと歩む足音が一定だ。

 メッセージをスルーしていた事に変わりはないので、罰の悪い天はいよいよ目が覚めてしまい起き上がってキッチンへと移動する。

 整頓されたそこからガラス製のコップを手に取り、水道水を注いだ。


「ドタキャンなんてしない。 あ、そうそう。 俺ほんとは土曜日出勤予定だったんだけど、休みが取れそうなんだ」
『え、ほんとに? じゃあ朝から会おうよ!』
「えぇっ?」


 弾んだ声に、口に含んだ水を吹き出しかけた。

 よく知らない高校生と、朝から夜まで一緒に居るというのはどう考えても気を使う。

 現在の天は、きっちり朝昼晩の三回、抑制剤を飲まなければならないのだ。 二種類の錠剤を潤に隠れてこっそり飲むのは容易いかもしれないが、かなり億劫である。

 しかも相手は高校生だ。

 豊のように年上の者が話題をリードしてくれれば会話も成り立つが、友人の居ない天は潤を引っ張ってやるだけの話力がない。


「さすがに高校生とは話題も合わないだろうし、俺とじゃ楽しくないと思うよ? あ、俺とはランチだけ食べて夕方までに解散っていうのはどう? それなら潤くん、夜は彼女とデート出来るだろうし」
『…………子ども扱いやめてよ』
「い、いやっ、そんなつもりじゃないって」
『それに僕、彼女居ないよ。 天くんと僕とじゃ話題が合わない、楽しくないと思う、なんて決め付けるのもやめて。 たった四つしか違わないのに』


 ───その四つ差が大きい。

 子ども扱いをしている自覚は無かったけれど、社会人が夜に高校生を連れ歩くのもどうかと考え始めていた。

 彼がいくら成人の雰囲気を醸し出していても、未成年なのである。

 だが天の提案に電話の向こうの足音が止み、どうやら立ち止まった様子の潤の声色が沈んでしまった。


「潤くん……? 怒ったの?」
『怒ってない。 傷付いただけ』



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