永遠のクロッカス

須藤慎弥

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✧*。 100 ─海翔─

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 乃蒼が、確かにそう、呟いた。

 姿を消してから毎日欠かさなかった朝晩のメールが来なくなって……乃蒼は不安でいっぱいだったのだと、その一言にすべての思いが詰まっていた。
 返事は一度も無かった。
 けれどLINE同様、メールでも既読表示があるため、海翔の何気ない挨拶と一文、そしてクロッカスの花の写真を乃蒼が毎日見てくれていた事は知っている。

 最初は戸惑ったに違いない。
 姿を消した事を責めもせず、問い詰める事もなく、居場所を聞き出そうともしない海翔の挨拶文と謎の写真に、ついに頭がイカれたのかと思われてもおかしくなかった。

 それでもいい。
 どこに居ても、どんな状況になっても、海翔が傍に居るという事を分かってくれさえすれば、どう思われても。
 愛されたい乃蒼の気持ちが海翔に揺れ動く瞬間を目の当たりにしておいて、逃がすはずもない。

 ただし、心を攫うつもりもなかった。

 傷心の乃蒼が縋る事の出来る、唯一の相手となれればそれで良かった。
 クロッカスの意味に気付き、恐らく前々から自覚のあった後悔をし尽くして、ふと前を向いた先に海翔が居る安心感を与えられれば、それで───。


「……そんなはず、……ないでしょ……」


 胸元に手を置かれたままだったが、海翔は気にせず再びその体を抱き締める。
 新たな後悔を心に滲ませて、絞り出すような声で囁いた。
 この時期の夜の海風はあの頃よりも温かい。
 けれど、心の中で「乃蒼が冷えるといけないから」と尤もらしい理由を付けて抱き締め続けた。

 この先も、乃蒼以上に好きになれる人は居ない。
 これは確信だ。
 学生時代の淡く青い恋心とは訳が違う。
 現在に至るまで、海翔には乃蒼しか見えていなかった。
 いつの日か乃蒼が月光の呪縛から抜け出せたその時、すかさず奪い取るための準備は粛々と行っていた。
 諦められるはずがない。
 無謀だと分かっていても、乃蒼を想う事をやめられなかったのだ。
 しかしこんな結末は予想だにしていなくて、乃蒼の心の傷は容易く癒せないほど深くなった。
 それだけが誤算だった。

 今や海翔が何よりも恐れる命のために、乃蒼は無理やり呪縛から抜け出さなくてはならなくなった。
 月光と愛し合えると希望が見えた矢先の、絶望。

 乃蒼自らが青春の後悔に気付いて身を引く事が出来ていたら、そんなにも傷付かずに済んだのに。
 海翔も、まだ打ち明けていない事をさっさと明かして乃蒼の気持ちを攫ってしまえば良かったのに。

 ………後悔している。

 拒絶を恐れて、乃蒼を愛すチャンスをことごとく棒に振った事を、乃蒼が傷付いたあの日からずっと、ずっと、後悔している。


「好きだよ。 乃蒼の事が好き。 乃蒼の事だけが好き。 俺には乃蒼しか見えない。 好きだよ、乃蒼。 好きじゃなかった事なんかないよ」
「………………」
「乃蒼の事だけが、……好き」
「………………っ」


 「好き」と口に出す度に、乃蒼を抱く腕に力が入る。


 好きだよ。
 乃蒼の事が大好きだよ。
 俺が弱いせいで乃蒼を捕まえられなくて、ごめんね。
 傷付く前に乃蒼を攫ってしまえば良かったね。
 笑顔を忘れてしまうほどの痛みなんか味わってほしくなかったけど、それを知らないと乃蒼は一生俺を見てくれなかったかもしれないから……二人にとっては大事な「後悔」だったのかもしれないね。
 はじめからこうなる事が分かってたら、勇気を出せたのに。
 俺は意気地なしなんだよ。
 乃蒼の事が大好きで、愛し過ぎて、想いを伝えたら乃蒼が離れていってしまうんじゃないかって、怖かったんだよ。

 俺は、月光じゃなかったから───。



「海翔……、痛い」


 思わず、痩せた乃蒼の体を力の限り締め上げてしまっていた。
 慌てて力を抜いて見下ろすと、無表情の乃蒼が海翔を見上げた。
 波の音と海風がムードを増長させて、背中を押してくれる。
 不安にさせてしまった事を謝らなければと、海翔は口を開いた。


「ごめんね、乃蒼」
「いや……そんな謝るほどは痛くなかったけど」
「あ、そうじゃなくて……。 連絡しなかった事。 待ってたんでしょ?」
「待ってなんか……!」


 溢れ出た想いの分だけ強く抱き締めた事は、詫びるつもりなど無い。
 乃蒼の瞳が見開かれ、照れて真っ赤になった顔を逸らそうとしたが、海翔はそうはさせまいとその頬を取った。


「あのクロッカスの花は、乃蒼の?」
「………………」


 小さく頷く、乃蒼の頬が徐々に熱くなってくる。


「……それは、クロッカスの花言葉を知った、って事だよね?」
「………………」


 もう一度頷いた乃蒼は一見可哀想に思えるほど、露出した肌すべてが真っ赤になった。
 この表情と、頬から伝わる急上昇した熱で聞かなくても分かったが、海翔はどうしても乃蒼の口からそれを聞きたくて、唇に迫る。


「俺達の後悔は……終わった?」


 数少ない通行人の好奇の目などお構いなしに、二人の吐息が重なった。
 乃蒼の瞳が潤んでいてどれだけ誘われても、唇が触れ合うスレスレのところで止めて、海翔は待つ。


 ───乃蒼、……言って。 後悔はさせないから。 嫌と言うほど愛してあげるから……。



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