永遠のクロッカス

須藤慎弥

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…  …  …


 月光と付き合ってから二ヶ月が経つ。
 乃蒼が危惧するような出来事は一つとして起きず、少しの波風も立たない、意外過ぎるほど穏やかな付き合いが続いていた。

 月光の部屋へ行く度に、「ここに住めばいいのに」と同居を持ち掛けてきているが、それは何だか気が進まない乃蒼はいつも断っている。
 いくら誠意を見せてくれていても、過去のトラウマと化した月光の姿がチラつき、まだどこかで月光の浮気性が治っていないのではという不安がどうしても残っていたからだ。

 妙案契約は終わったはずなのだが、月光が乃蒼独りだけだと完全に信じさせてくれるまで、心が浮わつかないよう努めている。
 乃蒼が翌日休みである日曜日に、必ず月光のマンションへ泊まりに行く。
 その際に女の影を探してしまうのは、もはや昔からの刷り込みなので致し方なかった。

 しかしそんな不安を抱くのも失礼なほど、月光は真摯に乃蒼と向き合ってくれている。
 あの月光が二ヶ月ものあいだ女を抱かず、乃蒼独りだけを愛そうとしてくれている。

 根深い不安を打ち消し、そろそろ本気で同居も考えてみようかとさらなる前進の勇気を持つことが出来そうだと、思い始めた頃だ。
 杞憂に終われば、それに越したことはない。
 乃蒼にとって月光は、昔も今も、一緒に居て落ち着く事の出来る大切な人にかわりない。


 ───今日辺り、同居話を進めてみようかな。


 乃蒼の言葉に、目元を細めて笑ういかにも嬉々とした顔を思い浮かべているとつい頬が緩んでしまうが、このニヤけ顔は誰に見られても構わないと薄っすら微笑んだ。



 乃蒼はその日、仕事帰りに月光の店に来るよう言われていたので立ち寄ってみた。
  まさしくホストクラブの名である『♢(ダイヤ)』の店内に足を踏み入れると、豪奢な通路にビシッと整列したスーツ姿の男達から派手に出迎えられた乃蒼は、後退って面食らった。


「こんばんは! いらっしゃいませ!」
「……うわ、すごいな。 ……俺、客じゃないんです。 月光の知り合いなんですけど……」
「あ! 窺っております! どうぞ中へ!」


 男達の迫力に圧倒され、盛大に顔を引き攣らせた乃蒼は大人しく金髪の男に付いて行った。

 入店してみて分かったが、店内は思っていたより広く、そして明るい。
 しかし天井はそんなに高くないため、大袈裟で大きなシャンデリアが見上げると手が届きそうな位置にいくつもあると少しばかりうるさく感じる。
 乃蒼の想像では、ホストクラブというのはロウソクの炎だけで光を保たせている真っ暗闇での接客業なのだろうと極端な想像をしていたのだが、それは多分に月光の部屋がいけない。
 職場の雰囲気を家に持ち込んでいるのかと思ったら、あれは単に月光の趣味だったらしい。


「我らが月光さんのご友人ご来店でーす!!」
「ありがとうございまーす!!」
「ありがとうございまーす!!」
「……っ!? ちょっと、やめてよ」


 わざわざそんな事を大声で言わなくていいと、乃蒼は顔を隠しながら男達を見回して焦る。
 おかげで客や他のテーブル席についたホスト達から一斉に視線を浴びて、回れ右したくなった。

 分かりやすくあたふたした乃蒼を、金髪の男が隅のテーブルに案内した。
 なぜ月光はここへ自分を呼んだんだとムカつきながら着席すると、まだ若そうな男達の手によって何も無かったテーブルの上に次々と物が置かれていく。
 アイスペールに並々と氷が盛られていて、 “呑みましょう” と言わんばかりだ。
 月光の知り合いだと知られてしまい、店中にその事実が響き渡ったため、乃蒼も一杯くらいは飲まないといけない空気である。


「月光さん今太客対応中なんで、俺らがお相手いたします! 何飲みます? まずはシャンパンいっときます?」
「いや、すみません。 俺シャンパン飲みません。 できれば……水がいいんですけど」
「かしこまり! 何の水割りしましょ!?」


 ───えっ? 水割り……?


 ここは酒を飲む場である事は百も承知なので、金髪の彼がそう勘違いするのも分かる。
 テンションが高いので乃蒼との温度差が甚だしいが、飲んだ事のないシャンパンや水割りなどごめんだ。
 店内が騒がしい。 これは想像の遥か上をいっている。
 相手に確実に言葉が届くよう乃蒼は、やや声を大きめにして断りを入れた。


「違う、水割りじゃなくて!」
「お冷やがいいんですか?」
「あ、そうです。 お冷やで」
「かしこまりました」


 右隣の金髪の男にばかり気を取られていたので、左隣に居た黒髪の男に気が付かなかった。
 この男は乃蒼の言いたいことをすぐに分かってくれ、しかも見た目が他者よりいくらか落ち着いているので、まだ話が通じそうだ。

 細長いグラスに氷を敷き詰め、乃蒼がこれまで生きてきた中で見た事のない青いビンから水を注ぎ、グラスを手渡してくれた。


「な、何これ?  水ですか?」


 ビンの外観が怪しいので、酒じゃないだろうな、と匂いを嗅いでみるも無臭である。


「水ですよ。 イタリアの高級なお水です」
「イタリア? これだけで何万も取られそうだな」
「さすがに何万もは取りません。 一杯五千円です」
「水が!?」
「高級なんで」
「……月光にツケといて下さい」
「はい」


 すごい世界だな、とイタリアの高級な水に口を付けながら乃蒼は苦笑した。
 正直、味の違いなど分からない。
 氷が目一杯入っているためキンキンに冷えていて、一口でそんなにたくさんは飲めなかった。

 グラスをテーブルに置き、賑やかな店内をこっそりと見回す。
 きらびやかな店内、客とホスト達の駆け引き染みた会話、それを遮るように流れ続けるユーロビート、充満する酒と香水と煙草の匂い……。


 ───ここで月光は夜の世界を知ったのか。


 こう言っては何だが、彼にはお似合いの場所かもしれない。
 乃蒼の知らない月光が居る事を、入店からわずか十分で思い知らされた。




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