永遠のクロッカス

須藤慎弥

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 海翔の手のひらから、乃蒼が欲している愛がどんどんと体内に染み込んでくる。
 それは手のひらだけではなく、表情から、全身から、視線からでさえ乃蒼への慈しみを感じて、冷風が吹き荒んでいた体が瞬間的に熱を帯びたのが分かった。

 頭一つ分は背の高い海翔が、今にも乃蒼の唇を奪おうと腰を屈めている。
 魅惑のキスまであと数センチにも関わらず、乃蒼が答えるのを待つ海翔は麗しく見詰めてきて名前を呼ぶだけだった。


「…………乃蒼」


 数十分に一度は通り掛かる通行人が気になって、乃蒼はこの期に及んでもまだ海翔の手から逃れようとしていた。

 連絡が来なくなって二週間。
 紫色のクロッカスの花と生活していた乃蒼の心が、いつの間にか月光と離れた時以上に冷え切って荒んでいた。
 読むだけ読んで、欲しかった愛を貰うだけ貰って、返事を返さない乃蒼にいよいよ海翔は嫌気が差したのかもしれないと不安でいっぱいになり、決まり掛けていた気持ちが壊れそうだった。
 朝起きて、仕事の合間を見て、勤務が終わってすぐと帰りの道中……乃蒼の手には常にスマホがあった。


『風邪引いてたんだ、ごめんね。』


 そんな謝罪のメッセージがくる事を待ち侘びて、毎日スマホ上で海翔の名を探した。


 次は絶対に返事をするから。
 嫌わないで。  見捨てないで。
 ───お願い、……変わらず愛していて……。


 必ず、次は必ず応えるからと、鳴らないスマホを握り締めて海翔からの「愛の後悔」を待ったが、決心してから今日まで、とうとうそれは来なかった。


「…………嫌われたと思ってた……」
「嫌ってないよ。 好きだよ」
「じゃあなんで……っ」
「乃蒼。 ……俺は、後悔は終わったのか、聞いたんだよ」


 海翔は、乃蒼が言い渋る言葉を待っている。
 あくまで穏やかに、海翔らしく、激しく急かす事はしない。

 どちらかが少しでも動けば唇は触れ合ってしまうのに、互いがそれを躊躇っていた。
 波音と潮風、そして、来てくれるとは思わなかった海翔の愛ある視線に包まれて、乃蒼は意を決する。
 怖いけれど、物凄く勇気がいるけれど、伝えなくてはいけない。
 他でもない海翔がそれを望むのなら、貰ってばかりだった愛を返す日が来たのだ。


「終わった……終わったよ……っ」


 勇気を出して言い終わると同時に、海翔の唇がそっと下りてきた。
 湿ったそれは、甘く浸透するチョコレートのように美味しくて、触れるだけでは物足りなかった乃蒼は、海翔の背中に腕を回して催促した。
 頬に置かれていた手のひらが、乃蒼の腰と後頭部に置かれる。
 分かってくれた。
 これよりももっと美味しいキスを知っている乃蒼には、触れ合うだけでは到底足りない。
 海翔の想いを知り、受け入れたいと望んだ今は、強引な舌と唇が何よりも欲しかった。


「……ん……っ」


 うっとりと瞳を閉じて現実から遮断された今、ここに通行人が居ませんようにと願う事しか出来なかった。
 海翔は仕事終わりなのか、病院特有の薬品の匂いが微かに鼻を掠める。
 ドクターコートを羽織った海翔の姿が目に浮かび、乃蒼の心がキュンとして華やいだ。

 甘えた吐息を零す乃蒼の、呼吸さえ奪ってしまいかねない海翔の舌遣い。
 乃蒼の舌を誘うように動きまわる、優しいようでいて力強く貪ろうとする滑らかな海翔の舌は、ものの数分で乃蒼を立っていられなくした。
 膝の力が抜けても、海翔は乃蒼の腰を支えて口付けをやめず、ぴちゃぴちゃと唾液の混じり合う音がしたがそれを波音はかき消してはくれなかった。
 海翔のキスは、今も昔もセックスと同等だ。
 唇を合わせ、舌を絡ませ、口腔内を遠慮なしに舐め上げられると、目の前がチカチカする。

 乃蒼はキスが嫌いだ。
 若かった海翔との一夜で味わった極上のこのキスを、海翔本人しか与えてくれないから。
 きっとこの世にいる誰も、こんなに昂ぶるキスは与えてくれない。
 肌を寄せ合っていないのに、全身をたっぷりと愛撫されているかのような高揚感と恥じらいを生む。
 こんなキスを、誰が与えてくれるというのか。
 火照る体ごと犯されている気分になる。
 蠢く舌だけで、乃蒼をたちまち陥落させる。


「……ふ、っ……」
「乃蒼……」


 切なく、甘く、たっぷりの愛を含んで名前を呼んでくれた海翔は、間違いなくまだ乃蒼を好きで居てくれていた。
 メッセージをくれなくなった理由など、もういっその事どうでもいい。

 乃蒼は、海翔の背中に回していた腕に力を込めた。
 そして無意識に、キスの合間を見てこう呟いていた。


「……海翔……、抱いて……」


 心と体を、海翔でいっぱいにして───。
 乃蒼の愛の呟きも、波音はかき消さなかった。




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