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✧*。 84─海翔─
しおりを挟む乃蒼は自分でお酒を大量に買い込んでいた。
母親が仕事から帰るまで、妹達の面倒を見るために乃蒼とは昼に一度別れ、暗くなってからここへとやって来たのだが、来る前に連絡はしたのだ。
サングリアしか飲めないならゆるぎに行こうよと誘ったのだが、そんな気分じゃないと断られて家飲みになった。
来てみれば、テーブルの上に缶酎ハイやら缶ビールやらが十数本置かれていて、海翔は目を瞠った。
「一人でこんなに買ったの? 重かったでしょ」
言ってくれれば買ってきたのに、と言うと、乃蒼は冷蔵庫を開けながら手招きしてきた。
「見て」
「何? ……え、こんなに買ってどうするの、乃蒼」
覗いてみれば、冷蔵庫の中にもぎっしりとアルコールが詰め込まれている。
普段から自炊している乃蒼だが、月光との一件以来そんな気も起きずに出来合いばかり食べていてそれだけで心配なのに、さらにアルコール漬けになろうというのか。
「海翔、酒強そうだから飲めるだろ」
「さすがにこんなには飲めないよ。 酔わないにしても、腹部膨満感には勝てない」
「また難しい言葉使ってる……」
「ふふ、お腹がいっぱいだよーって事」
じと、と睨んでくる気兼ねない瞳が嬉しい。
乃蒼の頭をポンと撫でて、海翔はコートを脱いだ。 それを自然な流れで乃蒼が受け取ってくれ、ハンガーに掛けている。
毎回ここへ来る度に、まるで乃蒼と付き合っているかのような体験が出来て、いけないと分かっていながら海翔はいつも浮ついてしまう。
「外寒そうだな。 コート冷たい」
「うん。 雪降りそうだよ」
「雪?」
「雲がね、そんな感じ」
「雲ね……。 あ、海翔、ご飯食べた?」
カーテンの隙間から真っ暗な空模様を少しだけ見た乃蒼は、首を傾げながら戻ってきた。
お昼はとても食べられないと憔悴しきっていたが、ここに送り届けた午前中よりも今はいくらか顔色が良くなっていて安心した。
「食べてないよ。 乃蒼もでしょ? 今日はお家から出たくないって言ってたし、俺が晩御飯作ってあげる」
「えっ、……いいの」
「いいよ。 そのつもりでほら、材料買ってきた」
「やった。 手作りご飯久しぶり」
「乃蒼は座ってていいよ。 でもお酒はまだ飲んじゃダメだからね」
「はーい」
海翔が買ってきた材料を見ながら、何を作るのだろうと推理を始めた乃蒼の横顔を盗み見る。
───素直な乃蒼だ。 ……いけないな。 今すぐ抱き締めたいって思っちゃう……。
何事も無かったような乃蒼の態度は、まさしく月光の事は考えないでおこうという強い意思が伺える。
吹っ切るためには、乃蒼のこの強がりは大事な事だ。
くよくよして闇に沈んだままでいると、本当にいつまでも忘れる事など出来ないし、前には進めない。
同じだけ乃蒼を想い続ける海翔には、簡単には忘れられない恋だろう事は充分過ぎるほどに分かっている。
だからこそ前を向いてほしい。
月光の自宅から戻って来たあの時、『恋人なんかもう要らない』とうわ言のように呟いて眠りに付いた乃蒼には、少しずつでも月光への恋の灯火を消してほしいと願う。
「いいにおい……。 お腹空いてきた」
「そう? 良かった」
テーブルに両肘を付き、その上に顔を乗せている乃蒼を振り返ると、微かだが笑っているように見えた。
料理をする者らしく、いちいち聞かなくても分かる位置にすべてが配置されている、整頓されたキッチンが愛おしい。
ここで乃蒼が、一人で慎ましく暮らしてきたと思うとたまらなく心が揺さぶられた。
約五年間、乃蒼とは体だけの関係を続けてきた海翔は、ほんの何ヶ月か前まで乃蒼の連絡先さえ知らなかった。
セックスの最中、たまに『月光』と啼く乃蒼を激しく抱いては、嫉妬にかられた己を悔やんで酔いどれ天使のそそくさと帰る後ろ姿をただ眺めるだけ。
この関係を終わりにしなければとは思わなかったが、いつ打ち明けたらいいんだという葛藤は常にあった。
今もまだ、言えていない。
どこの誰かも分からない相手に抱かれていると思い込んでいる乃蒼は、その「誰か」が「海翔」だと知ってどう思うだろうか。
───あまり良い反応は見込めない。
驚かれるならまだしも、元来真面目な乃蒼は自責の念にかられるのではと思うと、話すタイミングを逃したまま現在に至っている。
「もう出来る? 皿とか用意しよっか」
何年も前からの海翔の悩みに囚われていると、乃蒼が立ち上がって小さな食器棚を開けた。
料理をチラ、と見て、すぐに適当な皿を手渡してくれる。
───こういう何気ない生活をしてみたい。
他の誰でもなく、……乃蒼と。
「さすが。 よく分かったね」
「プチ片付け始まったから完成したかなって」
今時の若者のように華やかな見た目をしている乃蒼は、こんなにも穏やかに喋る。
本当はこの整った綺麗な顔に美しい笑顔が咲くのだが……今はまだ、海翔の言えない秘密を打ち明けられる日がくるのと同じだけ、その時間が必要そうだ。
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