永遠のクロッカス

須藤慎弥

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 小高い丘の上の、十階建てマンションの最上階。
 海翔は、はじめから乃蒼と暮らす事を前提に(正しくは "夢見て" )、この一室を購入したという。
 彼の家族の手前一緒に住むのは来月からだが、乃蒼は海翔に半ば押し切られる形で一足早くここへ引っ越してきた。

 以前住んでいたアパートよりもおんぼろだった、つい三日前まで乃蒼の城だったそこと比べると天と地ほどの差があって、未だ慣れない。
 共に暮らすようになるまでは週末だけ泊まりに来る形となるため、「寂しい思いをさせてごめんね」と言いつつ、海翔は何だか嬉しそうだった。
 海翔の知らない家で乃蒼がひとりの時間を過ごすくらいなら、この家で過ごしてほしいと告げられた時、乃蒼に一切の迷いはなかった。
 「乃蒼と住むために買った」と豪語されると、遠慮は少々でまんまとほだされた。
 海翔の有無を言わさない物言いがここでも発揮されていて、はなから乃蒼には選択の余地が無かったのもある。


「───て事は、住む二ヶ月前から電気も水道も通してたのか? 住んでないのに?」
「うん。 いつ乃蒼が来てもいいようにね。 ……あ、この棒々鶏美味しい。 食べてみて」


 二人はダイニングソファに並んで腰掛け、日勤終わりの海翔が買って来た中華料理の品々に舌鼓を打っていた。
 今日は土曜日。
 海翔と過ごしたベッド上でのあれこれを思い出しては恋焦がれる三日間を過ごしていたので、乃蒼は少ない荷物を解きながら週末を指折り数えていた。

 朝は「おはよう」のメッセージから始まり、仕事中も暇さえあれば何気ない一言メッセージを送ってくれて、仕事が終わるとすぐに電話を掛けてくるマメさに胸が高鳴りっぱなしだ。
 今日の日を待ち望んでいたのは海翔も同じだったようで、開いた扉から食い気味に入ってきた海翔に玄関先で熱いキスをされた時は、一気に思考がゼロになって頭が沸騰した。
 ほんの少しの気恥ずかしさを抱える乃蒼に対し、一途な想いを打ち明けた海翔の方は「好き」の垂れ流し状態で、すっかりスキンシップ過多だ。


「あーん」


 棒々鶏を箸で摘み、ナチュラルに乃蒼の口の前に持ってこられたのにも一瞬照れて、乃蒼はおずおずと口を開きパクッとそれに食い付いた。


「……ん。 あ、美味しい」
「でしょ。 お店の中華って今まであんまり食べた事なかったんだけど、美味しいんだね」
「そうなんだ。 まぁ海翔は家飯って感じだもんな」
「そうだよー。  和洋なら何でも作れるから、一緒に暮らし始めたらいつでも作ってあげるね。 ……あ……でも、乃蒼にもいつか手料理振る舞ってもらいたいかも」
「いいよ、もちろん」
「ふふ、嬉しい。 即答だ」
「当たり前じゃん。 一緒に住むんだから。 ……恋人、なんだろ」


 良いお兄さんである海翔が家事に長けている事くらい、以前思いもよらぬ形で行った彼の実家にてすでに体感している。
 自分で言っておいて激しく照れた乃蒼は、箸を置いてお茶を飲んだ。

 甘酸っぱい空気はやはり照れくさくて、スラスラと「恋人だろ」なんて言えてしまう自身にも驚きを隠せない。
 乃蒼に触発された海翔もわずかに照れてしまい、嚥下がうまくいかなかった。


「もう……食事が疎かになるから、あんまり過激な事は言わないで」
「なんだよ過激って」


 照れ隠しに笑うしかない乃蒼の頭を、海翔は優しくポンポンと撫でた。
 いつどんな時に触りたい衝動に駆られるか分からないからと、乃蒼をさり気なく左側に座らせた海翔の溺愛が凄まじい。


「ん、ちょっと待って。 ……病院からだ。 出てもいい?」
「聞かなくていいよ、職場からなら早く出ろ」


 テーブルに置かれたスマホではなく、海翔の鞄の中からそれの着信音が聞こえてきた。
 プライベート用と仕事用のスマホを分けているらしい海翔は、乃蒼の頭をもう一度撫でて立ち上がる。


「……はい、三嶋です。 ……えっ? あ、はい、日勤でもう自宅ですけど……。 ……えぇ? いや、もう産科勤務じゃないのに何で……?」


 会話をしながら戻って来た海翔だったが、腰掛ける事なく立ったまま険しい表情を浮かべていた。


「……もちろん今からって事ですよね。 ……分かりました、すぐに行きます」


 通話が終わり、ふぅ、と息を吐いた海翔がスマホから乃蒼に視線を移す。
 会話内容は把握出来なかったが、今から病院に戻らねばならないという事は聞いていて分かった。


「どうしたんだ?」
「ごめん、乃蒼。 赤ちゃん産まれそうなんだって。 病院行かなきゃ」


 海翔がすまなそうに詫びる理由は一つしかない。
 今日は一晩中甘いひとときを過ごせると思い込んでいたのは乃蒼だけではなく、晩飯時に酒を一滴も飲まなかった海翔もまた、同じ思いだった。
 だが仕事ならば仕方がない。
 職種柄、こういう事は恐らく珍しくないのだ。


「……うん、……そっか。 ……あれ、今度は俺だ……この番号誰だろ」


 自然と乃蒼も立ち上がり、差し出してきた左手をキュッと握った矢先、次は乃蒼のスマホが賑やかしい。
 ことごとく甘い雰囲気が壊されていく事に舌打ちをしたかったが堪えて、スマホを見てみるが名前が記されていない。
 番号表示のみのそれに、乃蒼は首を傾げる。


「出てみたら? 俺は着替えてくるね」
「うん。 …………もしもし?」
『乃蒼! 乃蒼! ヤバイんだ! すぐ来てくれ! ヤバイんだよ~~!』


 海翔の後ろ姿を追いながら恐々とスマホを耳にあててみると、昔からよく聞いていたタラシの声がした。
 電話口での非常に切羽詰まったその声色に、ただ事ではないと悟った乃蒼は、かつての情に突き動かされて衝動的に通話を切るという事はしなかった。



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