永遠のクロッカス

須藤慎弥

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✧*。 88─海翔─

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 欲情と興奮の流れが一気に変わってしまい、二人の熱は急速に冷めてしまった。
 その理由はお互いの内に秘めて、海翔はしょんぼりとした乃蒼を強引に抱き上げると、とにかく気持ちと同様に体内を覚ますべく二人でシャワーを浴びた。

 頑なにセックスしなかった事で拒絶されやしないかと焦ったが、乃蒼は黙って海翔に世話を焼かれている。
 おとなしい乃蒼の体の隅々まで洗ってやり、のぼせるといけないのでシャワーだけにして、体を綺麗に吹き上げてからまた抱き上げ、ベッドへと運んだ。
 裸のまま抱き寄せて狭いベッドで密着すれば、肌寒さなど感じない。
 暖房を入れてくれているし、昔懐かしい小さな石油ストーブも部屋に設置されている。
 寒がりな海翔のためにいつの間にか乃蒼が買ってきていたもので、それを聞いた時は柄にもなく飛び跳ねそうな勢いで嬉しかった。

 普段から口数は少ないが、乃蒼は心優しい。
 海翔の胸に体を預けてくれる、そんな乃蒼の心情は図れないけれど、嫌だと突っぱねられなかったので好きにしていた。
 すべすべな肌を撫でてみると、乃蒼が小さく「ん…」と声を上げる。 途端に海翔は誘惑と戦わねばならなかったが、触れずにはいられなかった。
 あえて服を着せなかったのは、海翔がこの肌に触れていたかったからである。
 そして乃蒼に、セックスを「拒否」したのではなく「自制」したに過ぎないのだという事が伝わればいいと思った。


 ───乃蒼に誘われて拒否できるわけない、か……。


 いくらも乃蒼に触れていなかったせいか、余裕綽々で居過ぎた。
 酔いどれ天使はいつもいつも、海翔の理性を簡単に打ち砕いてしまう事くらい分かっていたはず。
 しかしだ。 月光と本当の別離をした今日、相手が海翔だと認識した上で誘惑されるとは思ってもみなかった。
 失意のどん底を味わっていると、そんな気さえ起こらないのではないかという考えは、甘かった。
 何せ乃蒼は、愛されたい人なのだ。


「───乃蒼……寝ちゃった?」
「……起きてる」


 腕枕をすると、ピクリとも動かない乃蒼は寝てしまったかと試しに尋ねると、くぐもった声で返事が返ってきた。
 不機嫌ではなさそうだ。


「ご飯美味しかった?」
「…………うん」
「朝ごはんはパンとごはん、どっちがいい?」
「…………パン」
「明日職場まで送っていい?」
「…………うん」


 中途半端なセックスとシャワーの効果で完全に酔いが覚めたらしい乃蒼は、そんな気分ではないだろうにきちんと返事を返してくれて可愛い。
 本当は半分覚醒した状態だったことも、特に隠してはいないのだろうが海翔もあえて探ろうとはしなかった。

 「愛」という言葉は忘れてくれと言ったにも関わらず、これだけ強く裸のまま抱き寄せていては、矛盾しているだろと咎められてもおかしくない。
 けれど乃蒼は、一向にそれを口には出さない。
 シャワーを浴びている最中も、そしてきっと今も、大きな戸惑いの中に居る。
 乃蒼の中で絶対的だった、月光という存在が失くなったその日に別の者から「愛」を伝えられれば、それはもちろん狼狽えないはずはない。
 海翔の心も、乃蒼ほどではないにしろかなり動揺していて、コンドームがあれば確実に事に及んでいたと思うと複雑な心境だ。


 ───友達の位置でいい。


 心からそう思っているのに、据え膳が目の前に在ると例に漏れず手を出してしまう、己の不条理さには呆れた。


「……そういや、助手の子が海翔と話したいって言ってた」


 苦笑していると、胸の中で唐突に乃蒼が呟いた。
 助手の子とは、乃蒼が働く美容室の、だろう。
 何度か乃蒼を送迎した事がある海翔は、店内からチラチラとこちらを窺っていた女性二人の顔を思い浮かべた。


「へぇ? 乃蒼なんて答えたの?」
「…………ダメ、って」
「えっ、どうして? ダメじゃないよ、俺」
「…………医者だって聞いたらさらにうるさくなりそうだから、言ってない」
「ふっ……。 なるほど、そうなんだ」
「…………海翔も……~~だろ」


 何故か布団に深く潜り込んだ乃蒼が、何事かを呟いたのだがいよいよ聞き取れなかった。
 海翔のささやかな思惑によって服を着せなかったので、寒いのかもしれない。
 布団を少しだけ捲り、もう一度耳を澄ませてみる。


「え、何? 乃蒼ごめん。 聞こえなかった」
「……いや、……なんでもない」
「何なに? 気になるよ」


 決して目を合わせようとしない乃蒼は、海翔が捲った布団を奪って頭まで被る。
 何と言ったのか聞き出そうとしたものの、そんなに寒いなら服を着せなければと海翔は体を起こした。
 ぽふぽふ、と布団の塊を撫でていると、その中からモゴモゴと声がする。


「…………海翔もモテるんだろ、って言った」
「え……?」
「……なんで俺はモテる奴ばっか……」
「ちょっ、……乃蒼? それどういう……!」
「なんでもない! 寝る!」


 布団の塊がより丸く、強固になった。
 一組しかない布団を奪われた海翔は丸裸で塊を見詰め、耳を疑っていた。
 寒いのが苦手なのは海翔の方なのに、寒さを感じない。


 ───乃蒼、それはどういう意味なの……? 少しは俺との可能性も考えてくれる、って事……?


 海翔からの「愛」という重い言葉を受けた乃蒼の戸惑いは、二人の間にはどうする事も、どうなる事も出来ない詫びの惑いだと思っていた。
 恋人なんかもう要らないと涙していたからには、「愛」を打ち明けたところで何の進展も、その可能性すら微塵も無いと諦めていたからこそ「忘れて」と言った。

 セックスを中断してから乃蒼が黙ってしまっていたのは、海翔にとっては希望のない狼狽なのだろうという、その思い込みは開き直りに近い。


「……乃蒼、入れて。 寒い」


 ───顔を見せて、乃蒼。


 丸くなった塊に声を掛けると、じわじわと隙間から指が伸びてくる。
 海翔はその指先を握り、勢いよく布団を剥いだ。



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