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しおりを挟む『俺には乃蒼しか居ない』
この、低過ぎない甘やかな海翔の声が、乃蒼の鼓膜に刻まれている。
新しい街に来て三ヶ月。
毎晩乃蒼は、海翔の腕に抱かれている夢を見る。
それだけではない。
夢の中でさえ海翔は、乃蒼の心を少しずつ少しずつ愛で満たしていた。
シンプルな私服姿で乃蒼に笑顔を向けてくる海翔。
惚れ惚れして見惚れてしまうほど似合っている白衣姿で、病院内を闊歩する颯爽とした海翔。
とてもそうは見えないのに、家ではジャージだけで過ごす自然体で微笑ましい海翔。
寒がりなのに薄着を好む少し天然な海翔。
どれもこれも乃蒼の心を満たし続けていて、日中、海翔の事を考え始めると仕事も手に付かなくなる。
息苦しくもなるし、仕事に集中出来なくなるし、そうなると倒れそうになってしまう乃蒼は、意識して海翔の事を思い出さないようにしていた。
『乃蒼を愛している』と口走った、どうしてか切ない表情を浮かべていた海翔を思い出すと、目の奥が熱くなる。
高校時代から七年以上も、乃蒼だけを密やかに想い続けてくれていたという一途さにも、心を大きく揺さぶられた。
想うだけはツラくて虚しい。 その事は、乃蒼が身をもって体験している。
想う事しか知らなかった乃蒼に、ひっそりと恋心を抱いていた海翔。
ぽっかりと大きな穴が空いてしまった乃蒼の心が、海翔の温かさを思い出すにつれていつしか少しずつ修復されていることにも気が付けなかった。
だからと言って、すぐには結論を出せない。
本当は見え隠れした答えがあるにも関わらず、どうしてもそれに辿り着く勇気が無い。
本心として、これまでそんなにも想われた事がない乃蒼には、まだよく自分の気持ちが分からないというのもあった。
愛していると言われても、息苦しくなるだけ。
照れくさくてどうにも出来なくて、身の置き場がなくなるだけ。
どうしてそうなるのか、乃蒼には分からない。
月光を想っている間、常に押し殺していた恋心とは少しばかり違うのだ。
何かに取り憑かれたように月光の影を追い、この世には月光しか居ないのだと錯覚していたほど、乃蒼の心は囚われていたから。
想う事、求める事に慣れていても、想われ、求められる事には慣れていない。
だから、分からない。
愛してほしいと切に願っているのに、願うだけで叶わなかった期間が長過ぎて。
そしてまた、向き合いたい者からの愛を受けられなかった乃蒼には、求められる事が不慣れで気持ちが追い付かなかった。
乃蒼は目覚めて早々、寝ぼけながらもすぐにスマホを起動させる。
朝の七時五分、海翔からメッセージが届いていた。
『おはよう。 今日はすごく温かくて、春の陽気なんだって。 スプリングコートはいらないかもしれないね。』
「……今日……温かいんだ……」
乃蒼がこの街に来て三ヶ月、海翔は朝晩の一日二回、大体決まった時間にメッセージを送ってくる。
朝は「おはよう」の挨拶とその日の空模様に始まり、夜は「おやすみ」の挨拶と共に謎の花の写真を添付してきて一日を締めくくる。
乃蒼は一度も返事を返していないけれど、かといって削除する事もなく毎日欠かさず読んでいた。
草花には詳しくないのでどう検索したら
良いのか分からず、必ず夜に送られてくる紫の花の名前は未だに知らない。
「マメだなぁ、海翔……」
突然姿を消した乃蒼を責めるでもなく、何気ない日常の中に溶け込むようにあっさりとした文面が、引っ越しの翌日から届くようになった。
休みなく毎日だ。
三ヶ月もの間、乃蒼は返事をしていないにも関わらず、海翔は乃蒼が読んでくれている事を信じて一日も欠かさない。
どこに居るの、などと聞かれていればすぐに月光へと同じく着信拒否行きなのだが、送られてくるのは朝晩の挨拶と温かい日常的なメッセージのみなため、乃蒼はそれを読むのがもはや日課になっていた。
研修医として多忙な毎日を過ごしながら、今も妹達の世話をしているらしい海翔がその日の朝の天候をいつも教えてくれるので、乃蒼はそれを読んでから寝間着を脱いでいる。
「おはよう、海翔」
スマホに向かって言うのはこれで何度目か。
毎朝、毎晩、返信しようとしてしまう指先を叱咤する毎日。
月光との別れに絶望していた時、海翔が可能な限り乃蒼の傍に居てくれたおかげで、乃蒼自身も驚くほど平常心を保てている。
乃蒼の中で絶対的だった月光の存在が消え、暗闇に迷い込んで堕ちていくだけだと悲観したあの時から、海翔は今でさえ乃蒼に見返りを求めない。
忘れられる日がくる───そう言って抱き締めてくれた力強い腕の感触が、乃蒼の体にはまだ残っていて……苦しかった。
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