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✧*。 85─海翔─
しおりを挟む傷心であまり食欲が無さそうな乃蒼のために、野菜たっぷりのきのこリゾットを作った。
初めて振る舞う料理がこんなに手軽なもので良かったのかと野菜を切りながら自問したが、それよりも乃蒼の体を労りたかった。
「美味しそ~~っ」
テーブルへ運ぶのを手伝ってくれた乃蒼が、皿の中に鼻を浸けてしまいそうな勢いでリゾットの香りを嗅いでいる。
空腹を感じるのは良い事だ。
生きている証、心が元気になれる可能性を大いに秘めている証拠。
乃蒼の素直な反応に、海翔はクスクス笑った。
「乃蒼がちゃんと食べられるようになったら、もっと美味しいものたくさん作ってあげるからね」
「ちゃんと食べられるようにって……俺 病人じゃないよ」
「今は胃に負担かけないようにしないと。 分かってると思うけど、このお酒も二本までね」
食卓につくと、乃蒼は早速缶チューハイを手に取ってどれを飲もうかと眺めていたので、早めに釘を差しておいた。
心配しなくても乃蒼の弱さであれば二本が限界だろうが、長男気質の海翔は言わずにはいられない。
今日がどんな日であるかも考慮しておかなければ、泥酔どころの騒ぎではなくなる。
乃蒼が持っている缶チューハイを優しく奪い取り、アルコール度数を見ていると、いかにも不満そうな瞳が寄越される。
「とことん付き合うって言ってくれてたのに……」
「付き合ってあげたいけど、乃蒼お酒弱いんだもん。 しかも今までサングリアしか飲んでこなかったから、缶チューハイも初めてでしょ? それなのにこんな度数の高いものばっかり買って…」
「海翔兄ちゃん現るー」
「冷蔵庫の中に甘そうなのあったから、今日はそっちにしなさい。 いい?」
「……はーい」
「ん、いい子」
まだ不満そうではあったが、とにかく飲みたいらしい乃蒼は素直に頷いてくれて妙に可愛かった。
飲みたい気持ちは山々でも、一人で飲む事にも、サングリア以外の酒を食らう事にもいくらかの不安があったのだろう。
海翔は立ち上がり、冷蔵庫から桃とグレープフルーツの缶チューハイを持ち出してきて乃蒼に渡した。
この二つは、テーブルに置かれていたものよりも遥かにアルコール度数が低めだ。
「いただきます」
「いただきます」
酒も料理も整い、二人同時に手を合わせた。
乃蒼は海翔特製のリゾットを一口食べる毎に「美味しい」と褒めてくれ、初めて口にした甘い桃の缶チューハイを飲んだ時も「美味しい」と感嘆の声を上げていた。
妹達に振る舞うのとは訳が違う。
少々の緊張を味わっていた海翔は、あまり自身の作ったものの味が分からなかった。
ぺろりと平らげて満足そうにお腹を擦る動作を見ていると、その幸せな満腹感で乃蒼の身に起こった散々たる出来事などすべて忘れてしまえたらいいのに……と思う。
たとえ今はそれが無理だとしても、少しでも忘れていられるのならばその積み重ねに期待が持てる。
これ以上、乃蒼を傷付ける事柄はこの先一つもないはずだと、海翔は誰よりも信じていたかった。
「乃蒼、お酒の冒険はしないんじゃなかったの?」
「ん~……。 なっ。 サングリアじゃないの、初めて飲んじゃったぁ」
「……………え……乃蒼?」
嬉しい事に皿は空っぽで、カコン、と音を立てて桃のチューハイの空き缶をテーブルに置いた乃蒼は、気付けば頬がピンクに染まっていた。
───嘘でしょ、……まだ一本だよ……?
声の調子も、口調も、海翔のよく知るあの酔いどれ天使が、いつの間にか舞い降りている。
驚く海翔をよそに、笑えなくなってしまっていたはずの乃蒼がテレビを指差してケラケラと笑い始めた。
それは芸能人同士が本意気で不満を言い合う、ドキュメントなのかバラエティなのか判断の難しい番組だった。
ケラケラ笑えるほど面白いものではない事は、間違いない。
しかもこの一時は例外なのか、彼の口元はかつてのように綻んでいる。
「ふふっ……ウケる……この人見てよ、なんでこんなに怒ってんの」
「怒ってる人見て笑っちゃダメ」
「ねぇ、この人なんでこんな怒ってんのー? ねぇねぇ~」
ついさっきまで、乃蒼は大人しく黙って食事をしていたので完全に油断していた。
ジュースのような缶チューハイたった一本で、見事に酔っぱらった乃蒼の凶悪なまでの甘えたが……始まってしまった。
これを見ると毎回、普段とのギャップにクラクラしてしまうので、海翔はこれから死に物狂いで理性をかき集めなければならない。
クールで穏やかな乃蒼も好きだけれど、酔った時にだけ現れる甘えん坊な乃蒼は積極的に海翔を誘ってくる。
酒飲みたい、と言われた時から薄っすら嫌な予感はしていたが、やはりこうなるのかと溜め息が溢れた。
完全に、この酔いどれ天使の破壊力を忘れていた。
「はぁ……。 やっぱり乃蒼はお酒弱いね……」
「なんでだよー! ねぇねぇねぇ~海翔~あともう一本ちょーだい。 今そっちにやったのグレープフルーツ味だよなぁ? ちょーだいちょーだい」
「まだ一本しか飲んでないのにそんなになってる乃蒼には、渡せません」
「え~~……海翔君、おーねーがーいー」
「海翔君って……」
突然ハートを鷲掴むような呼び方はしないでほしかった。
乃蒼の瞳が、缶に描かれたグレープフルーツの絵を一心に見詰めていたので早々と乃蒼から遠ざけたのに、だ。
ご機嫌で無防備な乃蒼が海翔にすり寄ってきた。
酔っ払っているせいで瞳をうるうる潤ませて、一見眠そうにも見えるほどその目尻はとろんと下がっている。
「ちょっ、乃蒼! 乃蒼!」
そしてあろう事か、海翔のスラックスのファスナーに手を掛けてヘラ、と笑った。
焦りを持って乃蒼の肩をゆるく押し戻した海翔は、笑顔なのにどこか切なげな表情で見上げてくる瞳に吸い込まれそうになった。
恐ろしいほどに誘われる、この瞳を忘れていた。 本当に。
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