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しおりを挟むキスをやめた海翔から、ふわりと抱き締められた。
刹那、乃蒼の頭と体が当時を思い出していた。
……あの時。
月光ではない男との火遊びとして付いて行っただけなのに、一夜限りだと決めていなければ海翔に救いを求めてしまっていたかもしれない。
優しく慰めてほしい。
強く抱き締めてほしい。
あれ以上深入りすると、そんな風に縋ってしまっていた可能性だってあった。
それは、海翔が優しげだからではない。
纏う雰囲気が、海翔の体が、乃蒼をひたすらに愛そうとしてくれていたからだ。
乃蒼が悦ぶように、温かい気持ちになるように、セックスの間中それは続いた。
───愛されたい。
あの頃の乃蒼は、月光に愛されている実感などこれっぽっちも抱けなかったので、そう思って憂うのも当然なのかもしれなかった。
寂しい心を一晩にして埋めてくれ、本来のセックスが何たるかを教えてくれたその人が目の前に居る。
偶然にしては出来過ぎだとは思ったが、脳内が生クリームのように甘くとろけていたこの時の乃蒼には、もはや何も考えられなかった。
「振り向いてほしい……いつか振り向いてくれるはず……って、何年も想い続けたのにな。 ……届かなかったか」
離れていった海翔が、たっぷりと余韻を引き摺ったままの熱い視線を乃蒼に投げ掛け、溜め息を吐きながら言った。
「え……?」
───なんか、それって……それって……。
ふと脳裏によぎった海翔の言葉の意味を知りたくて、乃蒼はその先を待った。
勘違いだといけないので、乃蒼は戸惑いながらも視線を逸らした海翔の横顔を見詰め続ける。
だが海翔は、車のエンジンを掛けた。
寂しげだった顔に笑顔を乗せ、何事も無かったかのように乃蒼にふわりと笑い掛ける。
そしてゆっくりと首を振った。
「ううん、何でもないよ。 すっかり遅くなっちゃったな、ごめんね。 家まで送るから」
「……うん、ありがと」
つい数分前まで二人だけの世界だったはずが、流れる景色を見ていると途端に現実に引き戻される。
なぜだろう。
乃蒼は今とてつもなく、海翔ともう少しだけ一緒に居たいと思っている。
「海翔、あの、……さっきのって……」
「うん?」
「……いや、……なんでもない」
情熱的かつ優しいキスと視線、そしてあの意味深な台詞は何だったのか。
乃蒼をその気にさせておいて、海翔はすでに頭を切り替えて運転に集中している。
深くは聞けなかった。
海翔とのキスがどうしても頭から離れない。
唇が熱い。 体も火照っている。
目の前がぼやけてしまうほどの熱に浮かされた。
程なく駅まで帰ってきたところで車を降りようとしたが引き止められ、自宅までの道案内をさせられた。
まだどこか意識がぼんやりしていた乃蒼が、車から降りるのを少しだけ躊躇っていると海翔に腕を取られて心臓が跳ねる。
「ねぇ。 ……乃蒼が幸せなら、俺も嬉しいよ。 これからも、こうやって食事行くくらいはいいでしょう?」
そう問われた乃蒼は、一瞬だけ悩んだ。
海翔との時間は穏やかで、温かくて、心地良い。
けれど乃蒼は月光と付き合っているのだから、もちろんここはNOと言うべきだ。
もしかすると海翔は慰めを求めていただけなのかもしれないが、今しがたキスをし、過去二回もセックスをした仲なのだ。
恋人が居る以上、簡単に会っていい相手ではない。
分かっている。 乃蒼はちゃんと、……分かっていた。
「……うん、アルコール無しなら、いいよ」
「良かった。 俺から連絡するとマズイだろうから、ご飯行きたいなって思ったら乃蒼から連絡して? いい?」
「分かった」
───どこまでスマートなんだ。
乃蒼の頷きに笑顔を向けてきた海翔は、成人男性にするものではない頭ポンポンをして、最後には優しく撫でてくれた。
あまり慣れない事をされると、乃蒼の思考がいちいち停止して困る。
「乃蒼。 さっきのキスは内緒だよ」
「…………海翔も、好きな人に言ったらダメだよ。 海翔のキスはおかしくなるから、いっそキスで落としたらいい」
「ふふっ……、そうだね。 そうしようかな」
何だかモヤモヤした意味深な台詞は、乃蒼の心の中にしまっておく事にした。
月光にバレたらマズイのは確かなので、どのみち秘密にしなければならないのなら、丸ごと忘れてしまった方がいい。
覚えているとよくない気がした。
あんなに我を忘れるキスは、すぐにでもまた味わいたくなってしまう。
海翔と分かれた乃蒼は、手を振って車を見送り、見慣れた自宅へ入るなりベッドにダイブした。
「なんだあの男たらし~~~!」
手足をバタバタさせて、乃蒼の心中を思う存分放出した。
一途だと言っていたのに、乃蒼にあんなにも濃厚なキスを仕掛けて記憶を掘り起こさせるとは、甚だ意味が分からない。
ただもう、これっきりだ。
「ご飯食べたい時は連絡して」と言っていたからには、乃蒼から連絡さえしなければ海翔に心を乱される事もない。
月光との事を前向きに考え始め、初恋を実らせたばかりの乃蒼にはそんな動揺は知らない方が幸せだ。
たとえ忘れられないキスに朦朧としても、月光にはこの先もキスは許さないかもしれないと思ってしまっても、過去は振り返らないと決めたのは乃蒼自身である。
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