永遠のクロッカス

須藤慎弥

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✦ 永遠のクロッカス ✦

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 乃蒼は、海翔の手を握りながら思った。


 ───なんて図々しい事を言ってるんだろう。


 二人の関係をくまなく知る海翔は、たとえ生命の誕生が絡んでいても、気乗りしないどころか全力で拒否したいと願い出てもおかしくない。
 無論、私情など挟まない、と表面上は穏やかなままで居てくれるのかもしれないけれど、内心複雑なのは乃蒼よりも海翔の方だ。

 海翔の事しか見えていないという事を伝え足りない気がして、沈黙された乃蒼は呆れ混じりの溜め息を覚悟した。
 だが、海翔は乃蒼の想像を上回る寛大さを見せる。


「……もちろん、公私混同はしないよ。 大事な患者様だからね。 数時間後には、母子共に健康です、って言う事を願っていて。 きっと、この病棟に笑顔が咲き乱れる。 命は重たくて儚いけど、その反面とても美しくて綺麗で……強いんだ」
「綺麗で、強い……」


 ほんの何日か前まで、その尊さを慮れないと悲観していた人物とは思えなかった。
 前を向いた海翔の悟りは、医師を志した瞬間と同化し燦然たる意志を自分のものにしようという努力が見えた。

 海翔も強い。  そして、美しい。

 見目だけではなく、心がこんなにも清らかだ。
 伝えきれない想いは乃蒼の胸にまだたくさん燻っている。
 けれど、伝える手段も言葉も分からない。
 愛す事も愛される事も不慣れな乃蒼が、海翔の包容力の前には成す術がなかった。


「月光と早紀さんが笑顔になれるように、精一杯お手伝いしてくるよ。 応援しててね、乃蒼」


 一点の曇りもない、苦笑とは打って変わった綺麗な微笑みに見惚れてしまった。
 白衣の力に騙されていると思い込まないと、乃蒼は「行かないで」と裾を引っ張ってしまいそうだった。

 胸が苦しい。 会うたびに、声を聞くたびに、手を握られるたびに、海翔の事が好きだと思う。

 ずっと抱き締めていてほしい。
 もっと見詰め合っていたかったけれど、乃蒼はハッとして、湧き上がる想いに蓋をし現実を見た。
 陣痛室の扉の向こうから、早紀の呻きと月光のオロオロと落ち着かない足音が聞こえてきたのだ。


「……うん、うん……! 海翔、頑張って! 俺明日休み取ってるんだ、だから何時間でも待ってられる! ずっと待ってる!」


 院内なので控えめに、海翔に寄り添ってこれからの長丁場を激励した。
 いま乃蒼に出来るのは……これだけ。
 海翔の傍に居る。 海翔が居ないと、愛してくれないと、乃蒼はもう一人では立っていられないから。

 複雑な心境を払拭させてやりたい一心で、乃蒼は要らぬ一言まで言ってしまった事に気が付かなかった。
 おかげで海翔からクスクス笑われてしまう。


「ふふ……っ、今日そんなに頑張る気だったの?」
「…………! は、早く行って来い!」


 真っ赤に色付いた顔色を隠すかの如く、海翔の背中を押した。
 一晩中愛し合う事を想定し、翌日ヘトヘトになってもいいように無理に理由を付けて休みを取ったのは事実だ。
 それはあまり、……知られたくなかった。
 微笑む海翔が陣痛室の扉を開けた途端、中からこの世で一番空気の読めない男の乃蒼を探す声が聞こえてきて、慌てて踵を返す。


「乃蒼は!? 乃蒼と連絡つかねぇんだ! 乃蒼……っ、……! あ、やっぱり来てくれたのか!」


 しかし、逃げ遅れた乃蒼はすぐに見付かって肩を掴まれてしまう。


「ちょっ……! 何で出て来たんだよっ、早紀ちゃんの傍に居てやれよ」
「今から内診?するんだって! 乃蒼と話もしたかったから、ちょっと外すって言ってきたよ~!」
「いや……そんな事一言も言ってなかっただろ」
「心の中で思ったからいいんだ!」
「月光の理屈は誰にも通用しないの! いいから中戻れって」
「じゃあ乃蒼も一緒に居てよ~! 俺だけじゃ不安なんだってば~!」
「はぁ!? 何で俺が……っ」


 妻である早紀を置き去りにした月光は、あり得ない嘘まで吐いて乃蒼と居ようとした。
 しかも、よりによって陣痛に苦しんでいる早紀の元へ、乃蒼の腕を掴んで連れて行こうとしている。
 中に入るのは絶対に嫌だと足を踏ん張ったその時、陣痛室から海翔が顔を覗かせた。


「月光さん、早紀さんはあと……二時間ほどで分娩室に移動になると思います。 乃蒼と話をしてきても構いませんが、手短にして早く戻ってきてあげて下さい。 戻るまでは俺が付いてます」
「……話なんてないよ、俺には」
「俺にはあるんだよ~! 乃蒼~お願いだから無視はやめて~? その辺のとこじっくり話し合おうよ~」


 ここは仮にも病院なのだから、そんなに大声を出さないでほしい。
 背伸びをして月光の口を塞ごうとしたが、海翔がまだこちらをジッと見ている。
 自分から触れるのはマズイかと、やむなく背伸びをやめた。

 今さら月光とは何も話す事などない。
 乃蒼には、海翔が嫌な思いをしないかどうかの方が、月光との謎の話し合いよりも大切だった。

 三人はそれぞれの思いの中で互いを見ていた。
 このまま時間が止まったらどうしようと、重た過ぎる空気に乃蒼は気が気ではない。
 そんな中、ただ一人それどころではない人物が居た。


「うぉぉぉお~~月光ぉっっ! 早く戻ってきてよこのクソバカヤリチンホストぉ~~!!」



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