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しおりを挟むカウンターで眠ってしまった乃蒼の髪を撫で続ける海翔が、チャンス到来とばかりにその寝顔を存分に盗み見している。
セックスの後に余韻を楽しんでくれない乃蒼の寝顔は、とても貴重なのだ。
「こうなった乃蒼は、小さい子相手にするみたいに対応するといいんだよ」
穏やかな笑みを携えてマティーニを食らう海翔は、仕事終わりの疲労感を全く感じさせない涼やかな雰囲気を漂わせている。
おまけに、会う度に乃蒼は超絶タイプだとこっそり見惚れるその顔は、中性的で綺麗だ。
街中を歩けば女性らは皆振り返り、同じ現象が海翔の働く病院内でもしばしば見受けられる。
だが海翔には、その他大勢の視線よりも見詰めてほしい瞳があった。
そんな海翔のジレンマは、日々計り知れない。
海翔本人にも自覚がある通り、面と向かってフラれるのが怖くて五年もの月日をダラダラと体の関係だけで済ませてしまっている。
乃蒼の前に再び月光が現れなければ、まだ悠然とその蜜事を続けていたかもしれないので、海翔はいよいよ焦らなくてはならないのだが───。
ひどく愛しげに乃蒼を見詰める海翔へ、ビンちゃんが同情混じりにマティーニのおかわりを手渡した。
「……ねぇ海ちゃん。 いいの? 乃蒼くん、月光と付き合ってるらしいけど」
「今はいいんじゃない。 ……俺がそう簡単に諦めるわけないでしょ。 高校時代から七年以上も想ってるんだよ」
この時乃蒼は、完全には眠っていなかった。
けれど体が熱くて、重たくて、瞼を開く事も出来ない。
正常な思考が出来るほど覚醒はしていないので、ビンちゃんと隣の男の会話をカウンターに突っ伏したままぼんやり聞き流している。
隣の男が優しく髪を撫でてくれる温かさだけは、しっかりと感じられていた。
「はぁ……乃蒼くんはなんて罪作りな子なのかしら……。 こーんなにいい男を二人も本気にしちゃって……」
「それだけ、乃蒼に魅力があるんだよ。 しっかりしなきゃって地に足付けて踏ん張ろうとして、頑張り過ぎていつも崩れて飲めもしない酒に走る弱い子。 潰れる度に俺に抱かれてる事も知らないで」
突っ伏していた乃蒼の指先がピクッと動いた。
───え……?
今まさに隣に居る男が、ずっと乃蒼を陰ながら支えてくれていた人なのか。
起きたい。
顔を見たい。
そして、いつも言えなかった感謝の気持ちを伝えたい。
そう思っているのに、指先しか動かせない。 頭がぼーっとして、うまく言葉を発せられる自信もない。
月光にこの現状を見られてしまえば、もはやサングリアはおろか酒類全般を禁止されてしまう。
───飲まなきゃ良かった。 いつの間に二杯目にいっていたんだ。
突っ伏した状態で微動だにしない乃蒼は、隣の男に意識を集中させ始めた事でほんの少しだけ正気を取り戻している。
「海ちゃん、……どうする気?」
「これまでと変わらない。 今は動きようがないから乃蒼を見守るだけ。 二人を引き裂くような真似はしないよ」
「なんて一途なの! あなた小説家になれるわよ!」
「ふふっ、小説家にはならないよ。 俺は小児科医になるんだから」
───小児科医……この人もお医者さんなのか。
そういえば海翔もだっけ…と、乃蒼はまた僅かに指先を動かした。
グラスの中で揺れる大きな氷が、軽やかな音を立てる。
男は、酒を飲みながらも乃蒼の髪を撫でる手を止めなかった。
それどころか時折、乃蒼の顔を覗き込むようにして近付いてきたかと思えば、
「可愛い……。 乃蒼って学生時代から全然顔が変わらないんだよね」
と、昔馴染みのような事を言っていた。
ビンちゃんも「そうなのね」と、あまり驚いた様子を見せない。
酔い潰れて流し聞きしているには、非常に勿体無い会話だった。
この店に来たのは乃蒼が二十歳になってからなので、いつもの男がまさか学生時代の乃蒼を知っているとは思わなかった。
───どういう事なんだろ? 一体、この男は誰───?
乃蒼はこの目で男の顔を確かめたいと、重たい瞼を開こうとした。
「もう三時になるね。 ビンちゃんも店閉めたいだろうから、俺が連れて帰るね」
ふと男は席から立ち上がり、乃蒼の後方に回ったためにその顔を確認することが出来なかった。
「そうね、助かるわ」
「それにしても……どうして迎えに来なかったのかな、月光」
「……おかしいわよね」
男は、乃蒼が腰掛けている椅子を回転させると、よいしょ、と言いながら慣れた様子で抱き上げた。
密着すると、男から微かにあの病院特有の匂いがした。
体に力が入らない乃蒼は、抱き上げられて体温を感じるとホッとしてしまい、急に眠気が襲ってくる。
「まぁいいや。 じゃあ、また来るね、ビンちゃん」
「えぇ、乃蒼くんの事よろしくね。 ……はぁ、なんてイケメンなのかしら……♡」
すでに店内の客は今の二人のみになっていた。
出て行った海翔の背中をうっとりと見送ったビンちゃんは、カウンターを片しながらもう一度扉を見詰める。
来るだろうと思っていた月光が来なかった事に、何やらただならぬ胸騒ぎを感じていた。
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