永遠のクロッカス

須藤慎弥

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… … …


 ───サングリアは一杯だけだったはずだ。
 それなのに何でこんなに楽しいんだろう。 面白くもないのに笑いたくてしょうがない。 腹の底から謎のクスクスが湧き上がってくるんだけど……これ、何?


 乃蒼は、呆れ顔のビンちゃんの背後の棚にズラリと並んだ酒類を見て爆笑していた。
 それも、三十分前からだ。


「乃蒼くん、しばらく飲んでなかったから弱くなったんじゃない? まだ二杯目よ?」
「えっ、二杯目~っ? あはは……! やば! 月光に怒られる! あはは……っ!」
「何がそんなに可笑しいの……」
「はぁ、はぁ……。 分かんないな。 別に面白いわけじゃないし! ビンちゃーん、今何時~?」


 カウンターにだらしなく懐いている、テンションの上がり下がりの激しい乃蒼は自身の腕時計すら見る事が出来ない。
 ビンちゃんにそれを聞く辺り完全に、立派な酔いどれが完成していた。

 乃蒼は酒が強くない。
 むしろ弱い。
 体質云々で体が拒否しているとしか思えないので、飲まない方がいいレベルの下戸である。

 ここまで弱いという自覚のない乃蒼は、とにかくサングリアが大好きなだけなのだ。
 月光との「一杯だけ」の約束を破ってこの状態になった事を、ケラケラと笑い飛ばしている。


「もうじき二時よ。 乃蒼くん、この時間にここにいるっていう事は、月光がお迎えに来るのよね?」
「え~? どうだったかなぁ……へへっ、忘れた」
「わ、忘れたってどういう事よ? ……あら、海ちゃん!」
「……こんばんは」


 いつもクールな乃蒼が、酔うとたちまちこうなる様をビンちゃんが複雑な思いで見ていたところに、深夜にも関わらず新たな客が扉を開けて入店してきた。
 そろそろ店じまいとなり、店内の客達も帰り支度をし始めるような頃合いだった。


「どうしたの、こんな時間に珍しい! 乃蒼くんの酔い潰れレーダーキャッチしたの?」
「いや、今日はたまたまなんだけど。 宿直担当が遅刻して俺が残ってたんだ。 これ……乃蒼だね」


 へへっと笑いながらカウンターに突っ伏してゆらゆらしている乃蒼を見た海翔が、驚いてビンちゃんに視線をやった。


「まぁ、お疲れさま! そうなのよ、今日はサングリア二杯よ? これだけ飲みがうまくならない子も珍しいわよね」
「二杯? 二杯しか飲んでないのにこんなに楽しそうなの?」
「ふふふっ、イケメンのお兄さん、お隣どうぞ! サングリアでいいだろーっ? この店にはサングリアしか置いてないんだぞーっ」
「サングリアは乃蒼のでしょ。 俺はマティーニ」
「なにそれ!? まてぃーに! なんだそれ! 聞いたことないや! ふはっ」
「……乃蒼、月光が迎えに来るの?」
「あはは……! 知らなーい! 分かんなーい! 覚えてなーい!」


 普段の面影がなくなった乃蒼は、目の前の男が海翔だと気付いていない。 思考、判断能力も危うくなっている。
 ……というよりも、終始ニコニコしていて瞳が開いていないので、海翔をロクに見ていないだけとも言えた。

 たった二杯でこの状態になっていると知った海翔が、肩を竦めるビンちゃんと目配せして苦笑し合う。


「乃蒼くん、お酒久しぶりみたいね。 二十歳で初めてここに来た日の事を思い出しちゃう」
「そうだね。 ていうか、もうあっち店閉めてたけどな。 月光ほんとに来るの?」
「来る? 来ない? 来る? 来ない? 来る? 来ない? 来る? ……むぐっ」
「はいはいはい、分かったよ、乃蒼。 シーッ」
「へへっ!」


 いつもの穏やかな乃蒼はどこへいってしまったのか。
 首を傾げてニタニタしている乃蒼の口元を掌で塞ぎ、埒が明かないとばかりに海翔はとりあえず酔いどれを黙らせた。
 これでは話が出来ない。

 少しの間黙って見守っていると、乃蒼は何度も空になったグラスをクイと傾けている。
 しかしサングリアは乃蒼の腹の中なので、喉を潤すものがないと何が可笑しいのかまたゲラゲラ笑っている。

 そんな乃蒼は放っておき、ビンちゃんが小指を立ててビールを一口飲んだ。
 海翔も、マティーニをじわりと口に含む。


「どういう事? もう月光は店に居ないの?」
「どうなのかな。 ……ちょっと待ってみて来なかったら、俺が連れて帰るよ」
「そうね、そうしてあげて。 この状態の乃蒼くんは私でも面倒見きれないわ」
「ビーンちゃん! おかわりー!」


 面倒見きれないと言ったそばから、突然立ち上がった乃蒼が仁王立ちでグラスを持ち、ビンちゃんを睨み付けた。
 だがそれも数秒の事で、そそくさと着席した乃蒼はまたカウンターに突っ伏してヘラヘラしている。
 こんな乃蒼でも愛らしく映る海翔は、美容師らしく綺麗に手入れされた柔らかな髪を撫でて、ビンちゃんに小声でお冷やを要求した。


「乃蒼、もうサングリアはやめとこうね。 ……あれ、このお水すごく美味しそう。 うわぁ、キラキラしてるね、乃蒼の名前みたい」
「ほんとだー! 俺このお水がいい! サングリアいらない!」
「……海ちゃん、あなた手懐けるのうまいわねぇ。 ……って、今度は乃蒼くん寝ちゃった?」


 海翔に手渡された水を二口ほど飲んだ乃蒼は、程なくカウンターで撃沈した。
 それはヘラヘラし始めてから約一時間後の事で、その間相手をし続けたビンちゃんは自らに「お疲れ様」と言いたかった。




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