恋というものは

須藤慎弥

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◆ ヒート ◆

第四話

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 天が所属する部署の直属の先輩にあたる時任 豊(ときとう ゆたか)は、背の高い美丈夫で仕事もバリバリの、絵に描いたようなエリートサラリーマンである。

 助けてくれたのが上司で、さらにβだと偽っていた事がこの瞬間バレてしまった天は、体を硬直させたまま微動だに出来なかった。


「あ、あの……」
「抑制剤、赤石に貰ったから買って返せよ」
「…………」


 部署内の赤石という女性は、Ωである事を隠していない。

 それは無論女性だからこそ大っぴらに出来ているのだが、そうと聞いた天は豊に苦い顔をして見せた。

 細々と貯金をしている今、明日にでも緊急抑制剤を買う事は出来る。

 だが自分から「Ωです」とバラしに行くような真似は無理だ。

 体を起こした天は、すぐには立ち上がれずぺたんと床に尻を付けたまま縋るように豊を見上げた。


「あの……でも、俺……」
「俺が渡してやる」
「え……!」
「お前Ωだって事隠してるんだろ? 履歴書にはβとあったからな」
「あ、いや、あ、あ、…………すみません……」


 主任という立場上、部署内の社員の履歴書には目を通しているらしい。

 性別にうるさい世の中だ。

 はなから理解してもらえるとは思っていなかった天は、迷わずβに丸を付けた。

 失敗などしない。 絶対にバレない自信がある。

 今日その驕りは見事に木っ端微塵になり、豊がどう思っているかはさておき素直に謝った。


「男のΩなんて書いたらその時点でふるいに掛けられる。 まぁやっちまうよな」
「…………すみません……」
「抑制剤飲んでいなかったのか?」
「それは……今晩から飲み始めようと思ってて……」
「意識が甘い。 偽るならとことん偽り通さないと」
「はい……ごもっともです……」
「黙っておいてやるから、今後二度とないようにな」
「……黙っててくれるんですか?」


 天の姿を見ても罵倒せず、いつもと変わりなく接してきた事から、もしかしてとほのかに期待を抱いてしまったがどうやら本当に秘密にしていてくれるようだ。

 社内の人間にバレるのは絶対によくない。 上司であれば尚更だ。

 豊を信じていないわけではないけれど、失礼かもしれないが彼そのものを全面的に信じるというよりも、今ここで交わした会話を信じたいと思った。

 天には、そうするより他に道が無かった。


「吉武は仕事も真面目だし、今のところ無遅刻無欠勤だ。 通知表付けるとしたらオール五の即戦力なのに、性別を理由に解雇なんて事になったら俺も後味が悪い」
「……すみません……ありがとうございます」


 ふっと笑いながら語る豊から、立ち上がるよう促された。

 歩けるか?と問われ、頷く。

 あの緊急抑制剤は効果抜群だ。

 先程までの体内の異常が嘘のように無くなっていて、恐る恐る歩いてみても呼吸が苦しくない。

 どのみち赤石に返さなくてはならないので、万が一の時のために自分用にも買っておこう。

 こうして豊が嬉しい言葉を交えて、リスキーな秘密を共有してくれたのだ。 高額な買い物ではあるがお守りとして持っておけば、自身はもちろん彼の安心にも繋がる。

 天はゆっくりとした足取りで、屋上をあとにする豊について行った。

 ノー残業デーにも関わらず、急ぎの仕事があるとかで赤石が残っていてくれた幸運にも心の中で深く感謝した。

 誰が緊急抑制剤を使ったのか知りたがっていた赤石に、「吉武が彼女を見付けてくれなかったら大変な事になっていたよな」と誤魔化してくれた豊には、もっともっと感謝した。



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