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しおりを挟む妙案契約の翌日。
職場から帰宅してしばらくすると、けたたましいマフラー音がどこからともなく響いてきた。
何だ何だと驚いた住人らと外へ飛び出すと、月光が外車で迎えに来た音だった。
お騒がせしましたと乃蒼は住人らに頭を下げ、ヘラヘラした月光の車の助手席に乗り込むやガッシリとした肩を二発小突いてやった。
三日分の着替えだけ持って月光に連れられて来たはいいが、高級ホテルのようなマンションの外観にまず腰を抜かしそうになる。
続けて豪奢過ぎるエントランスに度肝を抜かれ、カーペットの敷かれた廊下と装飾が施されたエレベーターにもいちいち目を丸くした。
月光の広過ぎる部屋に通されても、つい室内をキョロキョロと見回してしまうのは興味というよりも唖然が主だった。
「ここが俺の寝室なんだけど~こっちもベッドあるから、乃蒼はこっち使ってね~」
「分かった」
「家の中のもんは好きにしていいからな~。 あっ、いい事思い付いた!」
「……何? どうせまたバカな事言い出すんだろ」
オリエンテーションめいた事をしてもらわねばならない、こんなに広々とした部屋は気遅れしてしまう。
乃蒼は案内された寝室に鞄を置いてご立派なリビングに手探りで戻ると、いかにもホストが住んでますと言わんばかりのブルーライトの置き型照明に遭遇した。
家具家電はすべて黒で統一してあり、天井の照明も薄暗いので時間の感覚が無くなってしまいそうだ。
月光は何から何まで夜に染まっている。
「乃蒼がこのマンションに引っ越してくればいんだよ~! 同じ並び、どっか空いてたはずだよ~? ここだとさすがに一括は厳しいけど、三回くらいに分ければキャッシュで買える……」
「やっぱバカじゃん! そのマンションの話、一回忘れてくれない!?」
月光が言い終わらぬうちに、乃蒼はその大きなバカ話を遮った。
たとえ万が一月光と付き合う事になっても、こんなところに住みたいなどとは一ミリも思わない。 おまけにマンションを買い与えてもらうなど、どこのパトロンかという話になる。
この右手が腱鞘炎で使い物にならなくなっても、乃蒼は誰かの世話になる気などさらさら無い。
「ちぇ~っ」
「子どもみたいな事してんなよ。 仕事行く時間だろ? ご飯は食ったの?」
「食べてなーい。 いつも客に食わせてもらうし~」
「じゃあ俺作んなくてもいいな」
自分の夕飯がてらにと思いキッチンへ向かおうとしたが、そういう事なら冷蔵庫を開けても大したものは入っていないだろう。
よく見ると入居以来使った形跡がないほどキッチンはピカピカで、汚すと嫌なので使いたくない。
「え! 乃蒼、作ってくれる気だったの!?」
「まぁ……一応。 二週間世話になるんだからご飯くらいはって思ってはいたけど」
「じゃあ明日からお願いしよっかな~! 明日、色々買いに行こ~」
月光の嬉しそうな反応に、乃蒼も悪い気はしなかった。
キッチンを汚さないように細心の注意を払わなければならないが、そこまで汚す質でもないのでいつも通りに動けば問題ないだろう。
今日の月光は光沢のある白いスーツでご出勤のようで、玄関で白い革靴を取り出している月光を見送ろうと乃蒼は近付いた。
相変わらず両手首をゴツゴツさせている。
「……乃蒼、俺マジだから。 セックスは我慢するから、乃蒼もちゃんと俺との事、考えてよ」
「…………分かった」
「抱き締めんのはいい?」
「……いいよ」
一瞬だけ悩んだが、あれもこれも「ダメ」だと言うと、いつ月光の性欲が爆発してしまうか分からない。
やった、と言いながら力強く抱き締めてくる月光からは、乃蒼の知らない香水の香りがした。
七年という時の流れは、月光も乃蒼も変わっていないようで変わっているのかもしれないと、この些細な変化で思い知る。
───少し、物悲しい。
「行ってきま~す」
「行ってらっしゃい」
出て行った扉をしばらく見詰めていた乃蒼は、我にかえってリビングへと向かう。
ブルーライトの照明が乃蒼を照らしてくれはするが、部屋の中を見渡せるほどの働きはしてくれない。
自分の部屋ではないから当然だと分かっていても、暗過ぎる月光の部屋は余計に落ち着かなかった。
「一体ここで何人抱いてきたんだか」
自然とそういう発想に至ってしまうのも、月光の今までの行いのせいだ。
乃蒼はまだ、ここの鍵を預っていないので出掛ける事が出来ない。
考えてもまた暗くなるだけだと夕飯はデリバリーを頼んだ。
テレビのリモコンすら手探りで探し当てなければならず、やっと見付けたと同時にあまりに役立たないブルーライトを一睨みした。
「あ、あのお兄さんとの約束どうしよ」
夕飯を食べ終わって一息ついたところで、明後日に迫ってしまった男とのディナーの約束を思い出した。
「状況変わっちゃったから一応日にち変更してもらお……」
夜に出て行く月光の不在中、不必要に勘繰られてはたまらないので早々に手を打つべきかもしれない。
仕事中だといけないと思い、乃蒼はワンコールだけ鳴らして切って着信を残しておいた。
律儀な彼の事だから、きっと気付いたらかけ直してくれるはず。
そう思い、乃蒼は慣れない浴室でシャワーを浴びた。
無理をしないと決めて実行にも移しているからか、腱鞘炎は何とか落ち着きを見せていて、夜の間だけ湿布を貼る事で済んでいる。
三隈や冴島が早く何とかしろと言ってくれなければ、病院に行く事も無かったし、病名と療法が早い段階で分かって良かった。
そしてこの月光との二週間が無事に済んだなら、もっともっと乃蒼の気持ちは軽くなるはず。
「ほんとに我慢できんのか、見ものだな」
浴室すら暗い照明のせいでドライヤーが入った棚の取っ手さえ見付けるのに苦労したが、凝ったらとことんな月光の趣味を垣間見て笑顔が溢れた。
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