永遠のクロッカス

須藤慎弥

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 皿洗いは自分にやらせてくれと言うと、海翔は嬉しそうに、着ていたエプロンをそのまま乃蒼に託した。
 それから海翔はシャワーを浴びに行き、他人の家で朝から皿洗いをしていた乃蒼は急にある事を思い出す。


「あ! 月光!!」


 さっきまでのほのぼの空間によって完全に忘れ去っていたが、皿を拭いている途中でハッとして慌てて海翔の部屋に向かう。
 無い無いと思っていた乃蒼のスマホは、ベッドの枕元にあった。


「……あ、あれ……? 連絡きてない……?」


 持ち上げてすぐのロック画面の時点で、通知が無い事に気付く。
 数十件は覚悟していた着信が一件もきていなかった。
 月光の性格上、乃蒼がゆるぎに居なければ間違いなくブチ切れて連絡してくるはずだ。


 ───……おかしい。


 連絡がないという事は、月光は乃蒼がゆるぎで酔い潰れてお持ち帰りされた事を知らないのではないか。
 待ってて、と言いながら、そもそも迎えにすら来ていない可能性大だ。


「乃蒼? どうしたの?」


 シャワーから出て来た海翔が、大人の色気を纏わせながら部屋に入って来た。
 スマホを握って立ち尽くす乃蒼の目の前にやって来ると、ドライヤーのコンセントを差し込んでベッドに腰掛けた。


「海翔……」
「月光から連絡あった?」


 腰掛けた海翔の足元に座るよう促され、脱力しきりな乃蒼は大人しくカーペットの上に落ち着く。
 呆然とスマホの画面を見詰めた乃蒼の髪を、海翔が乾かし始めた。
 温かい風と大きな掌が乃蒼の髪をワシャワシャと触っていても、されるがままだった。

 月光が連絡してこない、乃蒼を迎えに来ていない、この二点だけで嫌な予感がよぎる。
 ドライヤーのスイッチが切られたのを見計らい、乃蒼はスマホの画面から目を逸らさないまま呟いた。


「連絡……きてない……」
「え、嘘でしょ?」
「嘘じゃない……」


 どういう事?と、海翔が背後から乃蒼の顎を掴んで顔を上向かせた。
 おかげで首が変な方向に曲がった。


「昨日は月光が迎えに来るはずだったの?」
「……そう、確かそう言ってた」


 顎を持たれていたが、どうにも首が痛くて海翔の手をソッと外す。
 決して自身を正当化するわけではないけれど、てっきり着信通知のオンパレードだと思っていた乃蒼にとってはショックが大きかった。
 しかもあの月光だ。
 いくら乃蒼一筋を決め込んでくれていても、元来の女好きはやはりそう簡単には治らないのかもしれない。

 とにかく、よくない事しか浮かばない。
 茫然自失な乃蒼を見て、海翔は腕を組んだ。


「うーん……。 変だなとは思ったんだよ。 俺がゆるぎに行った時間……二時過ぎてたから♢も店閉めてたし」
「え!? …………」
「乃蒼潰れちゃってたけど、俺もビンちゃんも三時前まで月光のこと待ってたんだよ」
「……昨日はVIPルームばっか使ってるって言ってたから……用事、出来たのかも……」
「恋人を待たせてるのに?」
「月光はそういう奴だし……太客って、お金たくさん使ってくれる人の事だよな? そういう人相手だったから断れなかった、とか……」
「それでも恋人に何も連絡してこないのは……と、思ったけど、俺がとやかく言う事じゃないよね。 乃蒼がそう信じてるなら、連絡くるまで待ってあげたら? いま月光に電話してみてもいいけど」
「い、いや、俺からは出来ない。 ……待ってみる」


 ただでさえスマホを持つ手が震え始めているのだ。
 ここで月光に電話を掛けて、すぐそばで女性の声など聞こえた日にはショックどころの騒ぎではない。

 客に「本命がいる」と言ってくれていた。
 それは乃蒼の事だと信じていたいし、この二ヶ月の月光の姿は紛れもなく乃蒼だけを見ていてくれた。

 だが月光だ。
 あの、月光だ。

 どうしても悪い方へ悪い方へと考えが及んでしまうのは、乃蒼が忘れ去りたいと望んだ青春を直に感じていたから。
 月光の隣にはいつも誰かが居た。
 乃蒼ではない、……誰かが。

 スマホを床に置いた乃蒼は苦笑を浮かべて、疑う事よりも、信じる事の方が難しいのかもしれない……としみじみ思った。


「そう。 ……乃蒼、一つワガママ言ってもいい?」
「何?」
「髪乾かしてくれない? プロにやってもらいたい」
「プロって。 ……いいよ」
「ありがとう」


 立ち上がった海翔と場所を交代して、乃蒼は "プロ" の手付きで海翔の髪を乾かした。
 まだ染めた事がなさそうな毛の感触だった。

 そういえば乃蒼は、海翔の年齢を知らない。
 落ち着いた雰囲気と物腰から「お兄さん」と呼んでいたが、妹達の年齢を知ると、年上なのだろうと思い込んでいただけで案外乃蒼と近い歳なのかもしれない。
 髪を乾かし終えると、海翔が振り返ってきて「さすがプロだね」と微笑んできた。

 この美しく穏やかな人が、誰かに一途に恋心を抱いていると知る乃蒼は、ここにこうして居るのが自分でごめんなと詫びの気持ちを持ってしまう。
 月光がこの海翔のように一途なゲイだったらいいのに、と不毛な事をも思いながら。



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