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✦ 永遠のクロッカス ✦
✧*。 116
しおりを挟むつい四日前に育み始めた乃蒼と海翔の関係を、月光が知らないのも当然だった。
ブツブツと不満を吐露する月光の横顔を見ながら、乃蒼はいつ口を挟もうかとタイミングを見計らった。
「さっきもさぁ、ちょっとだけなら乃蒼貸してやる~みたいな言い方だったじゃん~。 どういう立場なんだよお前って言いそうになっちまった~。 ああいうのマジでムカつくわぁ」
眉を顰めてチッと舌打ちした月光の真意は、本気で海翔に苛ついているというより、この期に及んでもまだ受け止めきれていない現実への悔しさが滲んでいた。
目を合わせず押し黙る乃蒼をジッと見詰めていた月光は、視線を床に落として足を組み直す。
まさに今、彼の分身が産まれようとしているというのに、「俺は乃蒼が良かったのに……」などと未だ往生際が悪い。
乃蒼は床を見詰め続け、気付かれないように息を吐く。
───遅い。 七年、遅い。
自覚していた月光への独占欲を知り、焦がれている日々の最中にそれを言ってほしかった。
直接的な言葉は避けているが、月光が乃蒼と真剣に向き合ってくれるとあの頃に分かっていれば───。
乃蒼が月光に囚われて七年、出会ってからは八年も経つ。
青かった青春の日々がようやく振り返られるようになったのだ。
それもこれも、セックスがもたらす幸福感を初めて教えてくれた海翔の存在があったからこそ。
月光と離れようと決意したその日に出くわした海翔が居なければ、乃蒼は生きていく事も諦めていたかもしれない。
今ここに月光と二人で並んで腰掛けていられるのも、海翔が乃蒼の渇いた心にたっぷりと甘い水を注いで潤してくれたからだ。
後悔はし尽くした。
乃蒼は確実に、前を向いている。
今さらな月光の言葉などに、少しも心は揺れ動かない。
昼間は様々な物音と機械音がひしめく総合病院の一階ロビーは、午後九時ともなると静まり返って不気味だ。
二人の沈黙が、それに輪を掛けてさらに静寂を際立たせていた。
「…………付き合ってる」
「………………?」
腕時計を確認した乃蒼は、椅子の背凭れに背を預けてそっと告げた。
長い足を組んだまま、視線だけが乃蒼に飛んできたが息遣いしか返ってこない。
声が小さ過ぎてきちんと聞こえなかったのかと、もう一度告げてみる。
「俺、……海翔と付き合ってる」
今度は正しく伝わったようで、月光が息を呑んだのが分かった。
恋人の職場で言うのは躊躇われたが、ここは救急搬送された者が運ばれてこない限り、職員はほとんど上の病棟に常駐している。
居るとすれば出入り口の門番である警備員くらいだ。
そのため月光の狼狽を見る者は、ここには乃蒼以外に居なかった。
「は……? なん……で、? 乃蒼と、海翔が?」
「…………うん」
「なんで……? なんで……? いつそんな事になったんだ……? 乃蒼は俺の事が好きなんだろ……?」
組んでいた足を崩し、乃蒼の方を向いた月光と目が合う。
「え?」を繰り返す月光の瞳が、焦燥感に満ちていた。
この狼狽も焦燥も、もっと早くから乃蒼に分かるように伝えてくれていたら、こんなにも後悔が長引かずに済んだ。
───でもなんでかな。 月光と付き合ってても未来が見えなかったんだよな。
今思えば子ども騙しのような付き合いの間、乃蒼はその時が楽しければいいとまさに青春時代の自身の二の舞を演じていた。
月光を独占出来た喜びにフワフワと浮かれ、あの頃と同じように毎日連絡を取り合う生活が楽しくなかったと言えば嘘になる。
ただ、先が見えなかった。
『どこかでこうなる気がしていた』
月光の事が好きだった。 それは確かな事実でもあるけれど、避けていた五年以上もの月日の中で次第にその存在は乃蒼の心を執念で蝕んでいった。
好きだった過去と同時に、忘れられない親友としての思い出もあるため尚更、囚われていた当時の切ない想いまでも蘇ってきて訳が分からなくなった。
海翔が押しつぶされそうになっていた生命の尊さにより、突如として離別を余儀なくされた皮肉さ。
乃蒼にも月光にも突然の生命だったのかもしれないが、その生命こそが、二人がそれぞれの人生を歩めるよう道標となってくれたのではないか……。
これは、断ち切るためのこじつけに過ぎないのかもしれない。
けれど乃蒼は、そう前向きに捉えられるようになっていた。
「……過去の事だ。 今は俺も海翔の事が好きだし、海翔は俺の事をめちゃくちゃ好きでいてくれてるから、……なんて言うのかな。 ……相思相愛」
「………………」
月光が乃蒼に想われ続けているという豪然さを打ち砕くためにも、ハッキリと言わなければならなかった。
少しも未練はない。
なぜなら乃蒼のこれからは、恐る恐る海翔を愛していき、彼からたっぷりと愛されてゆくからだ。
「月光がパパになるって、……こんな事にならなかったら俺はまだ月光の事好きだったと思うよ。 いや……分かんないな。 好きっていうかもう執念に近かったかも。 月光にしがみついてないと、これまでの俺が全否定されるみたいで怖かった。 好きでいなきゃと思ってたんだな」
「……なんでそんな……他人事なんだよ~……」
「過去の事だからだ」
「…………俺の事、もう好きじゃないの?」
「うん。 好きじゃない」
「はぁぁぁ…………」
「溜め息はもう少し控えめにしてよ」
「無理だよ~……。 ……俺、まだイルカのキーホルダー大事にしてんだよ~? 早紀に何を言われても、これだけは外せねぇって……ほら」
脱力した月光がポケットから取り出したブランド物のキーケース。
そこから飛び出た小さなハンドウイルカのマスコットキーホルダーを見た乃蒼は、「あ…」と声を上げた。
「あぁ、……あったな。 それはもう外さないとだよ。 俺のコツメカワウソも処分する。 可哀想だけど、ちゃんと「ごめんな」って言って処分する」
「残酷過ぎるよ~~っ」
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