永遠のクロッカス

須藤慎弥

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 新しい街に馴染むのは簡単だった。

 乃蒼は見た目でまず好印象を持たれる。
 美容師らしく綺麗に整えられた明るいオレンジブラウンの髪色はやや派手だが、ミディアム丈の毛先を僅かに遊ばせた軽やかなヘアスタイルに、意思の強そうな眦に対し優しげな眼差し、程良く高い鼻筋と小さめの唇。
 見た目は今風と言っていい。
 背は百七十一センチと男にしては低めかもしれないが、それは華奢な体躯に合わせた衣服のコーディネートで見事に誤魔化せている。

 あまりにも見目が出来過ぎた美容師としての乃蒼は、近寄りがたい印象とは真逆で話し方がとても穏やかである。
 客への相槌一つ取っても、一切手を抜かない。
 そのギャップに魅せられ、新しい職場のスタッフや客達にも初日からすんなりと受け入れられた。
 そこで働くのは乃蒼を含むスタイリスト四名と助手二名のこじんまりとした美容院ではあるが、度々街の無料配布雑誌に取り上げてもらえるおかげで、予約簿は連日埋まっている。

 今の乃蒼には、忙しい毎日は助かった。
 仕事内容は同じでも、新しい職場ともなると一からのスタートになる。
 それがありがたかった。
 隣町なので以前の職場にも通えない事はなかったが、考え込む余裕があってはダメだと思った。

 とにかく何も考えずに忙しない日々を過ごして、心を休めなければならない。
 考えてはいけない。
 月光の事も、海翔の事も。

 だが考えないようにしたいと何もかもから逃れたはずの乃蒼の元に、引っ越した翌日から海翔からのメッセージが届き始めたのは想定外だった。
 余計な詮索は一切せず、何年も会えていない海外への友人にあてたような何気ない文面に、迷う乃蒼の心は満たされる。

 海翔がこうする事の意味は何となしに分かる。
 分かるからこそ、決心が揺らぐ。
 愛されたいと願っている乃蒼は、愛され方が分からない。

 恋をする事を恐れ、無意識に忘れ去っている今、乃蒼にはその一歩がどうしても踏み出せなかった。
 しかし、……。
 いつまでも惑い、逃げ続けても、海翔のためにも乃蒼のためにもならない。


「───分かってるんだけどさ……。 あ、お疲れ様です。 お先に失礼します」
「お疲れ様です! 佐伯くん、明日もよろしくねー!」
「はい、こちらこそ」


 今日も無心で何とかやりきった。
 この美容院はオーナーの都合で閉店が早く、十九時には店を出られる。
 乃蒼は、笑みは浮かべられなかったが頭を下げて礼儀正しく挨拶をし、すぐに駅前の花屋に向かった。
 駅前の花屋は二十時まで開いているらしいと情報を掴んだので、スマホを手に気持ちが急く。


「あ、あったあった。 ……すみませーん」


 駅前というより駅の建物内にそれはあった。
 大量の花々に迎えられて恐る恐る無人の店内へ入っていくと、頑固そうなおじさんが奥からのそりと出て来た。


「はいはい」
「あ、っ、すみません。 えーっと……この花の名前、教えてもらえませんか?」
「どれ?」
「……これです」


 おじさんの顔に、客じゃないのかよ、と書いてある。
 非常に失礼かもしれないが、このおじさんはパッと見では花を愛でそうなタイプではない。
 たとえあの花の名前を聞いたところで分からないかもしれないと一瞬不安がよぎったが、おじさんはおでこから眼鏡をずらして装着すると、スマホの画面を覗いてすぐに「あぁ」と声を上げた。


「これはクロッカスだ」
「……クロッカス? 聞いた事ない……」


 乃蒼の手からスマホを奪ったおじさんは、画面に写ったクロッカスの花をまじまじと見た。
 初めて聞いた花の名を、乃蒼は教わったそばから忘れないよう何度も「クロッカス、クロッカス、……」と復唱する。


「しかも紫色じゃないか」
「そう、紫色なんです! ゆ、友人が毎日のようにこの紫色の……クロッカス、を送ってくるんですけど……」
「……そりゃあんた……花言葉を知った上で送ってくるのかね」
「さぁ……。 クロッカスの花言葉って何なんですか?」


 おじさんの反応から察するに、やはり色に関係があったらしい。
 花言葉という単語さえ今知った乃蒼に、その意味など分かるはずもなかった。
 先程のおでこの位置に眼鏡を移動させたおじさんからスマホを受け取り、今度は乃蒼が画面に食い付く。


「紫色のクロッカスの花言葉は、「後悔」」
「「後悔」……?」
「いや違うな、「愛の後悔」だったかな」
「あ、愛の、後悔……っ?」
「クロッカスの花言葉はヨーロッパの神話が由来だと言われておるが……いくつか諸説あるから、詳しい事は自分で調べなさい。 ……なかでも紫色のクロッカスの花言葉は特にネガティブだ」
「………………」



 ───愛の……後悔……。



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